仏教修行において
迷いを断じていく中では
知的に行うのと
実践的に行うのとがあります。
迷い苦しみは
自らの欲望などによって
引き起こされるのであり
それを知って、あらゆるものごとは
関係性の中にあるという縁起の法則を
知的に覚ることが見道(けんどう)という
段階になります。
ここに至るまでに88もの
煩悩を断じていけねばならないと
言われています。
それに加えて、実際に修行によって
体で体験する段階が必要とされ
そこで繰り返し煩悩を断じていきます。
(修道(しゅどう)という)
ここでの煩悩は10に分類されると
いわれ、88と足し合わせて
九十九随眠(ずいめん)といいます。
さらに十纏(じってん)というものが
足されると合計108となり
いわゆる百八煩悩となります。
このような細かい分析は
さておき、基本的には
貪・瞋・癡の三毒が重要です。
貪(とん)は、貪りのことで
欲望が露になっていること。
瞋(しん)は、瞋恚ともいい
憎しみや怒りのこと。
癡(ち)は、愚癡ともいい
無知で愚かなこと。
3つの毒という表現をしていますから
これらは我々の心にとって
良くないものとなります。
欲に支配されている状態が
良くないことは明らかですし
何か気に入らないことに対して
ずっとイライラしていても無駄な時間と
なってしまいます。
また、無知なことというのは
仏教の世界では縁起だったり
諸行無常の道理を理解せずに
いることで
それを理解し、体験的に
覚ることが重要になります。
除夜の鐘では
108回鐘を突いたりしますが
これらの煩悩を断じるのだという
気持ちで行ってもらうと
より良いのだと思います。
本年もあと少しとなりましたが
2021年は希望ある年になることを
願いながら、自らの煩悩を断じて
精進していくことを忘れずに
いきたいと思っています。
また、来年もよろしくお願いいたします。
南無大師遍照金剛
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