真言について | 吉祥院 ~茨城県石岡市で約900年続く真言密教の寺(お寺ブログ)~

吉祥院 ~茨城県石岡市で約900年続く真言密教の寺(お寺ブログ)~

茨城県石岡市にある真言宗豊山派の摩尼山吉祥院です。
ふるさと茨城路百八地蔵尊霊場第九十一番札所に指定されており、
開山約900年の歴史を持つ由緒ある寺です。
境内の四季折々の風情や仏教について、幅広い情報を発信するお寺のブログです。

真言は、インドのサンスクリット語で

マントラといいます。

ある種の呪文で

「秘密のことば」、「仏の真実のことば」

と捉えることができます。

 

陀羅尼は、真言と似ていますが、

比較的短いものが真言で

長いものが陀羅尼です。

両者の起源は元々は違うのですが

時代を経るにしたがって、それらは混同され

区別がなくなりました。

 

真言、陀羅尼をはじめとする

宗教的な呪文は、1回だけ唱えれば

良いというのではなく、持続することが必要です。

その理由の1つは、言葉のリズムが

生命のリズムに直結していると

考えられていることがあげられます。

踊り念仏がその例です。

 

また、散乱した意識を統一する効果があり

陀羅尼は、元々は瞑想の手段として

用いられていました。

 

真言や陀羅尼といった呪文は

3、7、21返、修行などでは1千返も

唱えることがあります。

神秘的祈りや瞑想の深まりのために

何度も反復されなければなりません。

 

また、浄土宗系では

「南無阿弥陀仏」を専修念仏として

百万返唱えることによって

無量の功徳が得られるといいます。

 

元来、「ことばのもつ呪力」というものが

呪文を唱えることの基層にあり

宗教が興ってくる以前は

呪文はすべて生活に関わっていて

功利的効果を目的としていたようです。

 

お釈迦さまはそのような実利的、功利的な

呪文を禁止していました。

それが宗教的意味合いをもつようになると

生産性とは関係がなくなり

個人の内面の世界に属したものとなり

呪文を唱えることが、感謝や懺悔、信仰の

深まりと相まっていったといいます。

 

仏教でいうところの、南無(ナマス、ナモー)、

キリスト教のアーメン、イスラム教のアッラーは、

聖なることばとして唱えられ

われわれ僧侶のような宗教的主体と

ブッダのような絶対的存在との結びつきが

そこに生まれてきます。

 

禅定を通して精神を統一し

悟りに到達する際に陀羅尼が唱えられるようになり

有名な大乗経典である『般若心経』には

その末尾に、ギャーテイギャーテイ・・・

という真言が説かれています。

 

さらに馴染み深いものには

オンアボキャベイロシャノウ・・・と

唱える光明真言があります。

真言はそれ自体に何か1つの意味が

与えられているのではなく

秘密のことば、仏の真実のことばとして

普通の言葉では表せない真理を

象徴するものとして唱えられるものです。

 

弘法大師は

「真言は不思議なり 観誦すれば無明を除く

一字に千理を含み 即身に法如を証す」と

説いています。

 

密教の立場では、真言とは

真理の言葉であり、大日如来のことばであり

それがそのまま悟りを表現しているのです。

 

われわれは、悟りの境地を観じて真言を

唱えれば、その行為がわれわれを

悟りへと導いてくれるのです。