密教では、ヨーガ(瑜伽)の観法を行います。
ヨーガは、宗教体験を積んだ師匠から
その方法を伝授されなければなりません。
昔のインドにおいては
師と弟子が相対して直接伝授されます。
サンスクリット語で、師匠を意味する言葉は
「グル」といいます。
もともとは「重い」や「尊敬すべき」という形容詞で
それが名詞に転じて、尊敬に値する人という
意味で用いられるようになったとされます。
他に、「アーチャールヤ」も師匠という意味を
もった言葉です。
「行くべきもの」、「行くべきことを知るもの」の意味から
規範師、示教者という意味になったとされます。
このアーチャールヤは、漢字に翻訳されて
「阿闍梨」となりました。
阿闍梨耶ともいいます。
インドの後期密教では、世俗の倫理に対して
批判的な態度をとっていたようですが
ただ、師匠に対する非礼な行為は
許されませんでした。
一般社会の倫理や、不殺生や不偸盗、
不妄語などの仏教の戒律を無視し
それらに対抗する姿勢が見られますが
師匠に対する行為は
厳しく取り締められていました。
そのように、昔のインドにおける
師匠と弟子には絶対的な服従の関係が
あったことが窺えます。
また、修行者は自らの努力だけでは
仏となる可能性である仏性を
見出すことができません。
そこには阿闍梨の教えが重要なのです。
阿闍梨の言葉によって弟子の修行が
どうなるかが大きく変わってくるので
密教では阿闍梨となる資格が厳しく
定められてきました。
そして、阿闍梨は自らが受けた密教の教えを
自らで終わらせてはなりません。
弟子に対して密教の法を説き続け
さらに宗教体験を継承していく必要があります。
まさに曼荼羅の中の一菩薩として
衆生救済の活動をし続けることが
義務付けられます。
弘法大師空海は、中国で阿闍梨の恵果から
法を伝授され、帰国後は衆生救済のために
密教の教えにしたがって
尽力したのです。