仏教にはさまざまな仏がいます。

如来といえば、釈迦如来や阿弥陀如来

密教の大日如来などがあります。

これらは真理を人格化した尊格です。

 

菩薩には、観音菩薩や弥勒菩薩といった

有名な菩薩から名の知られていない

数多くもの尊格がいます。

如来を支え、かつ衆生を救済する活動を

行い、その仏像は穏やかな表情で

描かれることが多いようです。

 

また、明王というほとけさまもいます。

不動明王が代表的ですが、だいたい恐い姿を

しています。仏法に帰依しようとしない

ものたちを導くためです。

 

さらに、天部の諸尊は、仏教が誕生する以前から

インドで信仰されていた多宗教の神々が起源です。

それらが仏教に摂取されて

仏を保護する役割を担っています。

梵天(ブラフマー)や帝釈天(インドラ)が有名です。

 

このように、さまざまな仏がいて

それぞれが仏像としても残されています。

ただ、仏像が造られるようになったのは

紀元一世紀ころと考えられています。

したがって、お釈迦さまが亡くなってから

数世紀の間は仏像というものが

存在しなかったということです。

 

中央アジアで栄えたとされる

クシャーナ王朝の時代に初めて仏像が造られ

その後、大乗仏教の興りによって

阿弥陀や薬師といったものも現れてきました。

 

仏像が造られる前は、仏塔が信仰の対象で

その仏塔の周りにはお釈迦さまの

生涯の姿などが掘られた彫刻がなされていました。

 

少なくとも紀元までの間は

人間を超越したものとして仏陀・釈迦を

描くことはなかったのです。

 

しかし、偉大な存在であったお釈迦さまを崇拝し

信仰し、解脱を目指すものたちにとっては

礼拝の対象として人格化した姿を必要とした

のだと思います。

 

お釈迦さまの直弟子たちは

その姿を知っていたのは当然ですが

仏滅後の仏教徒はそれを目にしていないため

偉大な尊者の姿が

礼拝の対象、瞑想の対象として

修行者たちに必要とされた

のではないかと思います。