少し前に部派仏教とアビダルマについて書きましたが、

今回はそれの続きです。

 

 アビダルマによるお釈迦様の教えを注釈する文献が

まとめられましたが、これを論蔵といいます。

 これと、教えである経蔵、律をまとめた律蔵と合わせて

三蔵と呼ばれます。

 三蔵を詳しく理解し、マスターした僧侶を三蔵法師と呼び、

西遊記に出る玄奘三蔵もこの一人です。

 

 アビダルマは、その研究内容が非常にこまごまとしており、

煩瑣哲学ともいわれるように、揶揄されました。

 この時代の学僧たちは、僧院の中で経典の意味合いや

教えの研究に没頭し、ひたすらに思想的な研究を

行っていたのだろうといわれていますが、その内容は

われわれにとっては無意味に思われ、元来の仏教の

実践からも離れてしまったように見えます。

 

 ただし、アビダルマによって仏陀の教えが体系的に

まとめられたという点で非常に重要視されています。

 アーガマ(阿含)は、釈迦様の言葉を単に集めたものであり、

体系的にまとめられてはいません。 

 整理されていないものから、仏教の観念的な要素を

抽出して、思想的に組み上げたのがアビダルマでした。

 

 この時代のあとに瑜伽行派や中観派という

新たな仏教哲学が出現するわけですが、以上のアビダルマが

なければそれもまた違ったものになっていたでしょう。

 

 また、アビダルマはお釈迦様の言葉にとらわれているといわれ、

伝統的、保守的、分析的と批判されます。

 これが、仏陀の言葉にとらわれ、仏の精神を失ってはいけない

という大乗仏教の主張を引き起こす一つの理由になっていると

いわれます。