ITTO大和田駅前校。

読解力。


読解力、もう一度、見直そうと思った。

自身が学生当時、全くダメだった「読解力」。

今なら、理由(?)も分かっている。

それを、どうにか、生徒に伝えていきたい。


「読解力」は、国語に限らない。

英語? 勿論、そうだ。

が、それだけではない。

生活の全て場面に、「読解力」は必要だ。

「ことば」を通してしか、意思疎通の方法は無いだろう。テレパシーは使えないのだから、、⁉︎


「ことば」の持つ、表面的な意味を正しく追っていきたい。国語の「読解」に限って言えば、作者・筆者の言わんとするところを、正しく読み取ることに尽きる。素直に、自然に読み取りたい。


私もそうであったが、少し思考することが好きな、思考性の高い人ほど、「読解」において、「ズレ」、もっと言えば、「間違い」を生みやすい。正しく読み取る際に、自身の頭で考える「思考」は、邪魔でしかない。

自身の頭の中で、「正しい」と勝手に思う、そんな「誤答」を作り出すのが、関の山だ⁉︎ 

当たり前だ、自身の頭の中に、「正解」は、あろう筈もない。あったら「キモチワルイ」⁉︎ 作者・筆者と、全く同じものが、自身の中にある筈がないのだ。そこに気付けば、後は簡単だ。只管、問題文本文を読むしかない。作者・筆者は、「何て言ってますか⁈」、ここだけに集中したい。

「こんな変なことを言っているし、、⁉︎」でも良い。その「変なこと」を、解答とすれば良いだけだ。「変なのだから、直してあげよう」とは、思ってはいけない。変だろうが、何だろうが、それを、そのまま書けば良いだけだ。ちょっと頭が良いと、それに大きな「抵抗感」を感じるだろう。が、その「抵抗感」がいけない。素直に、自然に、その「変なこと」に即して、解答しないといけない。


中3ともなれば、15年ほど掛けて、「ズレている状態」を作り出している。その修正には、相応の時間が必要だ。少し、ゆるりと時間を掛けていきたい。ゆるりが良い。頑張り過ぎない方が良いのだ。頑張り過ぎると、また、自身の間違った思考が頭をもたげてくる。それがマズい。ゆるりとやっていこう。やがて、徐々に改善していく筈だ。私は、この過程を、「発生」と呼んでいる。否、「矯正」と呼んでいる。歯の矯正と同じという様な意味を込めて、、。


上にも書いたが、「読解力」は、生活の全てに影響する。生徒、学生であれば、教科の学習において、一番大きな影響を受ける。国語ばかりではないのだ。だからこそ、改善が期待される。心して取り組みたい。遅すぎるということはない。直ぐに改善に向けて歩み出して欲しい。より良い自身を目指して欲しいものである。


参考文献 出口汪書籍