ITTO大和田駅前校。

英語教育に対する私見。


私見ではあるが、日本の英語教育の在り方を変えて頂きたい。

現行の小学高学年で行われているやり方を、幼年時から始めて頂きたい。

諸外国においては、幼少期の英語教育は、地域社会が担っているが、残念ながら、日本には、その仕組みはない。であれば、公教育に担って頂くしかない。

で、これを中学以降の英語教育でもメインに据えて欲しい。所謂「受験英語」に向かう学習も、悪くはないとも思っているが、それをメインに据えるのは、「???」である。8割は、音声、会話で良い、と思う。その代わり、2割の受験英語は、妥協なしのやり方で進めて欲しい。

日本には、「悪しき平等主義」が蔓延っている。プリント1枚配るにしても、皆に同じものを配ることが、「平等」とされる。補講も、全員に対して、同じものを行っている。一部、習熟度別のものも取り入られてはいるが、、。

これが、いけない。全員が必修とすべきものは、当然ある。が、それを超えたものについては、選択制にすべきだ。

良くアメリカは自由で良いとされている。

が、その「自由」の意味を、本当に理解しているのだろうか?

必須科目を受講すれば、それ以外は、自由選択である。あるものは、さらに教科の学習を深める。が、あるものは、スポーツや芸術に、その時間を割り振る。

「勉強しなくても良いのか、良いなあ!」って。が、違う。教科の学習であろうが、スポーツや芸術の学習であろうが、自身の選択には、「責任」がある。しっかり、ちゃんとやらないといけない。

スポーツや芸術であっても、「課題」もあれば、「基準」もある。課題がダメでも、基準を越えられなくても、「落第」だ。その教室から出されるだけでは、済まされない。学校から、出されることになる。

これが、アメリカ的な「自由」である。手前勝手の、自分にだけ好都合な自由など、存在しないのだ。権利としての自由が確立されている、アメリカの自由は、厳しいのだ。

freedomとlibertyの違いを知っておきたい。

自己中のfreedomと、責任のあるliberty。

何方を目指しますか?