ITTO大和田駅前校。成績。


中学生にとって、成績は2つある。

一つは「通知票」に現れるもの。

もう一つは「模試結果」に現れるものだ。


一つ目は、学校での授業を中心とした取り組みに対する評価。二つ目は、模試の結果、すなわち、偏差値に現れる評価だ。


二つ目の評価は、そのまま、入試本番の筆記試験の結果に直結するもの。埼玉の場合、併願私立高校の推薦入試には、あまり影響はないが、公立高校の入試結果には、直接大きな影響を及ぼす。実力、学力としての成績だ。


問題は、一つ目の成績。中学校の評価だ。

私は、一貫して、中学校の評価は、「努力点」であるべきだと考えている。その生徒の持つ、基礎能力、レベルを見て、その上で、その能力で、どの様な取り組みをしているか、したかを、評価すべきだと。


春先に行われる「スポーツテスト」。あれは、何の為に行うのか? 足の遅い、鈍臭いヤツを見つける為か? ある意味正しいが、本質的には、大いに間違っている。純粋に、その生徒の基礎能力をみるものだ。

例えば、50m走。A君は9.5秒で走り、B君は7.0秒で走ったとしよう。これだけで「成績」を付ければ、A君は、1か2か? B君は、4か5か? ということになるだろう。でも、そんなことはしない筈だ。が、そんなことを、してしまう向きもないわけではない。つまり、あるということだ。

正しい「評価」を付けるとすれば、こうなるだろう。3ヶ月後、もう一度、50m走をやって貰う。A君は9.2秒で走り、B君は7.3秒で走った。どうだろうか? A君は頑張り、B君は手を抜いたとも見れる。そうだとすると、A君の方に高い評価を与え、B君の方に低い評価を与えることを考えるべきだ。その為の、スポーツテストであるべきだ。

つまり、中学の評価は、実力の評価を0にする必要はないが、努力の評価を大きくすべきだ。

どんなに基礎能力の低い生徒であっても、努力すれば「4」の取れる評価基準を用意しておいて欲しい。そうでなければいけないと考えている。

一介の塾やの言うことではないかもしれないが、心底、その様に思う。

が、ずっと塾に居て、塾やをやっていると、そうでない事例を多く見て仕舞っている。努力が報われない、そんな事例を。真っ当に努力することの大事さを、それを実践する重要性を、生徒に示し、教えて欲しいと思い続けている。私が残念に思うくらいのことは、どうでも良い。が、生徒が、残念なことにならないことを、切に願うばかりである。