1208日目
Waves of people in Tamil Nadu,India
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Kodaikanal→ Trichy(Tiruchirappalli)→ Thanjavur(Tanjore)→
Kumbakonam→ Chidambaram→ Puducherry(Pondicherry)→
Mahaballipuram(Mamallapuram)→ Kanchipuram→ Chennai(Madras)
コダイカナル(コディ)→ティルチー(ティルチラパッリ)→タンジャーヴール(タンジョール)→
クンバコーナム→ チダムバラム→ プドゥチェリー(ポンディチェリー)→
マハーバリプラム(マーマッラプラム)→ カーンチープラム→ チェンナイ(マドラス)
昨日(7/22)から、
インド4大都市の1つであり、タミルナード州の州都であるチェンナイに来ている
(ってか、wifi ポイントを発見できたのはマジ奇跡に近い・・・汗)
前回綴ったコダイカナル(コディ)をあとにしてからは、
1都市平均2泊のペースで、24時間制の宿のシステムを上手く利用しながら、
ドラヴィダ文化の宝庫と言われる【タミル】を直接肌で感じることに神経を注いだ
(タミルナード州は、古来から続くヒンドゥーの文化がインドの中で最も色濃く強い)
ゆえに、外国人旅行者がスルーするようなヒンドゥー教の小さな巡礼地(町)にも足を運んだ
インドに来てから何10回と乗りまくっているローカルバスや、
宿探しについては、過去記事でも何度か綴ってきたから多くは語らないが、
すんなり行く時もあれば、想像を絶する瞬間を突きつけられたりなど、
僕の中にあるいわゆる【常識】を【無意味な線引き】と思ってしまう状況が多々あった
特にティルチーからチダムバラムまでの4都市は、
外国人旅行者はおろか、英語を話せる人ともほぼ会わなかったので、孤独と向き合うことになる
1人の時間は嫌いじゃないけど、【会話ができない】【会話にならない】
とゆう状況が続くと、微かなストレスを無意識レベルで積もらせる
そうゆう状態のときに絡んでくる物乞いや金銭目当てで話しかけてくる人たちには、
いつものように笑顔で対応するのが難しくなり、どうしても威圧的になってしまう
特に炎天下の中で歩き回り、なかなか宿が決まらないときなどは結構ピリピリモードだった
(まだまだ人間できてねーな~...と宿で落ち着いたあと反省)
でもよくよく考えれば、僕が好き勝手に彼らの土地を歩いているわけだから、
それら(僕の中には無かった通常)と上手に向き合っていくのが郷に従うとゆうこと
そもそもタミル語ができない俺にも原因があるわけだし・・・
etc...
っとゆう感じである時から僕は、いろんな自分と会話をすることになる
どこにいようと日頃から、人間とゆう生き物は何かしらを思考していると思うけど、
人と会話ができない状況になってみて初めて、出会える自分がいるとゆうことを知った
ま、いろいろあったけど、そういった時間を過ごしたことで僕は、
言語とゆうツールを介さずに、タミルの人たちとの接する方法を自分なりに学び理解した
っとは言え、
微かなストレスを洗濯せずに移動し続けた代償は、
基本ポジティブな僕の精神を分散させてしまうとゆう現象を引き起こす
精神が衰退しているときほど、ネガティブな陰の空気は嫌らしく近づいてくる
(それらから逃げずに対峙することが自分を磨くことになるのだろうけど・・・)
それらが原因とは断定できないが、、
騒動1:体中全身がめちゃめちゃ痒いんだけどどうしよー事件
(バザールで柑橘系のフルーツを買い、ビタミンを摂取しまくりとりあえず解決)
騒動2:カメラのレンズに不具合が発生し写真が撮れなくなったけどどうしよー事件
(写真撮る為に旅してるわけじゃねーしな・・・と深く落ち込んだあと強引に開き直り弱解決)
などなど、
他にもまだまだ綴りたいストーリーはてんこ盛りにあるけど、少しだけにしときます
(牢屋のような宿にもたくさん泊まったなぁ~・・・って今もだけど...笑)
っとその前にまず、皆さんに1つ謝罪をせねばなりませぬ
1174日目の最後にでかでかと書き、2週間以上成功していた【禁煙】の件ですが、
迫り来る見えないインドのプレッシャーに押され、1本、また1本と・・・
まだまだ精神が穴ボコだらけの僕でした。。ごめんなさい。。
ちなみに酒類はカニャークマリ以降1滴も口にしていないから、もう1ヶ月以上も飲んでない
そもそも南インドは酒屋が少なく、限られたBar だけ・・・とゆう町も多かった
(それと、ケーララに比べ、タミルナードはビールが高過ぎる・・・苦)
。。。。。。
。。。
。
クンバコーナム滞在3日目(7/15)、
日本を出国した5月15日から丁度丸2ヶ月が過ぎようとしていた日
いつも通りチャイを飲んだあと朝の散歩をしていたら、ビーサンの右先端がちぎれる
(よくよく見たら、左も寿命が秒読み状態)
出国数日前(5/12)に、aloof 主催のfarewell party かと思いきや、
白馬で出会った仲間達や、フィリピンEB時代の相方A君がサプライズで登場してくれた
その送別会で、大阪からわざわざ東京まで駆けつけてくれた白馬の相方ショーに、
「Have a good trip Mr,G!!」とプレゼントしてもらった大切なビーサンだったのに・・・
クオリティーも履き心地も、
今まで履いた数多くのサンダルをダントツで凌駕する1品で気に入っていたのに・・・
物には寿命があるとはいえ、たった2ヶ月で・・・
悔しさと切なさでいっぱいになり、ぼぉ~っとしながら、
裸足のまま、クンバコーナムの町中や数ある寺院を1時間ほど歩いた
どの町でも、サンダルや靴の修理屋の露天がちょいちょいあるのだが、
尋ねても、親指と人差し指の間のところがちぎれてるから修復は難しいと言われた
(縫ったとしても直ぐにまた壊れるとのこと・・・)
まぁ~、、2ヶ月とはいえ、
いろんな所を歩いたけど怪我のひとつもなかったのはこのビーサンのおかげか・・・
と気持ちを切り替え、ボロボロになったビーチサンダルとお別れをした
(ごめんねショー・・・涙)
(世界遺産でもある、タンジャーヴールのブリハディーシュワラ寺院の夜の顔)
長い間フランス領だったポンディチェリーに着いてからは、
ラーメーシュワラム以来の海(ビーチじゃないけど)を眺めたり、
他のタミルナード州の町とは違うフランス風の洗練された雰囲気を感じた
(外国人コミューンがあるだけに、多くのヨーロピアンともすれ違った)
学術的に重要視されている歴史の深い小さな村のリゾート地マハーバリプラムでは、
ビーチに面した好立地のロッジをゲットしたので、久々にゆったりすることができた
(マハーバリプラムには、ドラヴィダ建築の元となった世界遺産の遺跡がある)
しかもマハーバリプラムでは、インドに来てから2度目となる日本人にも遭遇した
(1度目はワラカラで、1164日目を綴る為、wifi のあるカフェへ歩いていた時)
マハーバリプラムから現在滞在しているチェンナイまでは、
ベンガル湾沿岸を北上して約60キロと近距離なのだが、
寺院巡りのまとめの意味も込め、バスを乗り継ぎ内陸部のカーンチープラムへ
(チェンナイから南西74キロ斜め下に位置するカーンチープラム)
このカーンチープラムはヒンドゥー7大聖地の1つとゆうこともあり、
町中のあちこちに大小さまざまな寺院が点在していた
ま、実際、ヒンドゥー教の人たちが言うには、
【自分が崇める神様を奉っている寺院がある町は、全てが聖地!】とのことらしい・・・
(ヒンドゥー教は三神一体をベースとした多神教)
タミルナード州に来てから、本当にたくさんの寺院を見て歩いたけど、
ヒンドゥーの歴史を上っ面しか知らない僕にとっては、何かを感じるだけで精一杯
訪れたことで生まれる疑問は近くにいる人に聞いたりもしたけど、複雑で深い・・・
歴史的建築様式の変化も勿論だが、それより僕は、
巡礼者が偶像の前で祈る独特の作法のバリエーションに趣を感じた
(神様によってお祈りの仕方が違うんですね~)
それと、どの町にも共通して言えるのが、寺院内で食事をする教徒の多さ
(遠足ですか?とツッコミたくなるほど)
【神聖な場所であると同時に生活に密着した存在】が寺院の持つ意味なんでしょうね
大きな寺院では大抵、このように象が入り口近辺で迎え入れてくれた
(ジヴァ神の子供で、象の顔を持つガネーシャは人気の神様の1つです)
スピリチュアルなタミルナード州から、ギアを入れ替え自分を追い込んだ流れは、
僕にとって必要(必然?)な修行の場だったなぁと今だから思える
なかなか強烈・・・ってな瞬間も多々あったけど、
タミルを生きる人たちといろんな角度から向き合ったことで、
言葉では表現できないけど、僕は確かな【なにか】を吸収したと自負できるから
p.s.
親しくなった数人の誇り高きタミル人が僕にこう言う>>>
United States はアメリカじゃねーぜ!それはここインドなのさ!
よく考えてみな・・・
歴史の浅いアメリカなんて、誰もが新しい言語である英語を共通語としているのに対し、
インドでは州ごとに独自の言語があるだろ!
特にここタミルの言葉は、世界最古の5大言語の1つなんだぜ!
だから俺たちゃ~、この国のことを【United States of India】って主張してんのさ!
そして僕はこう返す>>>
USIの旅路で、偶然にもあなた方に会って話ができた僕は幸せ者ってわけだね!笑
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Ciao