2078日目
Into the local life in Chiapas, Mexico
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
Mexico city→ Tabasco(Villahermosa)→
Chiapas (Tuxtla→ Villaflores→ San Cristobal de Las Casas→ Salto de Agua → Acacoyagua)
メキシコシティ→ タバスコ(ビエルモサ)→
チャパス(トゥスラ→ ビヤフローレス→ サンクリストバル→ サルトデアグア→ アカコヤグア)
メキシコシティ滞在3週間の日々以降から僕の環境は一変した
(G-movie episode 3 Vancouver後の夏からチャパスin数日までの記憶)
これを観て頂けたら想像は早いと思うのですが、簡単に言うと、
リアル・うるるん滞在記 in メヒコ的な。。
ラコロニアルで親しくなったYの実家タバスコ(僕は1週間遅れでin)は、
首都メキシコシティから夜行バスで南下して約11時間。。
気候はまさにトロピカルで朝晩は肌寒さを感じていた首都とは違い、
早朝から一気に気温は上昇し、日差しは痛いくらいに強烈。。
時に激しく降りしきる雨は東南アジアのスコールに似た香りがした
(3日前後止まない土砂降りの時はさすがにビツクリでしたね)
(東南アジアの雨期と同様、洪水系災害は毎年普通とのこと)
タバスコ(滞在は州都ヴィエルモサ)での17日間と、
2週間の予定が現在も滞在しているチャパスでの日々を綴ることは非常に難儀
難儀って言葉でまとめてしまうのも申し訳ないくらい困難を極める
とハッキリ言い切れるくらい、この約1ヶ月半でいろんな感情がぐにゃぐにゃした。。
ぐにゃぐにゃを言葉に表すには説明だけでも時間をだいぶ有するので、
現在作成中のG-movie episode 4でご想像して頂けたらなぁと思う所存であります
(その時までお待ち下さいませ)
言葉がまったく通じないローカルの環境下で生活していると、
つくづく気づかされることが沢山あるわけだがその1つが、
僕はやっぱり、日本人で東北人なんだなぁと。。
年齢、国籍、性別不詳とこれまでよく言われたもんですが、
特に久々先進国カナダにinしてからは日本人中心の生活とゆうこともあり、
やっぱ自分は通常の日本人の感覚とはちょっとズレてるのかなぁ~と思っていたが、
なんのなんの、確かにちょっとズレてるかもだけど根本的感覚は立派なハポネスだった
(旅ともまた違う、日本人ゼロ環境での生活が改めて教えてくれた)
同じ場所で生活しているからこそ100%理解できてなくとも見えてくるし、
何より、これまでの足跡と現在の年齢的に既に身に染みていることが多々有る
ぶっちゃけ年齢なんて関係ないっしょ!って派の僕ですが、
その年齢にならなければ本当の意味で理解できないことがあるんだなぁって。。
(特にバンクーバー滞在が1年経過前後からその思考は深さを覚えた)
いろいろなところを訪れて、体感して、そしてまた移動して・・・
百聞は一見に・・・を繰り返してきたこれまでが充分にあるから今の自分の感覚があるし、
だから今は、場所は違えどそれらを見つめながら現在と過去を深める時なんだと思っている
(東京で7年美容師ingとほぼ同じ時が間もなく経過しようとしておりますし)
そしてどうやったらそれらが未来で輝くのか・・・?
ってことをなんとなく毎日頭の中でぐにゃぐにゃしながら、
違う価値観の大家族との生活を通して、生き方を学んでいるんだなぁって。。
本当は細かく綴り伝えたいけど、やっぱ、今の僕の感情を簡単に綴ることはムズカシイ。。
(スペイン語まみれが通常なので日本語で文を考えることもなんとなく・・・)
(Yとお別れチャパスinしてからは英語を話せる人と出会うことすらレアだし)
南インドで感じたそれとはちょっと違うけど、
やっぱ、まともな会話ができない期間が2週間以上続くと、人の感覚はズレ始める
(おはよう!とか、ちょっとした挨拶は会話じゃないですからね)
音程と一緒で、ドミソ、レファラみたいにしっくりくるズレと、
不協和音やハウリングのようなズレと2種類あるけど、だいたい最初は後者
前者ドミソ、レファラ的しっくりのズレを感じる為には、それなりにモガク必要がある
(それなり度って人によってまちまちだけど、ま、楽な時間ではありません)
それにしてもメヒコの大家族っぷり、親戚との繋がり方は広くて趣がある
(規模は違えどたまに自分の幼少期を思い出すことも・・・)
でも広くてちょっと複雑だからこそ、説明が必然的に長くなってしまうのです
(日本人の感覚ではちょっと理解が難しい家族構成でもあるので)
チャパス(滞在は州都トゥスラ)のローカルアパートで1人暮し半月経過後からは特に、
週末は違った家族と別な街へ出かけたり、そのまま数日ステイすることになったり。。
(クリスマス前後からの広がり&深まり度は更に加速した)
メキシコの中では経済的に貧しい州チャパス(遺跡とかない)のようですが、
美しい緑が至る所に溢れ、街(標高)によって表情や気候のバリエーションも多彩で、
なによりその環境下で暮らす人々は穏やかで温かく、優しい気持ち良さに満ちていた。。
(危険度が高いメキシコの感覚を忘れてしまうくらいに)
と言っても僕のスパ語力はまだまだ3歳児以下の赤ちゃんレベルなので、
しょっちゅうぬぅあぁぁ~ってなりながらも、今では家族みんな(子供たちも)が先生となり、
ゆっくり基本的な文系で子供に言葉を教えるかのように僕をサポートしてくれている
(勉強とゆうより、体にしみ込ませてるとゆうイメージ)
不意に、なんでここでこんなことをしてるんだろう。。
と思ってしまう瞬間もあるわけだが、自分の選択以外の何モノでもないわけで・・・
その先に何があるかを考えてしまうとちょっと息が詰まったりもするが、
でも今は、あともう少しだけはこの、なんだろう?とゆう感覚に逆らわず身を任せたい
それが今の僕にとっての、僕オリジナルの時間の味わい方であり、
今後の僕にとって大きな意味を持っていると信じているから。。
p.s.
それでは皆さん、良いお年を。。
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Ciao
1647日目
G`s Vancouver life is,,
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
( in Asia after India のオープニングはコチラから!)
I had been working as a gardener for more than 4 months till 5th of Sep and then I`ve started working as a hairstylist which is my profession since 6th of Sep here in Vancouver, Canada
皆様ご無沙汰しております
早いもので、僕がバンクーバー入りしてからあと2週間程で半年が過ぎようとしています
2009年2月23日を最後に美容師をひとまず休憩してからこの数年間、
手探りよじ登り系スタイルで自由気ままに世の中を流れてきましたが、
思えば、同じ場所で約半年以上滞在するのは初めてになる
昨年のメインディッシュだったインド編もトータル滞在は約半年だが、
ヨガのため留まったリシュケシュの1ヶ月滞在以外は数日~1週間で移動していたし、
2年前のフィリピン編や、4年前の白馬編も滞在場所は一定していたとはいえ約5ヶ月前後
それ以外の期間も、東南アジアのローカルを中心にいろんなところで寝泊まりしながら、
僕のライフスタイルは【移動】しているのが当たり前になっていた
そんな状態で初となるアメリカ大陸しかもヨーロッパ編以来、数年ぶりの先進国での生活
(学生さんや、お金を貯めてからカナダに来た人たちとでは状況が明らかに違う)
そう、何よりもまず僕は、生活していく為の軍資金を得る環境に身を置く必要があった
ここ数年の間だけでも、じわりじわりと物価が上昇している開発途上国とはいえ、
日本人の一般的な金銭感覚で東南アジアに行ったら、全てが安価に感じるであろう
僕の場合、その安価な状況よりも更にローカルな目線でぶらりしていたので、
変な話、何もしてなくても、その街の安宿とローカルな屋台さえ見つけてしまえば、
先進国での1日の最低出費額がそれの数日~1週間分くらいになる
実際、お金がどーこうってだけじゃないけど、
その方が各国の街や村のリアルなローカルを実体験でき、僕のぶらりのテーマに呼応する
(僕のぶらりテーマはインド編のまとめを見てもらえばご理解頂けると思います)
正直、僕のぶらりテーマからするとカナダは恵まれ過ぎていて本筋ではない
しかし、次のターゲットである中南米へ向け、ある程度まとまった貯えは必須だし、
長きに渡り世界で住みたい町ランキングの上位に君臨しているバンクーバーを知るには、
やっぱ直に住んでみなければ分からないよな~ってゆう考えから今に至るってわけです。。
っとゆうことで、カナダでは美容師として働こうと思っていたけど、
せっかくだしその前に、日本ではできないような仕事を経験したいと考えていた
ってな流れから話がうま~く進み、入国4日目から、僕はガーデナーとして働くことになった
(ガーデナー・・・いわゆる庭師です)
ヘアースタイリストとしてではなく、
【芝カリスト】&【草ムシリスト】として大好物の直射日光を存分に浴びまくりながら、
個性的で幅広い経験を持つ親方(カナダ歴約45年)と共に作業の日々が続いていた
高層マンションや、隣の家と家が密接し立ち並ぶ日本(特に東京)と違って、
BC州の法律により区画された土地や高さの規制が細かいバンクーバーでは、
各家の敷地にそれなりの空間と芝があり緑も多い(基本、敷地の広さに芝の面積は比例する)
どの職業でもそうだと思うが、ガーデナーにも様々なビジネススタイルがあった
月契約で、伸びていようがいまいが週1ペースで芝刈りしかしないガーデナー
従業員がそれなりにいて、広大な敷地の公園や墓地などを専門とするガーデナー etc..
僕が一緒に働いていた僕の父より年上の親方は現在、
昔から付き合いの長いお客様だけに顧客を縮小し、無理しすぎない範囲で仕事をしていた
っとはいえ、顧客の紹介で造園の依頼があったり、池作りでセメントをこねたり、
ガーデナーなのに【なんでも屋】的なイメージから家の塀や下水管を作り替えたり、
雨の日が続けば作業予定に支障がでて、別の日にそれをカバーしなければならなかったりと、
なんだかんだでバタバタした数ヶ月を過ごしていた
今年は日本も東南アジア化してしまったかのような猛暑が続いていたようだけど、
バンクーバーでも6月末から丸1ヶ月間、雨の日ゼロ記録を更新するほど日照りが続いた
(日本と違って日陰に入れば涼しいし、夜は日中の暑さが嘘のように過ごしやすいけど)
個人的に日光は大好物だから大歓迎なのだがガーデナーとしては、
湿度の低いバンクーバーで雨が降らない=芝が枯れてしまう=仕事にならない
と、週1休みでいい感じに続いていた生活リズムにズレが生じ始めた
(芝刈り以外にもやることはあるのだが、木を切るには時期的にちょっと早かったりetc..)
まるで「そろそろ美容のことを考えるのじゃ!」と、
【お告げ】を受けているかのような感覚になりながら転職への準備を始めたのが8月下旬
当初の予定では、ガーデナーとして働くのは2ヶ月くらいのつもりだったのだが、
いろいろなエリアへ移動しながら、様々な景色を見れるとゆうメリットが僕にはあったし、
何よりも、一緒に働いていた親方の人間性が僕には興味深かった
戦後まだ日本人に対する偏見があった時代から現在までを生き抜いてきた親方の話は、
実体験に基づいているだけあって力強く、かつバンクーバーの歴史を疑似体験した気分になれた
(親方から聞いた話だけでも結構なストーリーを展開できちゃうほどの・・・笑)
(家の前からの眺め・・・夏は22時前後がサンセットタイムだった)
っとま~、、
親方から聞いたこと以外でも、新しく出会った仲間たちのことなど、
綴れることはたくさんあるのでblogを更新しようと思ったことは何度かあったのだが、
正直、なんとなくblogって気分にはならなかった
今まで僕が綴ってきたことは、情報のそれほど多くないローカルな世界を僕目線で・・・
っとゆうスタイルだったけど、バンクーバーでは基本仕事をしていたし、
何より既に情報量があり過ぎて、僕のフィールドではないと感じてしまっていたからかもしれない
ワーホリなどでカナダに来た人のほとんどは、
語学学校に行って、新たな出会いがあって、それなりに旅行に行ったりバイトしてみたり・・・
ってな流れでカナダライフを満喫して帰国するパターンが一般的だろうけど、
先にも述べたように、今の僕は年齢的にもこれまでの足跡的にも状況がちょっと違う
小さな犯罪はあるにせよ、バンクーバーは東京よりも治安がいいと僕は思うし、
香港人を中心とした中華系民族、インド系などアジア色も多彩であることから、
特に海外ビギナーの方たちにとっては非常にいい環境が整っていると言えよう
そう言った意味でも、バンクーバーは日本人にも馴染みやすい町だと思うし、
町の規模に対し自然が豊富で景観も雄大かつ、噂通り夏は最高の快晴続きだったので、
住みやすい町ランキングの上位をキープするのにも深く頷ける
(移民者の意見としては医療など、それなりに問題はあるようだが・・・)
ただ、既に始まっているけど夏が過ぎ去ってからは秋の心地よさは少なく、
夏の日差しが嘘のように雨続きのどんよりした空模様がひたすら続くみたいなので、
ちょっぴり淋しい気持ちではあるけど、まぁ、それも過ごしてみなければ分かりませんよね。。
fb には以前アップしましたが、今年の僕の誕生日(8/17)のバンクーバーのようす
(ゾンビ・ウォーク・デイと同じ日って・・・笑)
っとゆうことで、
いろいろありながらも偶然とタイミングが一致し、
9/5 までガーデナーを継続した翌日 9/6 から美容師として、
バンクーバーで鋏を握る日々がスタートしてから早1ヶ月になろうとしている
ガーデナー中も親方や奥さま始め、
一緒に住んでいるフラットメイトやその友人の髪を切ったりと鋏を握る機会はあったけど、
いざ久々の現場で、しかも英語で対応するのはなかなか良い刺激であります
(会話はだいぶブロークンではあるけど・・・勉強しなきゃな、、汗)
カット以外の施術はブランクがあるので心配事もゼロではないけど、
日本や他の国で経験を積んだ後、カナダで更に経験を積んだスタッフが独立したお店なので、
僕の状況も受け入れて頂き、非常に働きやすい環境を提供して頂いている
お店の雰囲気やスタッフの人柄も今まで僕が働いていた aroof(アルーフ)と同じ香りがするし、
何より屋号が ALLURE(アルーア)ってゆうこの二アリーな偶然にも運命的な何かを感じます
シンプルだけどお店のHPは>>>コチラから!
(ちなみに僕のサロンネームはGです笑)
バンクーバーに足を運ぶ機会がある方は、是非遊びにいらして下さいね!笑
新しく出会った個性的な仲間達のことなども綴りたいことはあるのだが、
とりあえず僕のバンクーバーライフ上半期をざっとまとめるとこんな感じです
(旅中と違って、写真もほとんど撮ってないので少なくてスミマセヌ。。)
p.s.
バンクーバー編として【希望と無謀の実況中継3】を開設しようかとも考えてましたが、
理由は中盤で述べた通り、ちょっと気分的に今は違う気がするので今回を最後に、
しばらくblogはお休みしようと思います
blog更新の悪さが過去最高だった為、
心配してメールを下さったたくさんの方達には本当に感謝しています
とりあえず、最低でもあと半年は今の状況が続くと思われますので、
ローカルなアジアを旅していたときよりも安全度は天地の差ですからご心配なく!笑
最後に、今までご愛読ありがとうございました
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in Asia after India・・・・・・完
1489日目
Home town→ South Vietnam→ West Japan→ Tokyo→ Vancouver
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
Kamaishi(Iwate Prefectur)→ Tokyo→ (Shanghai)→
Ho Chi Minh→ Mui Ne→ Nha Trang→ Buon Ma Thuot→ Ho Chi Minh→
(Shanghai)→ Osaka→ Tottori→ Shimane→ Kagawa→ Okayama→ Osaka→ Tokyo→
(Beijing)→ Vancouver
【Japan→ (China)→ Vietnam→ (China)→ Japan→ (China)→ Canada】
釜石→ 東京→ (上海)→
ホーチミン→ ムイネー→ ニャチャン→ バンメトート(ブンマトート)→ ホーチミン→
(上海)→ 大阪→ 鳥取→ 島根→ 香川→ 岡山→ 大阪→ 東京→
(北京)→ バンクーバー
【日本→(中国)→ ベトナム→(中国)→ 日本→(中国)→ カナダ】
First of all, I finally arrived here in Vancouver just a week ago after traveling South Vietnam & West Japan. It`s my first time to be in the American continent since I started traveling the world 4 or 5 years ago,actually.. In any case, My mind was a bit busy this month..
前回1452日目をアップしたあと、両親と最後の晩餐をし夜行バスで東京へ
東京でベトナム用に荷物を調整し、千葉の友人宅へ移動した翌日(3/26)の昼過ぎに出国
上海の空港内で5時間ほど待った末、
日付替わって現地時間3/27の夜中1時過ぎに3度目となるホーチミン着
タクシーや宿代などの無駄な出費を抑えるべく、
市内へ行くローカル路線バスが走り出す時間まで空港の外のベンチで数時間仮眠
2ヶ月ぶりに、程よく湿気を含んだ生温い空気に浮ついたのも数時間だけで、
日の出と共に気温は一気に上昇し、宿を探していた朝6時の時点で既に汗だくになっていた
地元釜石からホーチミンまでの移動数日&想像以上の暑さ度合いに気力を奪われながらも、
夕方頃、チェンマイで出会った仲間Rちゃんと無事合流し、翌日から南ベトナムぶらりが始まった
っと、、
ここから綴りたいことは本当にたっぷりとあるのだけれど、
南ベトナムでの海・小川・砂漠・島・山・滝・湖を全身で感じ続けた2週間と、
関空着で帰国後の関西プチぶらりから都内での数日滞在まで、毎日続いた仲間との再会、
そして、初のアメリカ大陸上陸となった現在までをまとめるのは濃密度的に非常に困難を極める
(珍事件なども細かく綴っていったら本が1冊できあがる気がする・・・)
言葉に表せない程の衝撃が何度も僕の細胞内をスパークする瞬間が繰り返されたこの1ヶ月間
たった1ヶ月とゆう期間の中で、
これほど流動的&親しい仲間たちと【再会】し続けたのはこの数年の中でも初めてかもしれない
(僕の時間が足りなくて会えなかった友人も多々いるが・・・so sorry mates)
入国から既に1週間が経過したバンクーバーでのことも綴りたいことがあるのだが、
今回は、かなり断片的ですが南ベトナム2週間&西日本プチぶらりの写真をメインに・・・
。。。。。。
。。。
。
1発目に訪れた小さな港町【ムイネー】のフェアリーストリーム(妖精の小川)にて
同じ場所なのに明らかに違う色合いの砂や、イビツな地形にただただ驚かされた
驚きのあとに押し寄せたのは、興奮と感動でした(ちょっとしたオチがあったけど・・・)
ムイネーの奥地(バイクで約1時間ほど)にある白い砂丘より
到着時間が正午だったので、太陽の位置的に影が無く砂丘のシルエットが写真では分からないのが残念
(ただ、砂漠の規模は果てしなくデカイ!しかも海がわりと近くにある不思議な感じが更にWoW)
次の街【ニャチャン】での、ビーチ&島巡りボートトリップ
食事の物価はちょっと高めだったけど、美味しいシーフードを毎晩ぺろりました
(ボートでの昼食後に指名が入り、みんなの前で上を向いて歩こうを熱唱させられドガーン!笑)
ニャチャン後は海から離れ、外国人旅行者がほぼ皆無だった【バンメトート】へ
バンメトートへ来た1番の目的は、この巨大なダライヌア滝&ダライサップ滝!
(今回は乾期だったけど、雨期はこれ以上に水量が激しいのだろうか?笑)
バンメトートでは英語がほぼ通じなくて苦戦したが、でもそれがまた、旅に彩りを与えてくれた
(屋台はもちろん、カフェやバーでも全てベトナム語のみで英語メニューは無し)
っとまぁ~、究極なザックリまとめになってしまったけど、続きまして西日本ぶらり>>>
帰国後翌日(4/11)の昼過ぎに、これまたチェンマイで出会ったRさんと大阪で合流し、
それからトラックで鳥取県、翌日は島根県、その次の日には瀬戸大橋を通って香川県へ
全てが僕の初めて訪れる場所で、太平洋とは違う海の美しさ、山の景観、食事etc..
まだまだ僕の知らない日本はたくさんあるんだな~と痛感させられながら、
毎回の食事や移動など、至れり尽くせりオーガナイズして頂き、
しかも最後には岡山県の新倉敷~新大阪までの新幹線のチケットまで・・・
(新幹線なんて10年以上ぶりに乗ったけど、めちゃくちゃ早くてチョー快適でした)
本当はもっともっと、もっともっとストーリーを展開していきたいのだが、
綴りたいことがあり過ぎるがゆえの、この究極なザックリ感をどうぞお許し下さいまし。。
ってなわけで、数年間続いていたアジアぶらりのステージから、
人生初となるアメリカ大陸は北に位置するカナダのバンクーバーより、
これまでのような【旅】とは違う、最低1年間の【生活】が幕を開けました
(4/19 北京からバンクーバーへと飛び立った数時間後に拝めたスピリチュアルな1枚)
p.s.
現在バンクーバーは、4/28 になったばかりの夜中 1:50
到着後から早速いろいろありましたが、とりあえず入国4日目にして既に仕事を始めています
(月~金曜までの5日間、バッチリ働いてきたぜよっ!)
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Ciao
1452日目
Home sweet my home town for ages, Northeast Japan
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
Langkawi→ KL (Kuala Lumpur)→ Tokyo→ Kamaishi(Iwate Prefectur)
【Malaysia→ Japan】
ランカウェイ→ クアラルンプール→ 東京→ 釜石
【マレーシア→ 日本】
I`ve been in my home town after staying in Tokyo for a month and half
まず始めに、皆さんご無沙汰しております。。
1/20(日)の夜中に羽田着し、
常夏気分が全身に染み付いたままの薄着ビーサン姿で、
東京を旋回していた刺すような寒さと我慢比べをしながら電車を乗り継ぎ、
昨年5月の出国までの間、約半年間滞在していた恵比寿のpeaceful houseへと無事着。。
帰国早々から親しい仲間との再会をちょいちょいしながらも、
2月上旬から3月上旬までの約1ヶ月少々は、夜のバイトで心身共に打撃を受ける日々を送っていた
(夜のバイトと言ってもアヤシイのではなく、いわゆる肉体労働です)
過去に肉体労働の経験がほとんどなかった僕にとってはある意味、勉強になったのかな~?笑
ま、正直なところ、業務内容の厳しさがどうこうってよりも、
多くの人たちが帰宅する時間から出勤するまでの、
世の中が眠っている時間に体を動かす難しいさを痛感
旅中はもっぱら、空が明らむ頃には自然と目が覚め、陽が沈む頃にはうとうと・・・
ってゆうような生活だった&日本でも最も寒い時期での業務となったので、
【真逆の時間軸&急激な気温差】の【ダブルギャップ】がある種、僕にとっては修行となりました
(ま、いずれにせよ、やはり太陽の力は偉大だとゆうことですね)
そんなこんなで約1ヶ月半の東京時間を、
新たな旅人たちで構成されたpeaceful house恵比寿をベースに、
フィリピンEB時代からの仲間Hのサポートを受けながら、
ネクストステージへ向けての下準備をじわりじわりと進めていた
(帰国から数日間は冬服ゼロでしたので・・・笑)
今年で2年が経過した 3.11 を、地元釜石で迎えようかとも当初は頭にあったけど、
イメージしている今後をスムースに進めて行くのにリズムが合わずズレてしまったが、
先週金曜の早朝、1年以上ぶりに帰郷し現在に至る
過去記事1076日目:Finally,,my parents got a new house of their own
で皆さんに報告させて頂きましたが、仮設住宅で生活していた両親の新居購入から、
早いもので既に1年以上が過ぎていたわけで、
今回の帰郷でやっとこさ、新しい実家の玄関を初めてくぐることができた
母方の祖父母を始め、親族と再会をしながら、
春のお彼岸とゆうことで父親と墓掃除をしたり、親族をカットしたり、
今回の旅中に学んだタイ古式マッサージのモデルになってもらったり、
釜石の風を感じながらジョギングしたりと、ゆっくりと地元の空気に浸かっていた
2011年の夏に帰郷し2ヶ月釜石に滞在していたときは、
震災からまだ数ヶ月しか経過していなかったし、
場所も場所だったので親族以外には会わなかったのだが今回は、
高校時代に1年半くらいバイトしながらお世話になった中華料理店の方達や、
当時通っていた美容室のKさんと再会し言葉を交わしたりもしながら、
自分の原点とゆうか、初心的な気持ちを思い返す時間を持つこともできた
特に3月に入ってから、ニュースでは何度も「復興はまだまだ」と謳われていたけど、
僕が思うに、そんなことは既に分かりきっていたことだ
ずーっと被災地で生活しているわけではないから大それたことは言えないけど、
当時2ヶ月滞在していた時点で、最低でも二桁の年数は今後必要だと感じていたから
とはいえ、少しずつ変化していることも事実
瓦礫の山だらけだった町中や海のそばは、とりあえず片付けられてきているわけだし、
津波の被害を受け営業できなくなっていたお店も、改装や移転をし、再開し始めていたり、
公園や廃校になった学校の校庭で、共同の仮設店舗もできあがっている
綴りだしたらきりが無さそうだからこれだけにするが、
自分が育った故郷だからこそ感じることができる【なにか】を胸に、
プラスの経験とゆう【肥料】に変化させて今後の行動に繋げていきたいと改めて思った
地元釜石で体のリズムを整えながら、
初心を思い出しながら過ごした約1週間も残すところあと数時間。。
心身共にリフレッシュした僕の2013年ぶらりが、間もなく始動致しんす!
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Ciao
1387日目
Down to South & Adios Thailand from Malaysia
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Pai→ Chiang Mai→ Bangkok→ Krabi→ Border→ Langkawi
【Thailand→ Malaysia】
パーイ→ チェンマイ→ バンコク→ クラビ→ 国境(フェリー)→ ランカウェイ
【タイ→ マレーシア】
I`ve been in Langkawi which is an island of free of tax in the northwest Malaysia since 5 days ago..
。。。。。。
。。。
。
パーイで新年の数日を過ごしたあとは、そのまま一気に南下し、
数あるタイ南部の島々を転々としようと思っていたのだが、
残されたビザ期間的に、移動メインとなりゆっくりできなさそうだったので予定を変更し、
チェンマイ滞在時に親しくしていた仲間たちと最後のチェンマイライフを送った
お世話になったRさんからもらった写真に、最高の1枚があったので使わせてもらいました~!笑
(クリスマスなのに、4人でインド寺でカレー食べたあとのジャズバー ale,aleee・・・の帰り)
予定を変更した理由のもう1つは、
チェンマイで最もしたしくしていたスペイン人のRから、
「クラビ(マレーシアとの国境付近にある街)でGHのヘルプをしているからおいでよ!」
と声をかけてもらっていたので、次の移動もスムースだしと思い、立ち寄ることにしたのだ
Rさん帰国後に居候させてもらったRちゃんに見送られながら、
(イニシャル同じだけど3人とも別人で~す)夜行バスに乗りまずはバンコクまで>>>
予定より早く着いたのはいいが、早朝5時前でまだ真っ暗・・・
っとは言えさすがはバンコク。。その辺に点在するバーではまだたくさんの欧米人で賑わっていた
だいたいの旅行会社はオープンが10時前後なので、
酔っぱらいとすれ違いながら、とりあえず鉄道駅を目指すことにした
が、鉄道駅までの方向がよくわからない僕は、片っ端から周辺の人に尋ねまくる
(が、早朝歩いている現地の人の多くは英語が話せなかった・・・)
最後に話しかけた人がたまたま、ちょうど出張でタイ南部から来ていた人で、
しかも英語も堪能だったのでいろいろと質問しながら情報を提供してもらった
(どうやらクラビ行きの鉄道はないらしく、第2バスターミナルまで行く必要があるとのこと)
ご親切に第2バスターミナル行きのバス乗り場まで案内してくれた彼は、
「クラビのビーチを楽しんでね!」と、手を振りながら笑顔で僕を見送ってくれた
第2バスターミナル到着後、速攻でクラビ行きのチケットをゲットしに行ったのだが、
朝発の便はいっぱいで、夕方17:30発の便となり、約10時間待つことになる。。
(第2バスターミナルに到着した時のご来光!)
ってな感じで約10時間後、クラビ行きの(結構グレードの良い)バスに乗り一気に南下!
が、クラビに着いたのも早朝5時頃で、周辺はバンコク以上に真っ暗・・・
RがいるGHの名前以外、何の情報もなかった僕は、バスで隣に座っていたタイ人に質問!
それなりに英語が話せたクラビ出身のその女の子は、
僕が質問した内容に答えるよりも前に、「今、私の叔母が迎えにくるから一緒にどうぞ!」
っと、、便乗させてもらうことになった・・・WoW
途中で車を降りた後は、そのコのバイクに乗り換え、Rが滞在するGHの前まで僕を運んでくれた
(見ず知らずの僕を、しかも特にお願いしたわけでもないのに、なんとご親切な・・・涙)
まだ辺りは薄暗く、人の気配がまったくなかったので荷物だけ置いて、
近くにあるビーチへと向かった(海を見るのは南インド以来、半年以上ぶりだぁ~!)
タイ北部にいるときにはそれほど感じなかった蝉の合唱が、
南に来てからは早朝から激しく、暴走族のように鳴り響いているのが印象的だった。。
(ビーチからの帰り道、ちょうどご来光と遭遇したのでパシャリ!)
【エネルギッシュなスペイン人の象徴】
っと言っても過言ではないくらいパワフルなRと合流してからは、
一緒にお店の買い出しに行ったり、食器洗いを手伝ったり、
バイクでローカルなビーチに行ったりしながら、久々の再会を楽しんだ
(夕飯は毎晩、Rのスペイン&タイ料理ミックス!)
(クラビ初日のサンセット・・・過去ベスト3に君臨するレベルの美しい色合いだった!)
クラビ滞在2日目は、
同じGHに泊まっていた数人の旅行者と一緒に、ボートでしか行けないエリアへ>>>
(個人的に今までそんなに時間を共有したことがないオランダ人たちとの行動)
直射日光は北タイ以上に強烈だったが、頬にあたる潮風がそれ以上に心地よかった。。
(イビツな形をした巨大岩が至る所にあり、ロッククライミングする欧米人が結構いた)
岩山や林の中を移動しながらいくつかのビーチを巡ったり、
鍾乳洞とビーチが融合したところを泳いだりしながら、たっぷりと日光を浴びた
(&キワドイ所を泳いでる時、僕の額が鍾乳洞の角に直撃し流血・・・OMG)
夕食の支度があるRや、他のオランダ人たちは先に帰ってしまったが、
僕は、帰りのボートの上からサンセットを拝みたかったので夕暮れ時までビーチでのんびり。。
(17時半頃。。そろそろ僕好みの色合いになってきたので、いざ出陣!)
言葉は必要ありませんね・・・
滞在3日目の最終日は、初日と同じようにRのヘルプをしながら、ゆっくりと時間を過ごした
(Rの過去や、迷える今後のプランなどをアツク語ってくれた)
夕食はみんなからのリクエストでパエリアだったので、
宿泊客のほぼ全員(30人以上)が夕食を共にすることになった
(普段は外食をする人も多いので8人前後なだけに、買い出しの量や食器がハンパなかった~汗)
片付けをしたあと、Rと宿泊客のドイツ人4人との6人でバーへ>>>
(バンド演奏やファイアーダンスなど、イベント盛りだくさんでなかなかオシャレ!)
既に近所で有名人になっていたRは、程よく酔いが回ったところでステージに上がり、
独特のハスキーヴォイス(酒焼け?笑)を店中に響かせながら会場を盛り上げていた!
(ブルース系の曲を歌わせたらプロ級!ってほどの雰囲気&迫力を持ってます!笑)
っとまぁ~、僕のプチ farewell party は夜中まで盛り上がったわけだが、
当人の僕は、翌日早朝6時のミニバンでタイを離れる必要があった(ビザ最終日)
アルコールと睡眠不足でぼぉ~っとしながらも、
寝坊することなく起き、予定通りミニバンに数時間揺られながら国境のフェリー乗り場まで>>>
到着後フェリーの待ち時間はあったものの、国境通過は非常にスムースでポンッ!
ってな感じでフェリーの旅1時間半後、
現在滞在している無税の島ランカウェイ(マレーシア北西部)にやってきたってわけです
フェリーを降りた後、
入国審査待ちの時に親しくなったイギリス人のVと宿をシェアすることになり、
久々に聞くネイティブ・ブリティッシュ・アクセントにリスニングを鍛えてもらいながら、
ビーチでのんびりする時間をベースに、バイクをレンタルして島内を巡ったり・・・
(上8枚:数カ所ある滝を訪れたり、夕暮れ時にはロープウェーに乗って山の上から島を見降ろした)
(下2枚:24時間制だったので返却可能時間まで1人で前日には行けなかったエリアへドライブ)
英語の先生の経験もあるVだったので、プチ個人レッスンをしてもらったり、
マッサージのモデルになってもらったりと、ゆったりしつつも学びの時間も送っている
もちろん、お互い1人で旅をしてきたので常に一緒とゆうわけではなく、
部屋はシェアしつつも別行動もとりながら、程よい距離感で時間を共有している
ってな感じで、コーラよりもビールが安い【無税の島】ランカウェイで、
水のようにビールを飲みまくりながら久々のビーチトリップ堪能しているわけだが、
そんなトロピカル満天な非日常のスローライフもあとわずか・・・
8ヶ月以上続いている今回のアジアぶらりに、
いよいよ「さよなら」をする日が近づいて参りました。。
p.s.
数人の友人からメールをもらったのですが、今、東京がハンパない雪みたいですね~・・・
薄着&サンダルで旅をしながら常夏化してしまった僕の心身に、
呼吸をする余裕は果たしてあるだろうか若干心配ではあるものの、正直楽しみでもあります
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Ciao
1373日目
Back to ITM & New year from Pai, North Thailand
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
Luang Prabang→ Houay Xai→ Border→
Chiang Khong→ Chiang Mai→ Mesai→ Chiang Mai→ Pai
【Laos→ Thailand】
ルアンプラバーン→ フアイサーイ→ 国境→
チェンコーン→ チェンマイ→ メーサイ→ チェンマイ→ パーイ
【ラオス→ タイ】
First of all,, Happy Funky Crazy New year to all friends of mine!!!
This pic was taken in front of the former my parents house by my sis in Kamaishi,Iwate,Japan
( On the 1st of January,2013)
ちょっと出遅れてしまいましたが、皆様、あけましておめでとうございまーす!
(上の写真は、元旦に妹から送られてきた1枚で、今は亡き実家の直ぐそばにあった魚市場より)
ラオスにビザ無しで滞在できる15日間ギリギリまで粘り、その後、
マッサージ学習をリテイクすべく、予定していた北ベトナム行きを止め、北タイへと戻ってきた
(2度のパンクが原因で予定時刻を大幅にオーバーしながら24時間後にチェンマイ着)
前回親しくしていた外国人仲間のほとんどはチェンマイを離れていたのだが、
僕と同様にITMに戻ってきた人、予定を変更しレベル5まで受け続けていた人、
先生方や、約3ヶ月間の研修の末レベル1&2を教えることが出来るCAPTの人たちから、
温かい「お帰り」を心の中にプレゼントしてもらった
っと同時に、新たな出会いもあり、特に親しくなった外国人はほとんどがスペイン人だったので、
休憩時間はネイティブスパニッシュを聴きながら、1つ1つボキャブラリーを増やすことに集中した
(っと言ってもまだまだまだですが・・・little by little っすね。。)
ありがたいことに、ITMの日本語クラス受講者は1年以内であれば再受講が無料なので、
せっかく時間もあるわけだし、今後のことも考え、少しでも経験値を深めたくて戻ってきたわけだが、
その選択肢はドンピシャだったとリテイクしながら日々感じることができた
(終了証書をもらったといえど、個人的には【触れた】の延長に過ぎない状況でもあったので)
(改めて、カリスマティーチャーAちゃんにリスペクト!写真が無いのが残念。。)
学校以外でも、夕食時、行きつけの屋台で毎日のように外国人旅行者と情報交換しながら、
いろいろな国の英語を聴く時間も継続したりと、残りの2012年を僕なりに師走っていた
(その中で、最も親しくなったDとの出会いは衝撃的だった!次の写真に本人登場!)
特に途中からは、前回レベル1を共に学んだ尊敬できるイケイケ40代Rさんが、
レベル2&3を受けに年末の休みを利用し戻ってきたので、ほぼ毎日時間を共有した
チェンマイ滞在中、活動拠点としていた安宿のオーナーが替わってしまったことをきっかけに、
僕が滞在していた宿とは天地の差があるRさんのホテルに居候させてもらいながら、
CAPTを同点トップで卒業したRちゃん&Mちゃんと4人(移動はバイク4人乗り)で行動しつつ、
スパニッシュ仲間たちとスペインレストランで送別会&アレアレパーティーしたりと、
マッサージを学びながらも、毎日夜中遅くまでアルコールを浴びた
(インド滞在中はほぼ禁酒状態だったからプラマイゼロってことで・・・笑)
(上:彼がD!! プロの音楽家として世界中のアーティストと活動している有名人だったのだ!)
(下:スペイン人仲間とのアレアレパーティー!ちなみにクリスマスは4人でインド寺でカレー笑)
楽しい時間はあぁ~っとゆう間に過ぎていくもので、リテイクも終了し、
12/30 はビザランしに1日がかりでミャンマーとの国境沿いの街メーサイまで。。
(今回のタイ入りは陸路だったのでビザ期限は15日間)
大晦日は夕方から4人プラス新しいクラスメイトMちゃんと、
土砂降りを受け震えの止まらない僕を救ってくれた汗かき大男カナダ人R(1334日目後半参照)
との6人で、酔っぱらいながら3対3のボーリングバドルで大白熱!
カウントダウンの前には、残っていたスペイン人仲間たちとも合流し、
爆竹や花火が至るところで鳴り響く中、ゆかいな仲間達と最高の2013年の幕開けとなった
(チェンマイ滞在中はほとんどカメラを持ち歩かなかったので写真なしです。。)
(それにしても中心地ターペーゲート前はとんでもない人の波だった・・・波ってか泡?笑)
ってな感じで最高の仲間たちとチェンマイ年越しをし、翌日(元旦)昼過ぎにミニバンで、
近年世界中の旅行者から人気を集めている小さな街パーイにやってきたってわけです
(美しく透明度の高いこの水たまりの正体は後半で!)
車酔いする人も多いと聞くパーイまでの数時間の迂回路は、僕にとっては程よい子守り歌的感覚だった
(インド滞在中の様々&散々な悪路を思えばかわいいものです)
タイ全土で、年末プライスに宿代が跳ね上がると聞いていたが、
訪ね回った結果、ラッキーなことに1泊100バーツのドミを発見したのでひとまず安心
睡眠不足でちょっとぼ~っとしていたけど、せっかくなのでナイトマーケットをぶらり。。
(他のタイの街と違い、オリジナリティー溢れるデザインのTシャツやグッズが多いのが印象的だった)
2日目は早朝からバイクをレンタルする予定だったが、既に安いスクーターは無くなっていた
(年末をパーイで過ごす欧米人旅行者が数日レンタルしまくっているようだ)
ってことで、とりあえずいろんなところをぶらぶら散策しながら、直射日光をがっつりと浴びた
(朝晩は多少涼しくなるけど、日中は35度前後と日本の正月からは想像できない真夏日和)
交渉しキープしといてもらったバイクを開店と同時にゲットしに行った3日目は、
朝8時から空が淡いピンクに染まる時間まで、地図をチラ見しながら気の向くままにアクセルを回した
滝を見に山道を上ったり、整備されたコンディションの良い道路を飛ばして車にアオラレたり、
走行中たまたま発見した数少ない観光名所なども、とりあえず記念にぶらついたり・・・
(上:言葉は通じなかったが、突然フルちんになって一緒に泳ごうと誘ってきた野生系少年)
(中左:第二次世界大戦中に日本軍が建てた橋・・・のレプリカのメモリアル・ブリッジ)
(下:パーイ・キャニオン。道が険しくそんなに奥までは行けないが、景観的に個人的には好き)
観光名所にそれほど興味のない僕は、途中で見つけた標識にビビッ!っと反応しドルルン!
(距離は30キロ以上あるけど、行く価値はありそう!)
進めば進む程、ラオスと重なる風景が広がり、それに並行してすれ違う人や車の数が減少。。
(しかも途中から、雨が降ってもおかしくないようなどす黒い曇り空に・・・汗)
そんなこんなで悪路を走ること約1時間、目的地周辺からは程よい硫黄の香りが!
(誰も居ないし、独占フルちんコースかぁ~っ!)
っと興奮していた僕の心以上に、グツグツと音を立て沸き上がっていた天然温泉は熱かった。。
(ちょっと触れた瞬間に耳たぶを掴んでしまうほどの熱湯!そりゃ誰も居ねーわ)
近くにある川なら程よいかも!っと思い試してみたが、トゲトゲしいくらい刺す熱さ・・・OMG
(そりゃ寒くねーのに湯気もあがれば、石も変色するわ)
1時間かけてぼこぼこ道を進んで来たのにこのまま引き下がれるかよ!とゆう気持ちはあるものの、
ここまでの熱湯っぷりではもはやどうすることもできないので、吸えるだけ硫黄の香りを吸いまくった
そうこうしているうちに天候が一気に快晴モードへと変化したので(上の写真の下2枚)、
青空の下、来た時よりもスピードを上げて次の目的地を目指した
温泉が湧き出ることでも有名らしいパーイなわけだが、
たいていの旅行者が行くであろう温泉施設は入場料が200バーツだった
(近くにあったスパなどでは100バーツ)
僕の前にいたフランス人女性は学割で半額だったので、
「チェンマイでマッサージを習ってる学生です」って交渉したけど、IDが無いので空しく敗退。。
っと、宛も無く走り続けていたときに、すっかり忘れていた大切なことを僕はやっと思い出した
(初日に親しくなった雑貨屋の兄ちゃんが教えてくれたローカル温泉の存在だ!)
エレファント・ライド(象乗り)を堪能している旅行者に手を振りながらその雑貨屋まで飛ばし、
再度詳しい情報を尋ね、時間的に厳しくなりつつあったが給油後、バイクを更にぶっ飛ばした
朝はスローライドでのんびりと~!って鼻歌まじりだったが、
この時は道も良かったのでアクセルをひねれるだけ全開にし目的地へと急いだ
途中の山道から、
今まで通ってきた悪路を完全に凌駕するレベルの凸凹アップダウンに神経を奪われつつも、
日没前に何とか辿り着いたその場所は、
僕の【1日バイクでパイぶらり】のエンディングに相応しい妖艶な微笑みで包み込んでくれた
(透明感は勿論、程よく僕好みの温かさだったのでどっぷりと全身を委ねることができた)
到着時は2組のフランス人カップルが入浴していたけど丁度帰るところだったので、
その後はしばらく独占しながら半年以上ぶりとなる湯船をまったりと堪能。。
空の色が変化し始めると共に数組のローカル家族がやってきて、一緒にビールをごちそうになった
お湯と日焼けで程よく火照った体で、身も心も程よくフヤケタ状態で、
空のグラデーションを久々にゆっくりと眺めながら、最後のスローライドを楽しんだ
外国人旅行者がその辺にいっぱいいるので、作ろうと思えば直ぐに仲間はできるのだが、
今回はあえて深入りせず、パーイへ来た目的の1つでもある【1人でぼ~っと】を遂行している
既に幕が開き始めた2013年の献立を、ぼんやりとですがデッサンしておきたいですしね!笑
(・・・って、脳内が散らかってるからデッサンする前に整頓しないとだなぁ~笑)
p.s.
約半年流れたインドを離れて早2ヶ月以上・・・
タイに入国した時は1万円が3830バーツだったのに、
日に日に円安が進み、現在では3500前後と、両替する度にオセンチになる今日この頃。。
(1年前は4000バーツだったのに・・・)
タイは正月でも真夏日ガンガンですが、僕のフトコロは日本の正月に共鳴しています
ではでは皆さん、簡単ではありますが、今年もよろしくお願い致します!
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Ciao
1353日目
Work hard Play hard in around North Thailand & Laos
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
Chiang Mai→ Chiang Rai→ Chiang Khong→ Border→
Houay Xai→ Luang Prabang→ Nong Kiaw→ Muang Ngoi→ Nong Kiaw→ Luang Prabang
【Thailand→ Laos】
チェンマイ→ チェンライ→ チェンコーン→ 国境→
フアイサーイ→ ルアンプラバーン→ ノンキオ→ ムアングォイ→ ノンキオ→ ルアンプラバーン
【タイ→ ラオス】
All these 6 photos were taken in Luang Prabang,North Laos>>>
(There`re more photos below so please proceed even if you couldn`t read it)
先に載せた6枚の写真は全て、去年も訪れたルアンプラバーンで撮ったものだが数日前まで僕は、
ボートでしか入ることのできないラオス北東部に位置する小さな村ムアングォイに滞在していた
(その後ノンキオでも数日滞在)
車はおろかバイクすら1台も走っていない、
ネット環境はもちろん皆無で、電気や水道も限られた非常にシンプルでゆったりとした時の流れ
早朝からニワトリの独唱がそこら中で鳴り響き、
徐々に子供達のはしゃぐ声や小鳥や虫の音が加わり、それらのBGMが夕暮れまで続く・・・
っと、ムアングォイやノンキオについて触れるよりも前に、
貴重かつレアな経験をすることになったチェンライでの日々を忘れてはならない
約半年間のインドぶらりの終盤に訪れたスピリチュアルな町ヴァラナシ滞在中、
(1305日目:The celebrated city of a spiritual being in chaos,Varanasi,India 参照)
僕は数人の外国人旅人と時間を共有したわけだがその中の1人アメリカ人のBと、
チェンマイでも1時間だけ再会することになるのだが・・・
ちょうどその頃の僕は、チェンマイ滞在が2週間を経過しようとしていたところで、
レベル1が終了し、ITM(マッサージスクール)で出会った仲間たちとの予定があったり、
レベル2が始まったりとバタバタしていた
学校後も親しくなった友人をモデルにゲストハウスで練習したりと、
平日はマッサージにフォーカスしていたのだが、
せっかくBがチェンマイに来ているのだしと思い、時間を作り再会をした
その時にBのご両親とも顔を合わせることになり言葉を交わす
「あなたがGね!Bからいろいろ聞いてるよ!チェンマイの後は是非うちに遊びにいらして!」
ってな感じでいきなりオファーをもらい、僕は予定していなかったチェンライ行きを考え始める
っとまぁ~、、
ここからのチェンライでの日々や出会った人たちのことを綴り出すと、
登場人物の多さや体験した内容の深さからストーリー展開に説明が必要となり長くなってしまう
かと言って要約していくと僕が味わった感動とは裏腹な、
ひどく薄っぺらい内容になってしまうので文章構成が非常に難儀であるわけだが、
チェンマイ以降の約3週間は英語を中心に仏語&西語が飛び交う環境にいるだけに、
頭の中をあまり日本語でいっぱいにしたくないとゆうのも正直なところ・・・
っとゆう様々な矛盾が、今僕の頭の中でシェイクされているわけですが、
言葉選びに迷いながらも、かなり簡略化して程よく記憶を滑らせておくこととします
Bのご両親(2人ともイニシャルが同じなので、パパ&ママと表記します)は、
チェンライを拠点に様々な活動(その前はフィリピンで10年以上)をしている夫婦で、
その中の1つが、映像制作スクール:MediaLight(以下:ML)の学校運営&先生だった
(世界各国のクリスチャンであれば誰もが参加可能とのこと)
(ちなみにMLのHPは>>> medialightasia.com )
年に1度、2ヶ月間だけ開校されるMLは、アメリカ人とフィリピン人スタッフを中心に、
過去の卒業生やその知人などのボランティアスタッフで構成されたグループだった
(今回の生徒は、インド、韓国、フィリピン、パキ、トルコ、エチオピア、デンマーク出身の12人)
っと、、その出来上がった家族のようなグループの中に、
しかも卒業シーズンでイベント盛りだくさんな最後の1週間に、僕は身を置くことになる
チェンライ着3時間後、ママと合流するや否や、
同乗していた数人の生徒たちとトラックの荷台で交流が始まるわけだが、それから学校着後、
次々に紹介される多国籍の生徒やスタッフの名前をほとんど覚えることができないまま、
彼らの最後の制作風景を邪魔にならない程度に見学したり話を聞いたりした
既にチェンライを離れていたB本人とは再会できなかったわけだが、
パパもママも「私たちの家は、あなたの家よ!」と、実の息子のように振る舞ってくれた
(部屋も食事もまさに至れり尽くせりとゆう感じ)
パパとバイクを2ケツでミャンマーとの国境沿いまでドライブしたり、
「アカ」とゆう山間に住む民族の村を訪れたり、
ローカルの人しか知らないであろう大自然に囲まれたカフェに連れてってもらったり、
出会って数日で彼らの卒業パーティーにゲストとして招かれたり、
北タイ全土で数日間続いていたロイクラトンをチェンライでも拝むことができたり・・・
(ロイクラトン=前回後半にアップしたあの幻想的なお祭りのことです!)
まだまだ他にもあるのだが特に最後の2日間は、
バーを貸し切って行われたML生徒の作品である映像や写真の展示会のヘルプをしながら、
バーエントランスでランダムに演奏していたML即席バンドにボイパやジャンベで参加したり、
6人兄妹であるBのお兄さん(パパママの最初の子供)の誕生日会にも誘ってもらったりと、
盛りだくさんかつ、普通では体験することのないだろう日々を送ることができた
【ちょっとした出会いが後々、思わぬ広がりを展開する・・・】
とゆう経験をこれまでも何度か味わってきたけどBとの出会いは、
それらの中でもトップクラスのレアな飛躍度を僕の中で記録することになったのは上記の通りです
チェンライ以降流れた北ラオスでの2週間も、
小さな珍事件や新たな出会いが大自然の中で繰り広げられたわけだが、
数枚の写真に記憶を詰め込んでみましたのでそれらからご想像ください
in Luang Prabang:ルアンプラバーン(以下:LP)にて
当初の予定ではLPの後、バスでベトナム北部のハノイへ向かう予定だったのだが、
LPで宿をシェアしたカナダ人Mの次の目的地が僕のフィーリングにフィットしたので、
予定を変更し、そのままMと宿をシェアしながら、ムアングォイとノンキオに4泊ずつした
in Muang Ngoi & Nong Kiaw:ムアングォイとノンキオにて
他の先進国始め、今の日本では感じることがちょっと難しいであろう、
【過去から受け継がれたそのままの大自然】が近代文明の力をそれほど利用せずに残るラオスでは、
何か特別なことをするとゆうわけでなくとも、雄大な時の流れに身を任せるだけで、
様々なインスピレーションをリラックスしながら感じることができる
勿論、世界各国の旅行者に大人気な古都LPの中心地は開発されているが、
同じく古都である北タイのチェンマイと比べたら、その規模は半分以下に過ぎない
つまり、他のローカルな村(特にムアングォイのようなボートでしか入れない村)などは、
明治時代や昭和初期のような生活が当たり前に今現在でも続いてるので僕にとっては刺激となるのだ
ただ、ラオスは多くの物資をタイから輸入しているので平均出費額が大きくなってしまうのが難点
ま、自国生産であるBeerlao(ラオスのビール)や、特にタバコは安いのでありがたいですが・・・
(同じ量の缶ビールとコーラが約15円の差ですから、そりゃビール飲んじゃいますよね~笑)
っとゆったりしている間に、
僕がラオスに滞在していられるのもあとわずかとなってしまいました
(日本人はビザ無しで15日間ラオスに滞在可能です)
p.s.
師走も折り返しとなりバタバタした日々が続いていることと思いますが、
残りの2012年を悔いの無いよう駆け抜けましょうね!
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Ciao
1334日目
While learning Thai massage in Chiang Mai, North Thailand
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
まずは最初に写真を数枚。。
約半年間のインドのエピローグとして綴った前回(1318日目)の最後でも述べたように、
タイマッサージのベーシックを習得すべく、僕はタイ北部の古都チェンマイに1年半ぶりにやってきた
南インドをゆっくりと流れているときから、
最北の州カシミールのあとは、リシュケシュでヨガを(1298日目参照)どっぷり・・・
インド後は速攻でチェンマイへ移動しマッサージを・・・
と、実は既に数ヶ月前からイメージの中にあった
バンコクに滞在した数日の間に学校のリサーチを初めていたのだが、
夜行バスでチェンマイに早朝到着し安宿を見つけたその日から、早速数件の学校などを見学した
(どうやらタイマッサージには、バンコク式とチェンマイ式に大きく2分されるらしい)
(指圧色の濃いバンコク式に対し、チェンマイ式はストレッチに近いイメージとのこと)
町をぶらぶらしながら発見した、
小さなマッサージ屋のミセスがプライベートで教えてくれるところもいくつかあったのだが、
今回僕は、タイ古式マッサージの基本を大切にしている ITM とゆう学校をチョイスすることにした
(見学した時のスタッフや先生の対応や雰囲気が最も良かったからで~す)
英語クラスと日本語クラスがあったのだが、
英語クラスよりも金額は上がるけど理解度を考慮し、僕は日本語クラスを受けることにした
あとあと親しくなった外国人仲間たちみんなから、
「どうして英語クラスにしなかったんだよ~!」と言われたけど、
見学したとき、1人の先生に対する生徒の割合が日本語クラスの方がよりプライベート感があったし、
自分の体と会話するヨガと違い、マッサージは相手に自分が触れて行うことなので、
曖昧ではなく質問しながらしっかりと落としておきたかった
(骨や筋肉などの専門用語は日本語でもよく分かんないしね~・・・笑)
っとまぁ~、、
学校の紹介や出会った多国籍の仲間達のことなどを綴り出すと膨大な量になってしまうので、
興味のある方は(なくても!笑)下にリンクを貼っておくので学校の HP から想像してみてください!
English 英語>>>コチラ! Japanese 日本語>>>コチラ!
最初はレベル1だけでいいかな~と思っていたけど、
一般的な基礎の流れまでは一通り体験しておきたかったので、レベル1・2を受け、無事終了しました
(月~木までは新しい技術で、金曜は朝みんなで公園に集合し太極拳をしたあと学校に戻り実技試験)
。。。。。。
。。。
。
たまたま訪れた町が、年に1度のお祭りの日だった・・・
ってことがインドにいるときからちょいちょいあったのだが、
今回ここチェンマイ(北タイ?)でも同様に、なんとも幻想的なお祭りを感じることになった
学校がソンテウ(フィリピンのジプニーみたいな乗り物)を数台チャーターしメイジョーって町まで移動
(20分くらいって聞いていたのだが、渋滞の為1時間くらいかかった~笑)
何が幻想的かは、これらの写真を見ただけでご理解頂けることでしょう・・・笑
しかもこの心の底から叫んでしまう程の体験をしたあと、更にとんでもない経験も味わうことになる
みんな心の中がメルヘンちっくな気分でいっぱいになりながら、
ドライバーとの待ち合わせ場所に移動したのだが、僕らが乗るはずのソンテウは既に誰かを乗せ消えていた
ITM がチャーターしたソンテウは残り1台で、かなりぎゅうぎゅう詰めが見なくても想像できたので、
僕は数人の仲間たちと荷台の上に乗り、最高の気分で夜空を見上げながら奇声を発していた
「暑苦しい車内と違って屋根の上は最高だぜぇ~い!」って盛り上がっていたのだが、
5分から10分が経過した辺りで、風が一気に強くなり、砂ぼこりが急激に舞い始める
最初は「痛ぇぇ~あはははぁ~!笑」って更に盛り上がっていたのだが、その数分後、
とんでもない集中豪雨をダイレクトに(+ソンテウのスピード)くらうことになる
エキサイトできたのは最初の3分くらいだけで、僕は尋常じゃない寒気と戦うことになる・・・
(みんなは寒気はないようで、ブチあたってくる雨の痛みの方が嫌だったらしいが)
結局それから約10分後、信号待ちのときに隣に停車したソンテウに乗り移ったのだが、
信号が青になったと同時に僕らも青くなってしまう
っとゆうのも、みんなが乗っていたソンテウは右折したのだが、
僕らが乗り込んだソンテウは大嵐の中をそのまま直進してしまったからだ・・・OMG
びちょ濡れでどんどん体感温度が低下し震えが止まらない僕を、
マッチョなアメリカンRと、肉付きのいい普段から大量の汗をかくカナディアンRの、
2人の大男にハグされながら、先に乗っていた人たちの目的地まで移動し、その後方向転換しITMまで
タイに入国してから1度も雨降ってなかったのに、なんでこのタイミングで・・・
っと着替えるまではずぅぅぅっと思っていたけど、ま、おもしろい思い出となりました
親しくなった仲間達もほとんどが次の目的地や帰国のタイミングとなり、
金曜の夜から連続でパーティーが続いたわけだが、楽しんだからこそ別れの切なさは大きくなるもの
旅人として出会うのとはまたひと味違う、
マッサージを学ぶとゆう共通の目的が結んだ出会いだったので、僕にはいいスパイスとなりました
(特に日本人生徒は、実際にマッサージを本業としている方がほとんどった)
そんなこんなで、20日間の僕のチェンマイライフは今宵が最後となります
(イレギュラーが起こらなければの話ですが・・・笑)
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Ciao
1318日目
Epilogue from Chiang Mai, North Thailand
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
( in India 2 since Aug 2012 のオープニングはコチラから!)
( in India 1 since May 2012 のオープニングはコチラから!)
Varanasi→ Kolkata(Calcutta)→ Bangkok→ Chiang Mai
【Uttar Pradesh→ West Bengal→ Thailand】
ヴァラナシ→ コルカタ(カルカッタ)→ バンコク→ チェンマイ
【ウッタル・プラデーシュ州→ ウエスト・ベンガル州→ タイ王国】
I arrived here in Chiang Mai a couple of days ago..
タイ北部に位置する古都、チェンマイに到着し数日。。
1年数ヶ月ぶりの上陸となったタイの首都バンコクは、
約半年間インドを流れた僕にとって、まるでホームに帰ってきたかのような気分にさせた
でも予想していた通り今の僕にとっては、これと言って魅力を感じることのない、
ちょっとしたリフレッシュとリスタートに過ぎない場所だった
インド最終地となったコルカタでの数日もいろいろあったけど数枚の写真だけとし、
今回はエピローグとゆうことで、この5ヶ月半の雑感をちょっとだけまとめることにします
G in incredible India
(僕のインド5ヶ月半を、約10分に凝縮してみました)
インドに行くと【変わる】とはよく聞く話だけど、それは半分正解です
でも僕は、変わりたいからインドを訪れたわけではないし、
これまでもそう思って旅をしたことは1度もない
人それぞれ旅に求めるもの(こと)は違うと思いますが、
いわゆる【自分探し】とゆう観点で旅をしたことも1度もない
10代後半、20代前半で旅に出ていたならばそう思っていたかもしれないが、
美容師として日本の社会人を7年継続していた時点で、既に心の骨の部分は確立されていた
それから数年、手探りよじ登り系スタイルで気の向くままに世の中を流れながら、
回り道をしながら少しずつ、骨だけ(国際目線で)だった己の精神に肉がプラスされていった
しかし、ほどよく肉が身になり皮を形成し始めていたときに起こった東日本大震災
僕がイメージしていた人生(旅)プランを全て奪われてしまうわけだが・・・
今思えば、、
全てをストップさせて地元釜石に帰郷した数ヶ月の経験と、
その後インドに入国するまでの約半年間の経験があったからこそ、
今回インドでの見方、捉え方、接し方など、自分のキャパ幅を広げることに繋がったのだと思う
逆に言えば、震災が無く予定通り1年前にインドに入国していたとしたら、
今回感じた内容とはまた違っていたように思うのだ
と同時に、いくつもの試練を場面場面でプラスの方向へ転換できたのも、
震災以降自分の中で渦巻いた感情や葛藤を凌駕した状態で、インドと向き合えたからだと。。
(元々あったプラス思考だけでは太刀打ちできなかったでしょうねぇ)
(コルカタのハウラー駅に早朝着いた後、安宿街を目指し歩いていたときの1枚)
船乗りとしてその昔、7年以上世界を回っていた父親と海外の話をすると、
必ずと言っていいほど口にする【世の中=宗教】とゆうフレーズ
今回インドで、僕はその宗教についても直接肌で感じてみたいと思っていた
日本にいると【宗教】とゆう言葉はどこかマイナスのイメージを持っているようにも思うが、
特にインドでは無宗教の人が存在しないくらい、常に生活に密着し人々の心の中で生き続けている
(人生そのものと言っても過言ではないだろう)
【インド=ヒンドゥー教】とゆうイメージを持つ人がほとんどでしょうけど実際は、
イスラム教、キリスト教、ジャイナ教、スィク教、仏教など、多くの宗教が混在している
(ちなみに日本人にも馴染みのある仏教はインド生まれです)
もちろん割合ではヒンドゥー教が圧倒的大多数を占めてるけど、
何せ巨大なインドですから、たとえ比率が小さかったとしてもそれぞれの人口は多いわけです
だからこそ町によって多面性や多様性を感じることができるわけですが、
僕が感じた中でもたくさんの宗教観ストーリーがあるけど、あえて多くは語りません
(そもそも、長い歴史が物語ってきたように、宗教を簡単にまとめることなど不可能)
(コルカタではリクシャーよりも、この黄色いレトロなタクシーが目立ったのが印象的だった)
僕が思うに本来、信仰とは心のよりどころとなり、人々の生活を豊かにする存在
祈る方向や基本とする理念に違いはあったとしても、
人として当たり前の幸せを願う気持ちは何教であれ一緒なはず
それなのに今も世界のどこかで続いている争い
でもよくよく考えてみたら、
規模は戦争のように大きくはなくとも我が国ニッポンでも、
とゆうか人間であれば誰しもがその可能性を持っているであろう【ダークサイド】
(改めてジョージ・ルーカスにリスペクトを!)
その根本となるのが【過剰なまでの欲】だと僕は考える
無論、生きて行く上で、向上して行く過程での欲は絶対的に必要だと思うけど、
それが他人に押し付けるような(=苦しめるような)レベルになってしまってはよろしくない
一見他人事のように思えるが、
家族、仲間、恋愛、学校、職場など、あなたの水面下でもしかしたら既に起こっているかも?
でも、相手を大切に思う気持ちで、目の前にいる人と接している方であれば大丈夫なはず!
多くのインド人始め、様々な国の人たちと言葉を交わし、
言葉が通じないときにはリアクションで意思の疎通をし理解しながら、
僕は今もなお、グローバルな人間関係とゆうものを、
様々な国の言葉や文化を学びながらサバイバルで吸収し続けております
(十人十色とは言うけれど、国、人によって、優しさの表現方法はいろいろありますね~笑)
(日本では【合唱=ピアノ】ですが、コルカタではギターで合唱してました)
【他人=自分を映し出す鏡】と、以前なにかで聞いたことがある
実はインドにいる間、常にそのフレーズが僕の脳内を浮遊していた
特に南インドにいるとき、
言葉もろくに通じず(外国人とはほとんど会うことがなかった)四苦八苦していたときだ
(特にタミルナード州の人々は英語を話せる人がほとんどいない&ヒンディー語も通じない)
言葉が通じないから余計に、何でだろうと考える時間が多かったからかもしれないが、
とにかく、今まで対峙したことのない「えっ?」「はっ?」っとゆう状況が多々あった
(僕が思うに、北よりも南の方が穏やかってゆう情報はある意味間違いです!)
ここで何が言いたいかとゆうと、
もしこれからインドへ行ってみたいな~と思っている人がいるなら特に、
今まで会ったことがないような人との出会いは目を背けないでぶつかってみてほしいとゆうこと
(特にマイナスな状況下での話)
インドや他の国に限らず、日本にいたとしてもそうゆう状況ってもちろんあると思うけど、
特にこのインドとゆうどこに行っても常に人で溢れている人口増加大国では、
それが当たり前に、日常茶飯事にしかもダイレクトに感じることができる
つまり、先に述べた【他人=自分を映し出す鏡】とゆうことで考えれば、
【インドを旅する=いろんな自分と出会える場】とゆうことになる
でもこれは、短期の旅では感じることがちょっと難しいかもしれない
それと、日本人と一緒に行動していたら長期の旅だったとしても難しいと思う
常に相談や共感、助け合うことができる状況下では、
【今まで出会ったことがない新しい一面の自分と出会えた】
と、本当の意味で気づくまでには至らないだろうから・・・
ま、それらも結局は、どうゆうスタンスでインドを旅するか?
なんて人それぞれ違うわけだから押し付ける気はないけど、
でもせっかくインドを旅するのであれば、
たった1人で未知なるインドのローカルとぶつかってみる方が面白いと思う
(ってかそれこそが、インドを旅する醍醐味だと僕は思うので・・・)
ぶっちゃけ楽な道ではないけど、でもだからこそ、インド旅が充実するのだと僕は思うから
(あとあと振り返ったときにね・・・笑)
(タージマハルをモデルに建てられたとゆうヴィクトリア記念堂)
(約半年インドにいたけどリアルタージ見てませんけどね・・・)
家族も含め親しい友人たちには、まぁ3ヶ月~半年くらいで帰国すると思うよ!
と言って日本を出国しましたが、なんのなんの、インドは本当に巨大で奥が深過ぎる・・・
当初の予定では、パキスタン、ネパール、バングラデシュの3カ国へも足を延ばす予定で、
通常のインド観光ビザにプラス料金を払い、リエントリービザを取得した
(インドには2ヶ月ルールがあり、1度インドを出国すると通常2ヶ月間は再入国できない)
でもインドをゆっくりと流れながら徐々に、僕の中で予定は変わって行った
(パキは、今は危ないから止めた方がいいとパキスタン人に言われたからだけど)
もちろん、インドが想像以上にデカ過ぎたってことが1番の理由だが、
先にも述べたように、インドには本当にたくさんの顔があり、感じることがたくさんある
しかも僕のスタイルとして、ぽんぽんと次々に移動するのはあまり好きではない
(その町にもよるけど、最低3泊~1週間は滞在したいところ)
実際、いろいろな町(国)へ行ったとしても、
行ったことがある町の名前リストが増えるだけで結局は、行きました!
とゆう経験が残るだけで、果たしてそこで何を感じたのだろうか・・・?とゆう気持ちになる
(時間が無くての短期旅行ならばしかたがないけど)
特にこのインドとゆう国は、他の国とは明らかに違う独特の雰囲気があるだけに、
それらを観察するのには必然的に時間がかかるのだ
行けなかった町は正直まだまだたくさんあるけど、今回のインド旅に後悔はない
絶対に訪れたいと思っていた場所には行けたわけだし、
出会いにも恵まれ、インド人はもちろん、世界各国の新しい仲間達と時間を共有することもできたから
それにしても、出会いって不思議だな~って改めて思う今日この頃
移動した日が、時間が、タイミングがちょっとでも違ければ出会うことがなかったわけだし、
あのとき話しかけられなかったら、列車やバスが遅れたから、
雨が降ったことで予定を変更しなければならなくなり、など、
ちょっとした時間軸のずれや、何かのきっかけで時間を共にした人たちが、
いずれ親しい友と呼べる存在へとなっていくんですからねぇ~。。
(道路の真ん中で撮りました笑)
元々僕が海外に興味を持ったのは単純に、行ってみたいなぁ~と子供の頃から思っていたから
ただそれだけなのだが、
実際にその場に立って、目にして、空気吸って、いろんな人々に接してみると、
想像以上に大きな発見がたくさんある
基本スタイルは変わらず当時のままなのだが、
更に、行った場所で何かを学びたいとゆう気持ちが今は強い
その1つが語学になるわけだが、
どこの国にいようと旅をしていて、英語が話せると話せないとではやはり大きな違いがある
(出会った人との繋がりの深さも格段に変わってくる)
ま、今はフィリピンに滞在していたときのようにちゃんと勉強しているわけではないけど、
様々な国の人が話す英語(ネイティブ含め)を聞きながらコミュニケーションしていくことは、
ある種、【事件は会議室じゃなくて現場で起きてんだ!】的感覚に近い
僕の性格上、勉強しなきゃ!って無い頭使って考えるより、
多少間違っていても直接使いながら、理解していく方が記憶に残るようだ
特にリスニングとスピーキングレベルのアップ率は机に向かって勉強するより遥かに結果が出る
(お金もかからないし、何より楽しい)
そして、英語だけじゃなく、世界中には本当にたくさんの言語があるとゆうこと
(インドだけでも各州にそれぞれの言語があるくらいですので)
世界規模でみたら、日本語とゆう言語は、本当に需要が少ないことがよくわかる
(だからこそ外国人にはリスペクトされる部分もあるけど・・・笑)
とは言え、日本国内で生活している分には、他の言語を覚える必要などぶっちゃけない
が、グローバル化が着実に進行している今、どのようになっていくかは分かりませんよね?笑
(ちなみに僕は今、スペイン語にハマっています・・・滞在先はタイですが笑)
(コルカタで泊まったドミ・・・ちなみに一番奥が僕のベッドでした)
ま、巨大過ぎるインドを簡単にまとめることなど不可能・・・
っとゆうことだけは、
皆さんにも伝わったかと思いますので、この辺で閉めさせて頂こうかと思います
ネット環境の問題もあり、更新率がだいぶ悪かったインド編ですが、
応援して下さった皆さまへ感謝の気持ちを忘れたことなど1度もございません!
僕のアジアぶらりはもうちょっとだけ続きますが、
約半年間のインドぶらりは、この場を持ちまして、無事、終幕となります
長い間、ご愛読ありがとうございました
p.s.
明日から、タイマッサージの基礎を習得すべく、新しい時間が始まります
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in India 2 since Aug 2012・・・・・・完
1305日目
The celebrated city of a spiritual being in chaos,Varanasi,India
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
Rishikesh→ Hardwar→ Varanasi→Sarnath →Varanasi
【Uttarakhand→ Uttar Pradesh】
リシュケシュ→ ハルドワール→ ヴァラナシ→ サルナート→ ヴァラナシ
【ウッタラカンド州→ ウッタル・プラデーシュ州】
インドのことをよく知らない人だったとしても、
インドと聞いて連想されるイメージのカケラに、この町の存在はあるのではないだろうか
(沐浴風景=ガンジス川=ヴァラナシ・・・と、オートマティックに連想されるのでは?)
っと言いきってもいいくらい、
今僕が滞在している町ヴァラナシは、たくさんの情報が溢れるほど、
【生と死が共存する町】として世界的に有名な最重要ヒンドゥー聖地の1つ
無論、ヒンドゥー教徒の間では死ぬまでに1度は訪れたい場所
だけでなく、むしろ死に場所をヴァラナシと決めている信者も多いとゆう話は有名
早朝、まだ作業が始まる前の火葬場(マニカルニカー・ガート)をこっそりと盗撮
(少し離れたところには、火葬準備が終わるのを待つ亡骸が横たわっていた)
毎日絶え間なく死者が運ばれ、火葬後はそのまま母なる大河ガンガーへと包まれてゆく。。
この5ヶ月間、南から北へと、インド中をたくさんのローカルバスや列車で移動してきたけど、
ハルドワールからヴァラナシまでの鉄道移動21時間が、過去最長となった
しかも、その車内で僕は現金をパクられていた・・・ことに宿に着いて気がつく
(財布を分けているから全額じゃないけど)
ま、実際、インドを旅する日本人とは思えない程、
自分の部屋に居るかのように無防備だった僕にも原因はあるわけだが、
思い出にとちょいちょいキープしていたピン札も全部盗られたのはちょっとショック...OMG
(僕の経験上、インドで小額のピン札をゲットするのは結構難儀)
ゆったりとしたリシュケシュで1ヶ月滞在した僕の、緩んだ気持ちを引き締めてくれたのだ・・・
と思えば、まぁ、安い買い物だったのかもしれない
(それにしても、キレ~に現金だけ抜き取られていたのには笑える)
滞在している安宿は、ガンガーまで徒歩5~10分とちょっと距離があるけど、
金額も部屋のクオリティーも悪くないし、外国人旅行者も多いので、僕には申し分ないレベル
チェックイン中に、
「リシュケシュでキミを見たよ!」と話しかけてきたブラジル人のBGとは、
旅のスタイルやキャラが僕と同系色だったので、親しくなるのに時間は不要だった
(写真右奥で会話している男性の方がBG&アメリカ人のB)
ヴァラナシのガンガー沿いには60個以上のガートが連なっているのだが、
聖なるご来光を拝むだけでなく、日没後にはメインのダシャーシュワメード・ガート前で、
毎日、礼拝(プージャー or アラティーなどと呼ばれている)が行われている
始まりは簡素なものだったらしいが、今では大々的になり、イベント化が進んだようだ
この礼拝を見る為に毎晩、国内外の旅行者でこの周辺はごった返している
ただでさえ旅行者で人口密度が濃厚なヴァラナシなのだが、
僕が in した 10/22 からの数日間はインド国内中が、
雨季の終わりを祝うインド3大祭りの1つだったようで、毎晩町中がとんでもなかった
(盆と正月が同時にやって来た!ってくらいの意味合いがあるらしい)
ガンガーを目指し、次々に巨大人形を乗せたトラックと民衆が、
耳が痛くなる程の割れた爆音を響かせながら町中を大行列が歩き回る
最初は、へぇ~!って関心を持ちながら眺めていたのだが、
余りにも多過ぎる人と、熱気と、クオリティーの低い爆音にやられ、次第に宿へと心は傾くのだった
ってかいつまで続くんだぁ~?ってゆう程、相当の数の巨大人形の大行列だった
(行列内には、暴れるように踊り狂う若者も大勢いて路上カーニバル状態)
ご来光を拝みにガンガーまで散歩するのが日課になりつつあるわけだが、
数日前、外がまだ真っ暗だった早朝4時半頃に宿を出てガンガー前でぼぉ~っとしていたら、
日の出前のプージャーを拝むことができた
(夜のように大規模ではないが、人も少なく、朝は朝の趣があった)
ヴァラナシから北東9キロのところに、ブッダが初めて説法した場所とされる、
4大仏跡の1つ、サールナートがあるので3人で訪ねた
普段から歩いていると、常にオートやサイクルリクシャーの営業にあうわけだが、
ま、相変わらず言ってくる金額はみんなバラバラ
平均相場は何となく把握していたので、交渉を楽しみながら駆け引きを繰り返す
想像していた金額よりも安かったこのビン底メガネのドライバー
(英語がまったく話せない人だったけど、愛嬌があり、思わずチップを渡してしまった笑)
滞在日数が長くなると、ついつい裏路地をぶらついてしまう
場所によっては危険?な感じのするところもあったけど、
ヴァラナシの裏路地は、メインストリートの騒がしさからは想像できないくらい、
ゆっくりと時が流れていて、まるで別世界に来たかのような感じがするので僕は好きだ
(他の町とは違い、物乞いをしてくる子供達も意外と少ないヴァラナシの裏路地)
約1週間時間を共有したBGは、昨日(10/27)の夕方ヴァラナシをあとにしたわけだが、
僕はもう少しこの町を眺めていようと思う
当初は、人の多さと騒がしさから2日で充分と思っていたけど、
この町からは不思議と、神がかった何かを感じる
それと、毎朝素晴らしいご来光を聖なる場所から、
瞑想しながら拝めるとゆうことは、それだけでも僕の中では非常に価値のあること
同じ場所でも時間帯や見る位置、角度によって、いろんな表情で微笑んでくれるし、
マントラを唱えながら太陽の熱がじわりじわりと上昇していく変化を、
ダイレクトに感じられる喜びは、全身が震え上がる程の至福の時
この5ヶ月間、タミルナード州を始め、
様々なヒンドゥー巡礼地や沐浴風景を見てきたので想像していた程の衝撃は受けなかったけど、
混沌度合いから考えてもやはりヴァラナシは、【The India】と呼べる場所であることは間違いない
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Ciao