私は、公明党の議員に対しては、皆さん方の推薦議員に対しては、とくにきびしくしていきます。なぜかならば、議員になったらそれでいいのだと思ったり、皆さん方の期待にそわないようであったならば、もはや王仏冥合の闘士ではありません。広宣流布達成の幹部でもありません。そうなったならば、獅子身中の虫であります。
 王仏冥合の指導者は私であります。私は皆さん方のご期待にそうように、いままでは政治に対し、公明党、公政連等に対しては、議員の人たちがやりいいようにやらせてあげたいと、根本原理だけを教えてきました。
 しかし、ここまできたならば、私が全魂を打ち込んで、りっぱな大指導者に育ててまいります。(拍手)
 けっして皆さん方が応援した議員を偉ぶらせてはなりません。他党の議員もとうぜんそうでありますが、それは別として、公明党の議員は、皆さん方の家来です。皆さん方に奉仕する足軽の役目です。これが真実の王仏冥合の議員のあり方です。
 もしか、議員をたてまつらなくてはならない、というような空気に皆さんがなったならば、学会の組織の上にあぐらをかいていく、自民党よりも、社会党よりも、共産党よりも、もっと悪い議員をつくってしまう。かりにその議員が、先輩だから、信仰のうえの友人だからといっても、そんななまやさしい行き方であってはいけない。
 したがって私どもは、王仏冥合のためにも、社会の繁栄のためにも、政界浄化のためにも、他党の政治家を監視するのはもちろんのこと、わが学会推薦の議員に対しても、厳然と監視しながら、りっぱな働きをしてもらおうではありませんか。(拍手)
 それが大聖人様のご精神です。代々の会長の精神です。この精神がただ一点、わが党に、わが学会にあるゆえに、他党と違う立派な政治家ができると思いますけれども、どうでしょうか。(拍手)
 私は皆さん方といっしょに、また公明党の議員を育てながら、王仏冥合達成の指揮をとってまいります。安心して信心し、安心してついてきていただきたいと思うのです(拍手)。戦いにのぞんで、むりをする必要もありません。今回の選挙は別として、将来も何回、何十回と、王仏冥合達成の関所せきしょである選挙はあります。勝敗は時の運です。たとえ落ちるようなことがあっても、それは皆さんの責任ではありません。悲しんだり、申しわけないという気持ちをもつ必要はけっしてありません。
 一般の標語にも、〝出たい人よりも出したい人〟とあるが、創価学会もそうでなくてはならない。ほんとに活躍してくれる誠実な人を出していかなくてはならない。
 皆さん方は信心いちずでいけばいいのです。幸福になっていけばいいのです。これが私の願望であり、私の心からの訴えであります。皆さんを安心させてあげたい。戸田先生はなくなる寸前〝これから九州に力を入れよう〟こうおおせになっておられた。けれども、先生は逝去された。私は先生のそばにおりまして、九州を思う師匠の心をよく知っておりました。
 先生は〝なんといっても東京が根本である〟と、まず東京に力を注がれました。それから第二段階として関西へ、講義、指導に行かれました。その次は〝こんどは、九州、福岡だ〟と何回も申されました。この地でも幹部には申されたことがあります。
 いま私は、戸田先生逝ゆいて七年、ほんとうにいままで皆さん方を、心からめんどうをみる機会がなかった。残念な気持ちでありました。和泉副理事長とか、そうとう幹部を派遣して、皆さん方を守ってさしあげたい、こういう気持ちだけはいっぱいでありました。
 皆さん方と接近できるのは、たまにしかなく、おひとりおひとりと懇談する機会は少ないかもしれませんが、生涯、東京の地において、九州の、とくに福岡の方々に対して、皆さん方の信心が強盛ごうじょうになり、福運を積んでいけるように、題目をたくさん送ることだけをお誓いしてまいりたいと思うのであります。(拍手)
 ひとりも退転することなく、幸福になってください。くどいようですが、これが私のただ一つの願望であります。そして創価学会のほんとうのありかたを知ってください。真実を、本質を知っていただきたい。
 そうすれば、どんどんどんどん歓喜の信心もできるし、功徳もわいてくるし、退転もしないし、力も出てまいります。その源泉は、しょせんは題目につきます。
 話が戻りますが、いまの政治は、政治のための政治であるがゆえに、権力の座に終始しています。いまの邪宗教は、宗教のための宗教にすぎない。ゆえに企業に変わってしまう。
 日蓮大聖人様の色心不二しきしんふにの仏法は、とうぜん他の宗教と根本的に違う。いっさいの衆生を根底から救い切れる仏法であることはとうぜんでありますが、王仏冥合の意味はここにあります。すなわち創価学会の前進は宗教のための宗教の実践ではありません。あくまでも政治の源泉になり、社会革命の源泉になり、文化改革の源泉になり、生活の根本原理になるのです。これが真実の宗教のありかたであります。
 ともに、王仏冥合のうえから立ったわが議員は、政治のための政治家ではない。慈悲を根底にした政治、賞罰を明らかにした政治、善悪をきちんと見分けていける基準をもった政治、正しい者を守り、悪い者を打ち破っていくその政治家、そしてまた大衆福祉、すなわちあらゆる階層をぜんぶ繁栄させきっていける矛盾のない政治家でなくてはならない。それではその根底は何か。それは妙法蓮華経の大仏法であり、それを根底にしたがゆえに、その政治観が、政治活動ができあがっていくのです。
 したがって、王仏冥合でなければ、真実の宗教も、真実の政治も断じてないと私は訴えたいのであります。(拍手)その意味において、皆さん方の推薦の議員は、信心根本に、あくまでも王仏冥合のために戦ってもらわなければならない。いばりくさったり、皆さん方を小バカにするようなことをしたら承知しません。
 そんな偉ぶった民衆の味方がおりますか。公明党には、そういう人はいままでおりませんが、若いから、へたすると生意気になる恐れがある。そのようになったならば私は情けないと思う。また断じてあってはなりません。
 これからは若い人に出てもらって、骨身惜しまず働いてもらい、また将来のために、しっかり訓練しておきたい。その三十代、または四十代の議員が、これから十年、二十年、または二十五年先になった場合にはもっとも分別盛りであり、働き盛りなのです。理想的な時代になってくる。
 その時分を、わが党が第一党として活躍する時代としようではありませんか。(拍手)
 その時代が広宣流布実現の時なのです。
 それまでは、ゆだんしてはいけない。とくに皆さん方の先輩である議員は、不惜身命ふしゃくしんみょうで働かなければならない。日興上人は「未いまだ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通を致す可き事」(日興遺誡文一六一八㌻)とおおせなのです。
 それから、もう一つ申し上げたいのは、いま戦っている戦いは、皆さん方ご年配の方々について申し上げるならば、お子さんのための地盤を築いていると思ってください。いまは石段を築いているようなものであります。
 その石段を登って、最後の総仕上げを、ヒノキ舞台でゆうゆうと戦えるために、いまは戦っているのである。千里の道の第一歩の基礎をつくっている。こう考えていただきたい。
 青年部各位には、いまの先輩の戦いも同じく石段を築いているのだ。その石段を自分もいっしょに築いている。最後は、その石段の上に自分たちがおどりでて、あらゆる面において活躍していくのだ、指揮をとっていくのだという考え方をもって戦っていただきたいと思います。
 これが正しいのです。偏頗な話はしません。ですから、私の指導を見失わないようにしていってください。そうでないと皆さんが苦しんでいきます。このことは私の真心として申し上げておきます。

昭和40年6月28日
九州臨時幹部会
福岡市スポーツセンター
参加人員一五、〇〇〇名

 (「会長講演集」第13巻 議員は民衆の公僕 九州臨時幹部会 1965.6.28)より