仏法は現実を(へん)(かく)する(ちから)

 

 (れん)(さい)「希望の()(しん)――池田先生の指導に学ぶ」では、テーマごとに(しゅ)(ぎょく)の指導・(げき)(れい)(しょう)(かい)します。今回は小説『人間革命』『新・人間革命』から、「(りっ)(しょう)(あん)(こく)」(全4回予定)の第1回を(けい)(さい)します。

 

(しゅう)(きょう)の使命とは?

広宣流布は人類への「(こう)(けん)活動」

 〈1954年(昭和29年)、戸田城聖は政治・(けい)(ざい)・教育など、社会のあらゆる分野に広布の人材を(はい)(しゅつ)しようと「文化部」を設置。(よく)(ねん)、各界で(かつ)(やく)する同志を文化部員に任命し、その代表を4月の統一地方選挙の(こう)()(しゃ)(すい)(せん)した〉

 

 広宣流布の活動は、(しゅう)(きょう)(かく)(めい)を基本として、それによって、広く人類社会に(こう)(けん)する活動である。日蓮大聖人の仏法が、行き()まった現実の社会を見事に()(せい)させることを目的とする以上、この宗教活動が、いつか社会化していくことは必然の(どう)(てい)であった。社会の各分野で活躍する人材を輩出していくという戸田城聖の構想は、(すい)()(かい)や身近にいる幹部との会話で、しばしば語られていたが、政治(かい)(かく)は、()(もん)の活動(りょう)(いき)であっただけに、現実の問題として(にん)(しき)する人は、ほとんどいなかったといってよい。戸田の(そう)(だい)な構想を耳にしても、心地よいユートピアの夢物語として、(かん)()するにすぎなかった。

 そのなかで、師弟不二の道程を着々と歩んできていた山本伸一だけが、戸田の予言的(てん)(ぼう)(のう)()(きざ)んで、()められた理想を現実化するための、うかがい知れぬ多くの(しん)(ろう)を、戸田と共に分かち合っていたのである。構想が未聞であっただけに、辛労の質もまた未聞であった。(中略)

 この新しい展開に示された戸田の構想は、最初から人類の文化活動(ぜん)(ぱん)に向けられていた。それは、人間の幸福の実現をめざす日蓮大聖人の仏法の(じっ)(せん)(てん)(かい)として、必然的なことであった。したがって、文化部の活動は、政治の分野に限られるものではない。もっと(こう)(はん)な社会的分野における活動が、()()されていたのである。

 創価学会の(そん)(ざい)(きわ)()たせているものは、日蓮大聖人の仏法の(ゆい)(いつ)(せい)(とう)()として、広宣流布を(かか)げ、(りっ)(しょう)(あん)(こく)をめざす実践活動に()きるのである。この実践活動は(そく)、一人の人間に人間革命をもたらす実践でもあった。

 (みずか)らの生命を革命したといっても、社会に生きる一社会人であることには変わりはない。その一人ひとりが、社会建設の新しい(ちから)(はっ)()していくはずである。そして、この()()(てつ)()(かか)げた運動の波動は波動を()び、やがて社会のあらゆる分野を(うるお)していくことになるのも確かなことだ。いかにそれが、遠い道のりに思われようと、他に確実な(ほう)()がない以上、確信のあるこの道を、真っしぐらに進むよりほかに使命の(かん)(すい)はない。

 戸田城聖は、広宣流布のはるかなる道程をつぶさに思いつつ、文化部の手塩にかけた要員をもって、社会を(かく)(せい)させる第一歩を()み出したことに、油断のない(はい)(りょ)を、あらためて重ねなければならなかった。(『人間革命』第9巻「展開」の章、179~181ページ)

 

(りっ)(しょう)(あん)(こく)の目指すもの

人間の幸福のための社会を築く

 〈1961年(昭和36年)8月、創価学会(こう)(れい)の夏季講習会が開かれる。講習会の中心となったのは、山本伸一の「(りっ)(しょう)(あん)(こく)(ろん)」講義であった。伸一は、御書を(はい)し、()(はく)と情熱を()めて講義していった〉

 

 「立正安国とは、わかりやすくいえば、真実のヒューマニズムの哲理を(こん)(ぽん)に、一人ひとりが(みずか)らの人間革命を行い、社会の(はん)(えい)と世界の平和を(そう)(ぞう)する主体者となっていくということです。

 日蓮大聖人の()(いち)(だい)()(ほう)は、『立正安国論に始まり、立正安国論に終わる』と言われております。

 大聖人が、この『立正安国論』をお(したた)めになった目的は、()(しん)(こう)(ずい)()()(えき)(びょう)などに苦しみ(あえ)ぐ、(みん)(しゅう)(きゅう)(さい)にありました。そして、そのために、まことの人間の道を()く仏法という生命の哲理を()()し、人間自身の(かく)(めい)をめざされたのです。つまり、一人ひとりの悪の心を(めっ)し、(ぜん)の心を(しょう)じさせ、()()(まなこ)を開かせて、()()から()()へ、()(かい)から(そう)(ぞう)へと、人間の一念を(てん)(かん)する戦いを起こされた。

 なぜなら、人間こそが、いっさいの根本であるからです。()(よく)な大地には、草木が(はん)()する。同様に、人間の生命の大地が(たがや)されれば、そこには、平和、文化の豊かな(みの)りが生まれるからであります……」

 (中略)

 「社会の(こん)(らん)()(さん)な現実をもたらす原因は、人間という原点を(わす)れた考え方に、(みな)が心を(うば)われていくことにあります。

 現在、日本にあっては、昨年の新安保条約の成立以来、政治不信、政治(ばな)れが起こり、人びとの関心は、(けい)(ざい)に向かっている。

 確かに、(とう)()(とう)(りゃく)に終始し、実力行使や強行(さい)(けつ)など、議会制民主主義を()みにじる現在の政治を見ていれば、国民が失望し、不信をいだくのも当然かもしれない。それも、政治家が民衆の幸福を、人間という原点を忘れているからです。しかし、だからといって国民が政治に無関心になって、(かん)()(おこた)れば、政治の()(はい)はさらに進んでいく。

 また、人間を忘れた経済も(れい)(こく)です。ただ()(じゅん)第一主義、経済第一主義に走れば、社会はどうなるか。豊かにはなっても、人心はすさみ、自然(かん)(きょう)()(かい)も起こり、結局、人びとが苦しむことになります。

 科学の世界にあっても、科学万能主義に(おちい)れば、その進歩は、かえって、人間性を(うば)い、人間を(おびや)かすものになっていきます。

 ヒューマニズムに帰れ――これが、現代的にいえば日蓮大聖人の主張です。そして、政治や経済、科学に限らず、教育も、芸術も、社会のすべての(いとな)みを、人間の幸福のために生かしていく原理が、立正安国なのであります」(『新・人間革命』第4巻「立正安国」の章、284~287ページ)

 

創価学会の目的

地上から“()(さん)”の二字を(こん)(ぜつ)

 〈1961年(昭和36年)8月の、夏季講習会で「(りっ)(しょう)(あん)(こく)(ろん)」を講義した山本伸一は、「(すべから)(いっ)(しん)(あん)()を思わば()()(ひょう)(せい)(ひつ)(いの)らん者か」(御書31ページ)の御文を(はい)し、(ちから)(づよ)(うった)える〉

 

 四表とは、東西南北の()(ほう)であり、広く社会を、また、世界をさす。

 「この意味は、『当然のこととして、一身の安堵、つまり、個人の(あん)(たい)を願うならば、まず、四表、すなわち、社会の安定、世界の平和を祈るべきである』ということです。

 ここには、仏法者の姿()(せい)が明確に示されている。

 自分の安らぎのみを願って、()()の世界にこもるのではなく、人びとの()(のう)を解決し、社会の(はん)(えい)と平和を築くことを祈っていってこそ、人間の道であり、真の(しゅう)(きょう)(しゃ)といえます。

 社会を(はな)れて、仏法はない。宗教が社会から(ゆう)()して、ただ(らい)()(あん)(のん)だけを願うなら、それは、(すで)に死せる宗教です。本当の意味での人間のための宗教ではありません。

 ところが、日本にあっては、それが宗教であるかのような(にん)(しき)がある。宗教が(けん)(りょく)によって、(ほね)()きにされてきたからです」

 (中略)

 「世の中の(はん)(えい)と平和を築いていく(よう)(てい)は、ここに示されているように、社会の安穏を祈る人間の心であり、一人ひとりの生命の(へん)(かく)による“個”の確立にあります。

 そして、社会の安穏を願い、周囲の人びとを思いやる心は、必然的に、社会建設への自覚を(うなが)し、行動となっていかざるを得ない。

 創価学会の目的は、この『立正安国論』に示されているように、平和な社会の実現にあります。この地上から、戦争を、(ひん)(こん)を、()()を、病苦を、差別を、あらゆる“()(さん)”の二字を(こん)(ぜつ)していくことが、私たちの使命です。

 そこで、(だい)()になってくるのが、そのために、現実に何をするかである。(じっ)(せん)がなければ、すべては夢物語であり、観念です。

 具体的な実践にあたっては、各人がそれぞれの立場で、考え、行動していくことが原則ですが、ある場合には、学会が母体となって、文化や平和の交流機関などをつくることも必要でしょう。また、たとえば、人間のための政治を実現するためには、人格(こう)(けつ)な人物を政界に送るとともに、一人ひとりが政治を(かん)()していくことも必要です。(中略)

 また、そうした社会的な問題については、さまざまな意見があって当然です。()(こう)(さく)()もあるでしょう。しかし、(こん)(ぽん)は『四表の静謐』を祈る心であり、人間が人間らしく、楽しく幸福に生きゆくために、人間を第一義とする思想を確立することです。

 さらに、その心を、思想を深く社会に(しん)(とう)させ、人間の(がい)()の時代を(つく)ることが、私どもの願いであり、立正安国の精神なのです」(『新・人間革命』第4巻「立正安国」の章、287~289ページ)

 

 ※小説の本文は、聖教ワイド文庫の最新刷に基づいています。

 

 (2021年9月3日付 聖教新聞 3面)

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