〈5・3「創価学会の日」記念特集〉上
平和の扉を開く識者との対話①
2019年5月3日

 

『〈5・3「創価学会の日」記念特集〉上 平和の扉を開く識者との対話 ② につづく』

 

「池田会長は人間主義の理想を掲げ人類に貢献する現代の偉人」ゴルバチョフ元ソ連大統領

 

池田先生がソ連のゴルバチョフ大統領とモスクワのクレムリンで初会見(1990年7月)。以来、二人の語らいは10度を数え、対談集『20世紀の精神の教訓』が発刊されている

 

 

 われらは、
 対話をもって
 人びとの(しん)(でん)に幸福の(しゅ)()()え、
 この()(とうと)き使命を()()ます。
 対話をもって
 心をつなぎ、世界を結び、
 (なん)(こう)()(らく)
 (こう)(きゅう)平和の(じょう)(さい)を築く。
 さあ、今日(きょう)も、対話を進めよう!
 (小説『新・人間革命』第30巻〈上〉「雌伏」の章)
 ◇ 
 池田先生は1979年(昭和54年)5月3日の本部総会後、世界広布の新しい(ゆう)()のために行動を開始した。
 直後の5月19日に中日友好協会の(りょう)(しょう)()会長、22日にソ連のノーボスチ通信社や大使館の関係者、25日にザンビアの(ちゅう)(にち)大使と会談するなど平和友好の対話を(せい)(りょく)的に(すい)(しん)(よく)(ねん)4月には第5次(ほう)(ちゅう)(のぞ)む。「36」だった(ほう)(もん)国・地域数は「54」へと広がる。1600回を()える世界の識者との対話も、79年から加速度を増すのである。
 「対話の(ちから)こそが、時代を開く平和(りょく)となる」との信念に(つらぬ)かれた“人間外交”によって、世界を結び、平和の(とびら)を開いた池田先生。世界の一級の識者は(しょう)(さん)()しまない。
 「池田会長は現代における()(じん)です。ヒューマニズムの価値観と理想を高く(かか)げて、人類に大きな(こう)(けん)をしておられる。私は深い(けい)()(いだ)いております」(ゴルバチョフ元ソ連大統領)
 「池田名誉会長は国際的に有名な(かた)で、()が国でもよく知られております。人類の『永遠の価値』を(つく)りながら、その価値で人々を結びつけている団体のリーダーとして、その(やく)(わり)は世界的に重要です」(南アフリカのマンデラ元大統領)

 

世界の指導者と友情を築く


28年に及ぶ獄中闘争を貫いたマンデラ氏を歓迎(90年10月、東京で)。氏は「この場所を訪れた時よりも、より良き人間になって、ここを去っていくことができます」と

 

 池田先生は79年以降、インドのラジブ・ガンジー首相、イギリスのサッチャー首相、フィリピンのアキノ大統領、統一ドイツのヴァイツゼッカー初代大統領、コロンビアのガビリア大統領らと語らいを広げていく。
 冷戦終結の立役者であるソ連のゴルバチョフ大統領とは、90年7月にモスクワで初会見した。この席上、大統領は(よく)(しゅん)(ほう)(にち)を明言し、ソ連の最高指導者としての初来日が実現する。以来、二人は10度の出会いを重ねている。
 南アフリカの反アパルトヘイト(人種(かく)())運動の(とう)()マンデラ氏(アフリカ民族会議副議長)は、90年10月に来日。池田先生との会見の席上、「日本に行ったら、ぜひお会いしなければと思っていました」と語った。大統領(しゅう)(にん)後に来日した際(95年7月)に再会を果たしている。
 96年には、キッシンジャー元米国務長官、キューバのフィデル・カストロ国家評議会議長と相次ぎ対話。当時、キューバによる米国の民間機(げき)(つい)事件が起き、両国間の(きん)(ちょう)が高まっていた。(ほう)(もん)への反対もある中で、先生はキューバを(おとず)れ、平和への道を切り開いていった。その後、米国による(けい)(ざい)(せい)(さい)(かん)()され、両国は関係(かい)(ぜん)への歩みを進めていく。
 世界の指導者と友情を築き、国と国を結んできた池田先生。その行動は「分断」から「結合」、「対立」から「(ゆう)()」、「戦争」から「平和」へと人類史を(てん)(かん)しゆく(そう)(だい)な挑戦なのである。

 

学識者・文化人と()(さい)な語らい


アタイデ総裁とリオデジャネイロの空港で。当時94歳の総裁は「94年間も池田会長を待っていたのです」と(93年2月)

 

パークス氏は「会長との出会いこそ、私の人生に一番大きい影響を及ぼす出来事」と(93年1月、ロサンゼルス近郊で)

 

 池田先生の対話のテーマは、平和、(じん)(けん)(けい)(ざい)、文学、美術、音楽、(かん)(きょう)など()(さい)な分野にわたる。世界人権宣言の起草に(じん)(りょく)し、ジャーナリストとして活躍したブラジル文学アカデミーのアタイデ(そう)(さい)、米(こう)(みん)(けん)運動の母パークス氏、アルゼンチンの人権活動家でノーベル平和賞受賞者のエスキベル博士をはじめ、ローマクラブ(そう)(りつ)(しゃ)のペッチェイ博士、アフリカの環境の母マータイ博士らと出会いを(きざ)み、仏法を()調(ちょう)とした生命(そん)(げん)、環境共生の思想を世界に広げてきた。
 また、民主音楽協会、東京富士美術館等の創立者の先生は、ウィーン国立()(げき)(じょう)のゼーフェルナー(そう)(かん)(とく)、ミラノ・スカラ()のバディーニ総裁、バイオリニストのメニューイン氏、アルゼンチン・タンゴの(きょ)(しょう)プグリエーセ氏とモーレス氏、(とん)(こう)文物研究所((のち)の敦煌研究院)の(じょう)(しょ)(こう)所長ら(さい)(こう)(ほう)の文化人とも対談。“文化の(ちから)で、世界の人々の心と心を結ぶ”との(てつ)(がく)(ひび)き合った。

 

教育交流で相互理解を(そく)(しん)


ノーベル化学賞と平和賞を受賞した現代化学の父ポーリング博士と2度目の会見(90年2月、ロサンゼルス近郊で)

 

フィリピン大学の総長などを歴任したアブエバ博士と再会。平和や活字文化などを巡って対談した(99年11月、東京で)

 

 政治の世界は、ともすれば時代の(げき)(りゅう)(ほん)(ろう)されがちであるが、大学などの学問の()には()(へん)性、永続性がある。その国の最高学府に学んだ人たちは、社会建設の次代の(にな)()となる。さらに、(わか)い世代の交流は、グローバル化する世界を結ぶ新しい(ちから)となろう。
 (小説『新・人間革命』第30巻〈下〉「誓願」の章)
 ◇ 
 世界の知性との対話は、教育・学術交流によって(みん)(しゅう)(そう)()()(かい)(そく)(しん)する中で()(ひろ)げられてきた。79年12月のアフガニスタン(しん)(こう)()(なん)()びていたソ連を81年5月に(ほう)(もん)。モスクワ大学のログノフ総長と対談した。また、中国が国際社会から()(りつ)していた90年5月、大交流団を(ひき)いて北京へ。北京大学で3度目の講演を(おこな)った。
 池田先生が(そう)(りつ)した創価大学の交流校は現在、海外61カ国・地域の212大学にまで拡大した。次代を担う(いく)()若人(わこうど)が“教育の()(はし)”を往来し、陸続と世界へ羽ばたいている。

 

(2019年5月3日 聖教新聞 https://www.seikyoonline.com/)より

 

『〈5・3「創価学会の日」記念特集〉上 平和の扉を開く識者との対話 ② につづく』