〈世界の機関紙・誌から〉

パナマSGI ホジェリオ・カルロス・ボルジェス・デ・オリベイラさん

2019年4月29日

 

国際NGO「セーブ・ザ・チルドレン」のモニタリング(監視)評価官
(だれ)も置き去りにしない社会を
最後は(せい)(じつ)な人が必ず勝つ
ブラジル 「Brasil Seikyo」紙

 

高層ビルが立ち並ぶ首都パナマ市を背景に ©Tete Olivella

 

パナマSGIの同志と共に(後列右から6人目がオリベイラさん)

 

2011年版「人間開発報告書」の記者会見で発表するオリベイラさん

 

ブラジル 「Brasil Seikyo」紙

 

 

図書館で出あった一(さつ)の書籍


 私は1970年にブラジルのパラナ州にある、小さな田舎町で生まれました。
 祖父と父は畑仕事をしていましたが生活は不安定でした。そんな中、わが家を支えていたのは(そう)()()、祖母、そして母でした。(かの)(じょ)たちは、学校に行けない子どもたちのために、()(たく)で教室を開いていたのです。
 貧しさに加え、地域の治安も最悪でした。毎日、無事に()(たく)できるかどうかという、暴力への不安と(とな)()わせの()らしでした。さらに私自身が7(さい)(ごろ)から、急に意識を失ってしまう原因不明の発作に(おそ)われるようになっていたのです。
 パラナ(れん)(ぽう)大学の(けい)(ざい)学部に進学したのは、社会にまん(えん)する暴力の解決に()くしたいという思いがあったからです。大学に入った95年、図書館で一(さつ)の本に出あいました。それが小説『人間革命』の第1(かん)でした。
 読み進めるうち、自分がずっと(さが)していた(しん)(こう)がここにあると気付いたのです。まだインターネット(けん)(さく)()(きゅう)していない時代。SGIの(れん)(らく)先が分からず、(あきら)めかけていた時に(ぐう)(ぜん)、クリチバ市の電話帳で電話番号を見つけました。
 唱題を(じっ)(せん)すると(かん)()とエネルギーが生命にみなぎってきました。気が付くと、(おさな)(ころ)から(かか)えていた得体の知れない不安や(きょう)()(こく)(ふく)していました。
 そして(よく)(ねん)には、それまで不可能だと思っていた米国の大学への短期(こう)(かん)留学も勝ち取ったのです。

 

自分の限界を()()える生き方


 卒業後はコンサルタント会社で、それなりに安定した生活を手に入れました。しかし、国連や国際機関で(けい)(ざい)開発の仕事に(たずさ)わりたいという、学生時代からの思いが(じょ)(じょ)に強くなってきました。
 池田先生は常に、自分の限界を()()える生き方を教えてくださっています。働きながら、新たにフランス語を習得するなど勉学に(はげ)み、2007年、ついにスイス・ジュネーブの国際・開発研究大学院に入学。さらにフランスにあるパリ第一大学パンテオン・ソルボンヌ校で(けい)(ざい)開発学の研究に(はげ)みました。
 その結果、ブラジルの国連開発計画(UNDP)のエコノミストに採用され、10年に帰国したのです。(よく)(ねん)に開かれた「人間開発報告書」の記者会見では、発表者の一人に(ばっ)てきされました。
 ブラジルは(けい)(ざい)成長だけでなく「人間」を究極の基準とすべきだと強調し、今後20年の長期的目標を語った私の発表は、ニュースでも大きく取り上げられました。
 12年からは、ブラジルの国連児童基金(ユニセフ)に(きん)()。データ・(ぶん)(せき)チームに加わった報告書では、ブラジルにおける(にゅう)()()(ぼう)(りつ)(げき)(てき)に減少したことを取り上げました。この報告書の内容は、13年に開かれた国連総会での、ブラジル大統領の演説でも(しょう)(かい)されました。
 さらに国際的な(こう)(けん)がしたい。そう決意して、17年からはパナマにある国際NGO「セーブ・ザ・チルドレン」事務所で、中南米のモニタリング(監視)評価官の職に()いています。

 

世界の(へん)(かく)は一人から始まる


 子どもの(けん)()の保護を目的とした国際NGO「セーブ・ザ・チルドレン」は、今年で設立100年を(むか)えました。
 私の仕事は、(かん)(かつ)10カ国の事務所の事業が向上していくよう、正確な調査報告をまとめ、目標達成への(かい)(ぜん)点を的確に伝えていくことです。
 中南米には自然災害のほか、(かん)(せん)(しょう)や人道問題、()(やく)など、子どもの()()となる要因が少なくありません。米国を目指す移民の大移動の中には、(にゅう)(よう)()や保護者のいない子どもも多数いるのです。
 国連は2030年を目指し、「(だれ)も置き去りにしない」を基本理念とした「持続可能な開発目標(SDGs)」を打ち出しています。これについては池田先生も「SGIの日」記念提言の中で、何度も(げん)(きゅう)されてきました。
 中南米では、暴力を減少させることと、最も弱い立場に追いやられている先住民族の教育向上と(にゅう)()()(ぼう)(りつ)(かい)(ぜん)が急務です。
 これらを打開していく効果的な方法は、教育です。自身と他者の(そん)(げん)と可能性に目覚めさせていく教育が必要です。田舎町に育った私が、これまでいくつもの国で()らし4カ国語を話せるのも、教育のおかげなのです。
 同時に、世界平和といっても一人の人間の(へん)(かく)、一つの家庭の(へん)(かく)から始まります。SGIの(しん)(こう)を始めた私の変化に、最初に気付いた弟は、自分からこの信心を(じっ)(せん)したいと言って1997年に入会しました。
 母は未入会でしたが、(ばん)(ねん)に病に(たお)れた中で題目の力を実感し、私のユニセフへの合格を()(とど)けた数日後に(りょう)(ぜん)へ旅立ちました。
 池田先生は「勇気と(にん)(たい)(せい)(じつ)(まさ)る人間外交はない」「最後には、(せい)(じつ)な人が必ず勝つ。それを、自ら実証することが、広宣流布なのだ」と教えてくださっています。
 先生の指導を(むね)に、どこまでも(せい)(じつ)に、世界の子どもたちに光を送ってまいります。

 

(2019年4月29日 聖教新聞 https://www.seikyoonline.com/)より