【題字のイラスト】 間瀬健治      

 

 今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第7巻の「名場面編」。心()さぶる小説の名場面を紹介する。次回の「御書編」は17日付、「解説編」は24日付の予定。(「基礎資料編」は2日付に(けい)(さい)

 

誓いは()たしてこそ誓い


 

 〈1962年(昭和37年)11月、学会は三百万世帯を達成。その報告を受けた山本伸一は、(ぶつ)()に向かった〉
 
 唱題の声が、(ろう)(ろう)(ひび)いた。彼は、御本尊に向かい、師の顔を思い()かべながら、心で語りかけた。 
「先生! 伸一は、先生にお約束申し上げました三百万世帯を、(つい)に、遂に達成いたしました。先生にお育ていただいた弟子一同が、(ちから)を合わせて()()げた、団結の(あかし)でございます……」
 思えば、戸田が三百万世帯の達成を伸一に(たく)したのは、(せい)(きょ)の約二カ月前にあたる、一九五八年(昭和三十三年)の二月十日のことである。それは、戸田の五十八歳の(たん)(じょう)()の前日であった。
 この日の朝、関西の指導から()(こう)列車で東京に(もど)った伸一は、その足で戸田の()(たく)(たず)ねた。(中略)
 学会は、前年の十二月には、戸田の(しょう)(がい)(がん)(ぎょう)であった七十五万世帯を達成していた。戸田は、伸一の顔を、まじまじと見つめて、言葉をついだ。
 「急がねばならんのだよ。伸一、あと七年で、三百万世帯までやれるか?」
 それは、戸田が(じゅく)(りょ)の末に()り上げた、(そう)(だい)な広布の(てん)(ぼう)であった。しかし、それを成すのは自分自身ではないことを、戸田は(さと)っていた。(中略)
 この時、伸一は、きっぱりと答えた。
 「はい、(じょう)(じゅ)いたします。ますます勇気がわきます。私は先生の弟子です。先生のご構想は、必ず実現してまいります。ご安心ください」
 戸田は「そうか」と()みを浮かべた――。
 戸田の思いは、そのまま伸一の(ちか)いとなった。師から弟子へ、広宣流布の(だい)(がん)()()がれたのである。
 伸一は、この時の戸田の言葉を、(かた)(とき)(わす)れることはなかった。そして今、(いっ)(しん)をなげうっての(げき)(とう)の末に、その誓いを(じょう)(じゅ)したのである。
 誓いは()たしてこそ誓いである。現実に勝利を打ち立ててこそ弟子である。
 三百万世帯の達成は、決して、単に、()(りゅう)がもたらしたものではない。山本伸一という、戸田城聖の(しん)(せい)の弟子の、必死の一念、必死の行動が、()(もん)となって広がり、広宣流布の(うず)(しお)をつくりあげていったのだ。(「文化の(はな)」の章、86~88ページ)

 

宇宙をも(つつ)(だい)(きょう)(がい)


 

 〈1963年(昭和38年)1月、伸一はハワイで、アメリカ総支部の副婦人部長で北米女子部の部長・春山栄美子らと懇談する〉
 
 春山栄美子は、山本会長と会った時には、これも報告しよう、あれも相談しようと思っていたが、実際に伸一を前にすると、何も言葉にならなかった。
 それを(さっ)してか、伸一の(ほう)から彼女に語りかけた。
 「春山さん、アメリカはどうだい」
 しかし、彼女は、何を言えばよいのかわからなかった。次の(しゅん)(かん)、こんな言葉が(くち)をついて出ていた。
 「先生、アメリカは広いんです……」
 それは、動いても動いても、目に見える結果を出すことができないでいた栄美子の実感でもあった。
 伸一は、()(しょう)()かべながら言った。
 「そんなことは、わかっているよ。でも、私から見れば、アメリカといっても、(にわ)(さき)のようなものだ。大事なことは、自分の(きょう)(がい)(かく)(めい)だよ。
 地表から見ている時には、限りなく高く感じられる石の(かべ)も、飛行機から(なが)めれば、地にへばりついているような、低い(さかい)()にしか見えない。同じように、自分の境涯が変われば、物事の感じ方、とらえ方も変わっていくものだ。逆境も、()(なん)も、人生のドラマを楽しむように、(ゆう)(ゆう)()()えていくことができる。
 その境涯革命の原動力は、強い一念を()めた(しん)(けん)な唱題だ。題目を(とな)()いて、勇気を(ふる)()こして行動し、自分の壁を打ち(やぶ)った時に、境涯を開くことができる。
 南無妙法蓮華経は(だい)()(ちゅう)に通ずる。御書にも『一身一念(ほう)(かい)(あまね)し』(二四七ページ)とあるじゃないか。宇宙をも(つつ)()む大境涯に、自分を変えていくことができるのが仏法だ」
 その言葉を聞くと、彼女は、(でん)(げき)に打たれた思いがした。
 “そうだ。アメリカが広いのではなく、私の境涯が(せま)く、小さなために、現実の(きび)しさに負けてしまっているにすぎないのだ。先生は、アメリカを、決して遠い国とは思っていらっしゃらない。(はな)れていたのは、先生と私の心の(きょ)()ではなかったのか……”
 彼女は、目の前の(きり)が、すっと晴れていくような気がした。
 (「(ほう)()」の章、114~116ページ)

 

学会は人間宗でいくんだ


 

 〈1月22日、伸一は、キリスト教とイスラム教が二大宗教として(なら)び立つ、中東のレバノンを()(さつ)した〉
 
 伸一は言った。(中略)
 「この中東にしても、ヨーロッパにしても、宗教の社会的な(えい)(きょう)(りょく)(そん)(ざい)(かん)は、日本と(ちが)って(かく)(だん)に重い。その宗教、(しゅう)()のうえに、政治的、社会的な()(がい)(から)めば、問題はますますこじれてしまう。だから、対話といっても、宗派を()えた人間対人間の対話が必要だと、私は思う。つまり、同じ国民として、あるいは同じ人間として、まず、共通の課題について、()(たん)なく語り合うことだ。そして、“共感”の()(じょう)をつくっていくことが、最も大切ではないだろうか。それには、宗教や宗派で(いち)(りつ)に人間を()()ってしまうという発想を、(てん)(かん)していくことだ。
 私は、人を一個の具体的な人間としてではなく、民族や宗教、(こく)(せき)、階級などの(ちゅう)(しょう)的な集団としてとらえ、(はん)(べつ)していくことは()(ちが)いであると思っている。そうした発想は人間を“(ぶん)(だん)”していくだけで、そこからは本当の対話も、真の友情も生まれることはない。
 レバノンの場合も、(だい)(ぜん)(てい)(だい)(げん)(そく)は、同じ(けん)()をもった国民、同じ(そん)(げん)(せい)(ぞん)の権利をもった人間という()()に立っての、対話を始めることだ。“宗派”ではなく、“人間”を見つめ、宗派間の対話以上に、人間(かん)の対話をしていく以外にない。(中略)
 そうした()(てん)に立って、話し合いを進めていこうとしなければ、事態はますます(ふん)(きゅう)していくだろう。
 実は、私がこれから、(しょう)(がい)をかけて行おうとしていることも、この“人間対人間”の対話を、世界に広げていくことです。仏教も本来、宗派などなかった。また、特定の民族や階級のためでもない。人間のために、一切(しゅ)(じょう)のために()かれたものです。大聖人の()(こころ)もまた、“一切衆生をどうすれば幸福にできるか”という、この一点に()くされている。
 戸田先生は『学会は人間宗でいくんだ』と言われたことがあるが、どこまでも、人間が根本です。(われ)(われ)は、こういう大きな心でいこうよ」
 (「(そう)(しゅん)」の章、264~265ページ)

 

冬は必ず春となる!


 

 〈4月9日の夜、台湾の(たい)(ほく)支部長・(しゅ)(せん)(じん)の自宅で、警察の立ち会いのもと、支部の解散を(つう)(たつ)する会合が開かれた〉
 
 朱は、静かに語り始めた。
 「本日、四月九日、創価学会台北支部は、人民団体として(きょ)()()られないため、政府より解散を(めい)じられました。ここに解散を(せん)(げん)いたします」(中略)
 この(しゅん)(かん)、彼の(のう)()に、二カ月余り前の一月二十七日、あの松山空港で山本会長が語った言葉が(あざ)やかに(よみがえ)った。
 ――「何があっても、どんなに(つら)くとも、台湾の人びとの幸福のために、絶対に仏法の火を()してはならない。本当の勝負は、三十年、四十年先です。最後は必ず勝ちます」(中略)
 彼は(くちびる)をかみしめ、(こぶし)(なみだ)(ぬぐ)うと、(ちから)()めて言った。
 「支部は解散しますが、(ちゅう)()(みん)(こく)(けん)(ぽう)で、信教の自由は()(しょう)されています。(だれ)(はばか)ることなく、信心をしていくことはできます。私たちが幸福になる道は、決して()ざされたわけではないのです。私たちに信心ある限り、冬は必ず、必ず、春になるのです」(中略)
 以来、(けい)(さつ)は、一人ひとりに(かん)()の目を光らせ、()()まりを強化していった。(とつ)(ぜん)、家に()()まれ、御本尊を持っていかれた人もいた。御書をはじめ、学会の出版物やバッジなども(ぼっ)(しゅう)された。「信心をするなら(ろう)(ごく)にぶち込むぞ!」と、(おど)された人もいた。(中略)
 いかなる(じょう)(きょう)()でも、信心はできる。広宣流布に生きることはできる――それが朱の信念であり、決意でもあった。朱千尋は、時間を見つけては、個人的に同志を(はげ)ました。(中略)この“冬の時代”にあっても、正法は、自然のうちに、深く社会に()()していったのである。(中略)
 一九八七年(昭和六十二年)には(かい)(げん)(れい)(かい)(じょ)され、九〇年(平成二年)には台湾の組織として「仏学会」が、晴れて団体登録されることになる。(中略)その後、文化祭などの(しょ)活動による社会(こう)(けん)の業績が高く評価され、内政部から“(ゆう)(りょう)社会団体”として、何度も(ひょう)(しょう)されるようになるのである――。(「(そう)()」の章、386~391ページ)

 

 ※『新・人間革命』の本文は、聖教ワイド文庫の最新刷に基づいています。

 【挿絵】内田健一郎

 

(2019年4月10日 聖教新聞 https://www.seikyoonline.com/)より