“信心の団結”で不可能を可能に!
どんな企業や団体でも、一人一人が与えられた役割を果たしながら、共通の目標に向けて活動を進めています。異なる人同士だからこそ、心を通わせる努力が欠かせません。今回の「みんなで学ぶ教学」のテーマは、「異体同心」。広宣流布を進める上で、信心の団結をどのように深めていくかを学びます。
マンガ・イラスト 逸見チエコ
目的は「広宣流布」
――創価学会では、多彩な人材が生き生きと活動に励んでいます。どうして違った境遇の人同士が、団結できるのですか?
家族、クラスメート、会社など、人の輪があるところでは、常に仲良く団結できることが理想ですよね。しかし、「団結しよう」と呼び掛けても、まとまるとは限りません。
私たち学会員は、日蓮大聖人が示された「異体同心」の団結を実践してきたので、固い絆が国内外に広がってきたのです。
――「異体同心」の意味を教えてください。
「異体」とは、年齢や性別、職業、性格などが、人それぞれに違うことです。「同心」とは、志や目的を同じくすることです。
私たち学会員が、心を一つにする目的こそ広宣流布です。広宣流布のために、互いを尊重し、ともどもに成長しようと結束することが大切になります。学会員のことを、「同志」と呼ぶのも、「志を同じくする」との意があるからです。
絵が得意な人が、座談会の入場整理券を作成する。ピアノが上手な人が、演奏で会合に彩りを添える――このように各人が特性を発揮して、活躍しているところに、学会活動の醍醐味があります。
どこまでも仲良く
――学会員の中でも、なかなか心を通わせることができない人がいるんですが……。
当然、触れ合う人の中には、苦手な人もいるでしょうし、時には意見が対立することもあります。
そんな時に広宣流布という目的を見失い、一時の感情に振り回されてしまえば、相手の良さに気付くこともできません。それは、「異体異心」の姿といえます。
日蓮大聖人は、信心の団結のあり方を次のように仰せです。
「総じて日蓮が弟子檀那等・自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり」(御書1337ページ)
――どういう意味ですか?
自分中心の考え方に陥ることなく、他人や周囲にも心を寄せることが大切であると説かれています。
また、水と魚の関係のように、互いが異なる立場であっても、互いを必要不可欠の存在と認めて仲良くしていく大切さが示されています。
「生死一大事の血脈」とは、生死の苦悩を解決していく「妙法」が、師から弟子へ受け継がれること。つまり、広宣流布へ異体同心の信心で唱える題目によって、「信心の血脈」が流れ通うのです。
大聖人は、この「異体同心の信心」によって、「広宣流布の大願も叶うべき」(同ページ)――必ず広宣流布の大願が実現すると断言されています。
力を掛け合わせる
――“師から弟子へ”とは壮大ですね。
池田先生はつづっています。
「師弟という“縦糸”、地涌の同志という“横糸”。この縦横の絆が織りなす幸福・勝利の大いなる“布”を広げていくことが広宣流布なのです。正しき和合僧団に連なってこそ、永遠に崩れざる幸福・勝利の人生を完結することができる」
「団」「結」の漢字それぞれの成り立ちも「糸」に由来するといいます。一本の糸そのものは細くても、幾重にも織ることで丈夫な布が作られていきます。
――「団結こそ力」なんですね。
御書には、「異体同心なれば万事を成じ」「日蓮が一類は異体同心なれば人人すくなく候へども大事を成じて・一定法華経ひろまりなんと覚へ候、悪は多けれども一善にかつ事なし」(1463ページ)と記されています。
異体同心の信心を根本とすれば、不可能なことも可能になる。また、たとえ人数が少なくても、広布を阻む悪を打ち破り、妙法を弘めていけるとの意です。
一人一人の力を“足し合わせる”だけではなく、“掛け合わせた”時に偉大な力が発揮されます。かけがえのない同志と広布大願に心を合わせ、自他共の幸福の連帯を広げていきましょう。
放課後メモ
「異体同心」については、次の書籍の中でも言及されています。
○…『御書の世界』第1巻211ページ(聖教新聞社)
○…『御書と師弟』第2巻60ページ(同)
○…『希望の経典「御書」に学ぶ』第3巻40ページ(同)
(2019年3月26日 聖教新聞 https://www.seikyoonline.com/)より