先駆のだいとうそうしんこそ九州のたましい

 

 にんげんは、
 ざいさんでもなければ、でもない。
 どのようなてつがくち、
 どのような
 じっせんをしているかでまる。
 ゆえに、さいこうじょうみょうほうたもち、
 ぎょうじ、ひろめゆくそうどうこそ、
 なんにょはきらわず、
 最高無上のだいじんざいなのである。
 
 たとえぐうじょうきょうにおちいっても、
 わらわれても、けなされ、
 そしられ、はくがいされても――
 いかなるなんにあっても、
 けっしてくっしない。
 まったくどうじない。
 そのような、
 どうどうたる「じんかく」をきたえ、
 ぶんしんとしてかがやつづける。
 そのためのしんこうである。
 それがしんがっかいいんほこりなのだ。
 
 ひとむねつのは「しんけんさ」だ。
 「ひっいちねん」である。
 そこから、つための
 わきてくるものだ。
 「もういいだろう」
 「このへんでやめておこう」と
 いてしまえば、
 それじょうぜったいまえすすまない。
 みょうほうちからは、げんである。
 もういっ、あと一歩のしゅうねんで、
 わがもくひょうかんすい
 いさんですすんでまいりたい。
 
 ほとけ
 たいのぞんでしゅんじゅんしない。
 えんりょもしない。
 いかなるちがいやかっとうがあっても、
 あいの仏のせいめいまし、
 こうせんかたえていける。
 だれたいしても
 おくさずにしんじつうったえる。
 なやめるともごころからはげます。
 この同志のこえほど、とうとつよく、
 たえなる生命のめいきょくがあろうか。
 しんねんぼうけつの声をひびかせ、
 ぜんしんだ!

 

 夕日にらされた九州池田講堂(福岡市東区)。1994年(平成6年)11月、池田大作先生がさつえいした。先生は同月、福岡ドームでの「アジア青年平和音楽祭」に出席。音楽祭では、5万人の青年が楽聖ベートーベンの“かんの歌”を歌い上げ、学会の正義を満天下にしめした。本年は、この5万人の“正義の歌声”から25周年のせつむかえる。
 ベートーベンは述べている。
 「こんなんな何ごとかをこくふくするたびごとに私はいつも幸福を感じました」(ロマン・ロラン著、片山敏彦訳『ベートーヴェンの生涯』岩波書店)
 私たちもいかなる困難があろうとも、勇気と信念の声を高らかにひびかせ、愛する地域に平和と幸福のスクラムを広げよう。

 

九州の友との記念撮影に臨む池田先生(1999年5月、九州池田講堂で)。かつて先生は呼び掛けた。「雄々しき先駆の大闘争心こそ、九州の魂」と。その誇りを胸に、九州の同志は創価の勝利に先駆する

 

(2019年3月24日 聖教新聞 https://www.seikyoonline.com/)より