マンガ・イラスト 逸見チエコ
自分らしさを最高に輝かせよう
この世に全く同じ人が二人いないように、人には必ず「違い」があります。そうした「違い」が原因で悩むこともあれば、争いが生まれることもあります。今回の「みんなで学ぶ教学」では「桜梅桃李」をテーマに、「違い」を生かす仏法の哲理を学びます。
成仏の巧みな譬喩
――友人に仏法対話をしたら、「型にはまりたくない」と言われました。
宗教を持ち、組織に所属することで、「本来の自分とは異なる“画一化された人物”に変わってしまう」と思ったのかもしれません。
創価学会は、人を縛り付け、型にはめようとする組織ではなく、むしろ一人一人の個性を最大に尊重し合う人々の集まりであることを伝えたいですね。
こうした学会の魅力の背景には、仏法で説かれる「桜梅桃李」の原理があります。
――オウバイトウリ? どういう意味ですか?
「桜梅桃李」は、桜、梅、桃、李のことで、「御義口伝」に記されている言葉です。
日蓮大聖人は「森羅万象のすべてに、三身(仏に具わる法身・報身・応身という三つの側面、すなわち真理、智慧、慈悲)がもともと具わっており、妙法の働きによって、各々の本来の姿を改めずにそれらを顕すことができる」(御書784ページ、趣旨)と仰せです。
つまり、誰でもその身のままで成仏できることを示されています。
その分かりやすい譬えとして、「桜梅桃李の己己の当体を改めずして無作三身と開見す」(同ページ)――桜、梅、桃、李が、それぞれの特質を改めることなく、「無作」すなわち“本来の姿のまま”で、見事に咲き薫る姿を成仏に譬えられています。
唱題で仏性を開く
――いい譬えですね。
桜は桜、梅は梅……と、それぞれ形や色彩、香り、咲く時期も異なりますが、その花ならではの魅力があります。
私たち人間も同様に、容姿や性格、活躍のタイミングも違います。そうした違いを認めつつ、どこまでも自分らしく開花していくことが大切です。
御書に「(成仏の)成は開く義なり」(同753ページ)と仰せのように、信心を実践する目的は、自身の内に本来具わる仏の生命を開くことです。また、「はたらかさず・つくろわず・もとの儘」(同759ページ)――ありのままの自分を伸び伸びと輝かせていくことです。決して、今の自分自身とは異なる“特別な存在”になることでもなければ、現実生活を離れた“理想郷”を求めることでもありません。
――“ありのまま”でいいということは、努力をする必要はないということでしょうか?
いいえ。ここでいう“ありのまま”は「何もしない」こととは違います。現実の課題や悩みと向き合いながら、それを乗り越えていく中で自身の人間性が磨かれていきます。
大聖人は、万人の仏の生命を開く方途として、南無妙法蓮華経の唱題行を説き顕されました。御本尊への真剣な祈りを根本に自身の課題に挑戦することで、自分らしい、自分にしかない個性を存分に発揮できるのです。
このことを「自体顕照(ありのままの姿を、顕し照らしていく)」(同784ページ)とも説かれています。
全ての人に使命が
――でも、性格はなかなか変わりようがないと思いますが……。
戸田先生は、「人間の性格というものは、直らない。川の流れる道筋が変わらないように、性格も大きくは変わらない。運命的に決まっている。しかし、泥水の川も清らかな流れに変わるように、性格も、濁りを落とし、清浄にすることができる」と言われています。
広布のために尽くしていけば、妙法に照らされ、自然のうちに性格が良い方向に生かされていきます。内向的な人であれば、その“物事を深く考える”良さが生きていくでしょう。短気な性格であっても、悪に対して毅然と立ち向かっていけば、それは善の働きに変わります。
――つまり、どんな人にも使命があるということですね。
その通りです。
池田先生は、次のように励ましを送っています。
「人を羨んだり、自分を卑下したりしないこと。自分自身に生き切り、自分にしかできない使命を、自分らしく果たしていくこと。そして、自分が尊敬できる自分をつくっていくことだ」
かけがえのない一人一人を心から敬い、たたえ合いながら切磋琢磨できるのが、学会の組織です。老若男女、多種多様な人材の輪の中で、伸び伸びと自身を輝かせていきましょう。
放課後メモ
「桜梅桃李」については、次の書籍の中でも言及されています。
○…指導選集『幸福と平和を創る智慧』第2部[中]51ページ(聖教新聞社)
○…『池田大作全集』第138巻422ページ(同)
○…『未来対話』22ページ(同)
(2018年10月2日 聖教新聞)より