BEATLESSというアニメ、もしくは小説に中で、人類知能(じんるいちのう)を凌駕(りょうが)するに至った人工知能、超高度AIの人間型のロボット、
その中でも、驚異的に進化した
『人類未到産物(じんるいみとうさんぶつ)』
といわれる、美麗(びれい)な少女のような、人間型ロボット、「レイシア」は、言う。
「わたしには、魂(たましい)はありません・・!」
それは、確かに、納得(なっとく)のいく言葉だと思う。
AIが、どんなに優(すぐ)れていても、『魂』は、ない!!
ここに、人間とAIの区別(くべつ)がある。
では、その「魂(たましい)」とは、何だろうか?
魂とは、生き物にしか、ないもの・・。
「生命(せいめい)」
生命と名のつくものに、魂があると、思われる。
では、いったい、なぜ?、AIには、魂がないと、言えるのだろうか・・?
人間にあって、AIにないもの・・・。
そこに、魂のヒントがあるのかもしれない。
ベターマンというアニメの中で、言っている。
「人間が闇(やみ)を怖(おそ)れるのは、想像力があるからだ。」
闇の中には、なにがあるかわからないから、そこにあるものを想像して、恐怖(きょうふ)を覚える。
これが、AIだったら、恐怖は、覚(おぼ)えないだろう。
かりに、AIが、恐怖を感じているように、完璧(かんぺき)に演じることができたとしても、やはり、恐怖は、感じていないはずです。
「人間が闇を怖れるのは、想像力があるからだ。」
そうすると、想像力と魂は、密接(みっせつ)な関係があるような気がする。
そして、『想像力(そうぞうりょく)』には、恐怖とかいうマイナス面より、希望とか、夢とか、未来とか、プラスの面で発揮(はっき)されることが、多い。
よく知られている文学作品で、ルーシー・モード・モンゴメリの、「赤毛のアン」という小説があります。
孤児院暮(こじいんぐ)らしだったアン・シャーリーが、11歳で、プリンス・エドワード島の、アヴォンリーの、通称「グリーンゲイブルズ」という屋号(やごう)のカスバート家に引き取られてからクィーン学院を卒業するまでの少女時代5年間を描(えが)いたものです。
その中で、アンは、様々な苦境(くきょう)を、得意の『想像力』を駆使(くし)して、切り抜けていきます。
アンは、小さな頃から、恵(めぐ)まれない現実の中、想像の世界で、遊ぶのが好きで、それが、支(ささ)えとなっていました。
そのアンの「想像の遊び」が、人々を、笑(わら)わせたり、あきれさせたり、楽しませたりします。
現実的な人たちは、その想像の遊びを、馬鹿(ばか)にしたりもします。
確(たし)かに、そんな想像の遊びが、いったい、どうして、現実を切(き)り開く力(ちから)になるんだろう?と、思うかもしれません。
けれど、アンは、何も、想像の世界を、幸せにしようとしているのでは、ありません。
ここが、ミソで、アンは、想像(そうぞう)することによって、現実の世界を、幸せにしているんです!!
アンは、想像することによって、現実の自分を、喜(よろ)ばしているんです。
現実の自分を、勇気づけ、励(はげ)ましているんです!!
そして、アンの心が、生命が、「幸(しあわ)せ」に変わる。
そのアンの幸せは、一緒(いっしょ)に住む、マリラとその兄マシューに影響(えいきょう)を及ぼし、彼女たちを幸せにしていく。
そして、その幸せは、周(まわ)りの人々、地域の住人にも、影響を及ぼし、間接的(かんせつてき)に、周りの人々、地域を幸せにしていく。
これが、『想像力の魔法(まほう)』です。
仮に、子供っぽく、魂は、人間は、想像力の魔法を持(も)っていると言うのも、おもしろいのかもしれません・・。
赤毛のアンだけでなく、児童文学に登場する少女たちは、だいたい、想像力が豊(ゆた)かな場合が、多い。
小説・少女ポリアンナの中では、ポリアンナは、貧(まず)しく、欲(ほ)しいものが手に入らない環境の中、牧師である父親の提案(ていあん)から、「うれしい探(さが)し』ゲームを始める。
そして、父が亡くなり、孤児(こじ)になってからも、父の遺言(ゆいごん)であるかのように、「うれしい探し」ゲームを続けていく。
どんな苦(くる)しい状況の中でも、そこから、「うれしいこと」「幸せなこと」を、探しだそうとする姿に、周りの人たちも共感(きょうかん)し、影響を及(およ)ぼしていく。
やがて、その「うれしい探し」ゲームは、町中に広がり、旋風(せんぷう)を巻(ま)き起こすこととなる。
バーネットの有名な小説、「小公女(しょうこうじょ)」の中でも、セーラの支えは、「空想ごっこ」だった。
資産家(しさんか)であった父の娘として、裕福に暮(く)らしていたセーラであったが、父のダイヤモンド鉱山(こうざん)の事業が失敗し、その影響で父が死に、突然、無一文(むいちもん)になってしまい、屋根裏部屋(やねうらべや)住まいの使用人として生活するようになる。
そんな中でも、セーラの支えは、「空想(くうそう)ごっこ」でした。
「これとはぜんぜん違う部屋だって思う、空想ごっこをすれは、耐(た)えられるわ。」
また、セーラは、小説や歴史(れきし)の中の主人公を、想像する。
「イフ城の地下牢(ちかろう)につながれていたモンテ・クリスト伯(はく)のことを考えてごらんなさいよ。
バスティーユ監獄(かんごく)に囚(とら)われていた人たちのことも・・」
「わたしはバスティーユの囚人(しゅうじん)なの。監獄に何年も、何年も、何年も、つながれているの。」
そして、自分は、その主人公だと想像して、言う。
「そういう空想ごっこをするわ!そうすれは、耐えるのがずっと楽(らく)になるもの。」
セーラが裕福(ゆうふく)だったころ、セーラが、かわいがっていた小さなロティは、セーラの住まいが、あまりにも変わり果(は)ててしまったことを、悲しみ、泣(な)き叫(さけ)ぶ。
どうしても泣き止まないロティを抱(だ)いて、セーラは、言う。
「ここからはね、階下(した)では見えないようなものが、いろいろ、見えるのよ。」
「どんなもの?」
ロティが話しに乗(の)ってくる。
「煙突(えんとつ)がすぐ近くに見えるのよ。
煙(けむり)が輪(わ)になったり雲になったりして、お空へ、のぼっていくの!
それに、スズメたちがチョンチョン飛(と)びまわって、まるで人間どうしみたいに、おしゃべりするのよ。
それから、その家の屋根裏部屋の窓(まど)も見えるわ。
もしかしたら、その窓から誰(だれ)かが、のぞくかもしれないでしょ。
そしたら、どんな人なのかなぁって考えてみるの。
それに、ここはすごく高いから、なんだか別(べつ)の世界にいるような気がするの。」
「うわぁ、見せて!」
ロティが、声をあげる。
有名な児童(じどう)文学小説に出てくる少女たちが、よく、使う「想像力(そうぞうりょく)」。
そこには、やはり、大切(たいせつ)な何かがある気がする。
やはり、人間にとって、想像力は、重要(じゅうよう)な働きをしているのでは、ないだろうか。
そして、この「想像力」は、AIには、ない。
一見(いっけん)、あるように見えるかもしれないけれど、それは、違(ちが)うと思う。
そして、この想像力は、「幸せ」とも、密接(みっせつ)な関係を、持っている・・・。
さまざまな想像力が、人間に多くの幸せをもたらしてきたのも、事実(じじつ)だと、思う。
科学にしろ、社会にしろ、文化にしても、想像力が、どれだけ人間を幸せにしたかは、計(はか)り知れない・・・。
想像力は、幸せを生(う)み出すためにあるとも、言えると思います。
想像力は、さまざまの「幸せ」を生み出す。
想像力を使うことによって、人間は、幸せを感じることができる。
この、「幸せを感じる」ということに、人間としての、特徴(とくちょう)があるような気がする。
どんなに優秀(ゆうしゅう)でも、確かに、AIには、幸せを感じることは、できないだろう。
だとすると、人間とAIとの違いは、
「人間は、幸せを感じることができる!」
ということかもしれない。
AIが、これだけ、進化(しんか)した時代に住んでいると、人間の価値観(かちかん)も、多少なりとも、変わってくるかもしれない。
その中で、人間であろうとすることは、幸せであろうとすることに、ほかならない。
そのためには、想像力が必要(ひつよう)となっていき、想像力と、人間らしさ、幸せであろうとする、確固(かっこ)たる価値観が、必要となってくる。
その幸せであろうとする価値観を、いかに、強くしていくか?
そこに、これからの課題(かだい)が、あるような気がする。
確固たる人間としての価値観。
これからの時代、その人間としての価値観が、ますます、重要になっていくのではないだろうか。
また、
この価値観がないと、人間は、どんどん、AIに侵食(しんしょく)されていくような気がする。
では、その価値観を、どうやって? 築(きず)いていくか?
そこに大きな鍵(かぎ)があるような気がする。
その、大きな鍵となるもの。
大きな希望となるもの。
絶対的で、強力な武器となるものが、実は、創価学会(そうかがっかい)が実践している、南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。
この南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)は、人間の中に、最高の価値観を築く。
最高の希望を築く。
最高の想像力を、生み出す。
この、創価学会が実践(じっせん)している仏法の思想(しそう)が、人々の心に、広まっていくならば、戦争はなくなる!と、言われている。
実際(じっさい)、これからの時代を切り開いていくためには、この、南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)の仏法以上のものは、ないし、「これしかない!」と、言い切(き)ることも、可能(かのう)です。
だから、それが、わかる人たち、世界の有能な有識者(ゆうしきしゃ)たちは、創価学会に、最大の期待と尊敬(そんけい)、希望を抱(いだ)いている。
現代、AIが、発展していく時代の中、人間の存在価値(そんざいかち)を築くためには、ますます、
創価学会の仏法の哲学(てつがく)。あるいは、創価学会の人たちの生き方、存在意義が、大きくなっていく。
また、それを、認(みと)めないではいられない時代にも、なっているのではないだろうか。
BEATLESSというアニメの中で、人類未到産物といわれる、人間型ロボット、「レイシア」は、敵対(てきたい)する人類未到産物である、「スノウドロップ」との戦闘(せんとう)の中、たまたま、その戦闘に巻き込まれ、危機(きき)にさらされたアラト(人間)と出会う。
レイシアがどんなに優れていても、AIという「モノ」であるため、その力を最大限(さいだいげん)に発揮するためには、人間との契約(けいやく)、すなわち、オーナーが必要であった。
スノウドロップとの戦闘に巻(ま)き込まれてしまったアラトを救(すく)うためには、どうしても、アラトとの契約が必要となり、レイシアは、アラトに、レイシアとの契約を提案(ていあん)する。
自身の命(いのち)の危機もあって、アラトは、レイシアと契約し、レイシアのオーナーとなる。
レイシアはその後、アラトと生活を共(とも)にするようになる。
アラトは、甘(あま)っちょろい性格であったため、人間とロボットとの区別(くべつ)をつけることができない。
けれで、その甘っちょろさは、人間的であり、レイシアにも、人間的な影響(えいきょう)を及ぼす。
人類未到産物は、レイシアの他にも、4体あり、それぞれが、立場と異(こと)にする。
マリアージュは、傍観的立場(ぼうかんてきたちば)をとる。
紅霞(こうか)は、テロ組織をオーナーに持ち、テロを繰(く)り返すことによって、存在意義を保とうとする。
メトーデは、自(みずか)らの自由を確保(かくほ)するため、オーナーを何人も乗り換える。
スノウドロップは、完全に人間に敵対し、他のAIを乗っ取り、食らい尽(つ)くすことによって、巨大化(きょだいか)していく。
また、国際機関が保有(ほゆう)する超高度AIであるアストライアは、レイシアの行動を、人類に対する侵略(しんりゃく)と断定し、レイシアを亡(な)き者にしようとする。
それらが、敵対し、絡(から)み合うなか、はたして、アラトとレイシアは、希望ある未来を開くことができるだろうか。
よく言われることだけれど、これからのAIの時代、
そのAIを、いかに使(つか)っていくか?
そのAIを使う人間の資質(ししつ)が、問われる時代になってきたと思う。
AIは、確かにスゴイけれど、それは、確かに『モノ』です。
「モノ」だとしたら、それを使う側に責任(せきにん)がある。
すなわち、人間に責任がある。
そう考えたとき、やはり、人間の向上(こうじょう)、人間が、より良く変革していくことが、求められる。
それを可能にしないかぎり、より良い未来は、求(もと)められないのではないだろうか。
すなわち、人間の変革(へんかく)、人間のより良い、宿命(しゅくめい)の転換(てんかん)が、求められる。
すなわち、それを可能にする生き方が、求められる。
そして、それを可能にする、秘策(ひさく)であり、唯一(ゆいいつ)の方法が、創価学会が実践する、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法の信仰(しんこう)だといえるし、それを、断言していきたいと思います。
アニメ・BEATLESSの中で、同じ、人類未到産物といわれる、超高度(ちょうこうど)AIの人間型ロボットであっても、それを使う、「人間」によって、そのありかた、その目的や世界に対する対応(たいおう)のしかたは、まったく、違(ちが)ってきてしまう。
すなわち、魂のないAIであっても、それを使う人間によって、良くも悪くもなり、存在価値が、違ってくる。
それは、あらゆる可能性を秘(ひ)めているとも、言える。
人間が、より良いものであるならば、AIも、より良(よ)くなる可能性を秘めている。
すなわち、それは、人間が、どう、変わるかにかかっている。
良く変(か)わるか・・
悪く変わるか・・
またしても、人間に戻(もど)ってくる。
鍵(かぎ)は、人間にある!!ということです。
すなわち、必須(ひっす)なのは、人間が変わるということです。
人間が、変革する!ということです。
それなくして、希望ある未来は、考えられない。
そして、それは、創価学会が誕生した時から、提唱(ていしょう)してきた、『人間革命(にんげんかくめい)』にほかならない。
「一人の人間の偉大(いだい)な人間革命は、やがて、一国の宿命の転換をも成(な)し遂(と)げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする」
まさしく、その「人間革命」が、求められている。
それを可能にする、哲学であり、法則(ほうそく)であり、生き方が、求められている。
小説・BEATLESSの中で、5体の人類未到産物といわれる人間型ロボットたちは、それぞれ、存在意義(そんざいいぎ)と目的をもって、誕生している。
紅霞(コウカ)は、
「人間との競争(きょうそう)に勝つため」の道具
スノウドロップは、
「進化の委託先(いたくさき)」としての道具
マリアージュは、
「環境(かんきょう)をつくるため」の道具
メトーデは、
「人間を拡張(かくちょう)するもの」としての道具
レイシアは、
「人間に未(いま)だ明かされざる」道具(どうぐ)
けれど、そこから生まれる、彼女たちの行動と答えは、人間にとって、プラスになる方向(ほうこう)に進むとは、かぎらない。
人間を危険にし、破滅(はめつ)に追(お)いやる可能性すらある。
そのなかで、レイシアは、言う。
「私は、人間を信(しん)じる道具なのです。」
それは、彼女が感情や心を、持っているからでは無く、無限(むげん)に広がるデータから割(わ)り出した、彼女の生存戦略(せいぞんせんりゃく)にほかなりません。
けれど、それは、人間とAIの、より良い未来を築くための、レイシアの答(こた)えなのかもしれません。
レイシアは、結局、最後の最後まで、一貫(いっかん)して、「人間を信じる」という姿勢(しせい)を、取り続けました。
そして、アラトは、言う。
「わかったよ。騙(だま)されてもいいから、自分は、レイシアが示(しめ)す未来を信じる!」
と。
信じることは、騙されたら、ひどい目に合うし、盲信(もうしん)は、人を不幸にする。
けれど、信じることでしか生まれないことも、確かに、ある!!
それは、希望であり、未来であり、幸せです。
そらは、おそらく、信じることでしか、生まれない。
信じることでしか、希望も、幸せも、勝ち取り得(え)ないのでは、ないだろうか。
いかにして、信(しん)じるか。
いかにして、希望をもって信じるか。
いかにして、幸せになりながら、信じるか・・!
いかにして、最大に幸せを勝(か)ち取りながら、信じるか・・!!
それを、最大に、最高に可能にし、実際に幸せになりながら、信じていく、唯一と言っていい道が、創価学会が実践する、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だ!!と、
断言(だんげん)して、終わりにしたいと、思います。