手術の成果 と意味 〜あの時必要だったといえる手術 | 歩む会 Andante

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脳性まひのことや、日々の思いを綴ります。

足の手術をして早5年。まだ5年。
色々あった5年間。

手術したんに、全然良くなってない。
しない方が良かったんじゃないかと。
一番言われたくなかった言葉だった。
なぜなら、自分でも心の片隅にどこか同じように思っていたからだと思う。

「でも、もう手術したんだし仕方ない。あれで良かったんだ。」とモヤモヤしては繰り返し、無理やり自分に言い聞かせるようにしていた。

しかし、何かが崩れるように、心がしんどくなってた。ここしばらく落ち着いていた胃まで痛くなってた(´・_・`)

自分の中で、やっぱり手術しないほうがよかったのか?選択が間違ってたのか。
尖足は解除されたが、思ったほどの効果、描いてた歩きやすさとは違う。自分を責めて、葛藤した。

そんな時、「必要だったと思うよ」と主治医の先生がそう言ってくれた。
手術する前の足の状態も知っている。
それを知ってて、そう言ってるのだ。
私は一気に、心がスーッと楽になった。

「整形外科は、どうしても手術したのだから、成果を求めてしまうんだと思う。
手術して成果出したいというのは、整形外科だからこそあるんだと思うし、そういう考えになる。」と教えてくれた。

そっか!そこにズレを感じてたんだと。

私がずーっと引っかかってた一つには、
術後に経過をみるために、執刀医の診察を受けた時、「せっかく手術したんだからちゃんと成果出してよね。手術した意味ないじゃん」って言われたことだ。
励まそうとしたのか、何なのか分からないがショックだった。

それも、
「執刀医の先生は、思ったような成果にならなかったからそう言うんだろうけど。でも、手術した方がいいっていうのはあったと思うよ。
そうじゃなかったら、手術した方がいいなんて言わないよ。
あの尖足の状態のままだと、今頃歩けんくなってたと思う。先生は、手術してよかったと思うよ。」と言ってくれた。

誰かにそう言ってもらいたかったのかもしれない。私は、すごく安心した。

手術で足の形は治せても、麻痺自体は治せない。
「悪いものを摘出して終わり」
そんなわけにはいかないからこそ、
ずっーとモヤモヤしてたのかもしれない。

「手術は、必要だったからしたんだ。と。全部を良くしようとかそういう方向で、考えると辛くなる。
整形外科的に良くするのは、あくまで、骨格とか筋の部分であって、そこを治したんだと思っていたらいいよ」とも教えてくれた。

なるほどなぁー。とスッと心に入った。
どこかで、あんなに悩んで、決心したからこそ、現状に悔しかった。

でもあのまま放置しておくわけにはいかない、必要な手術だったんだと。
しっかり今更ながら認識できた。

全ては、治すというより、生活をしやすくするため、維持するため。悪化させないため。

以前、「治すことをゴールにすると難しい時もある。どうしたら楽に生活していけるか。生活を良いものにしていけるか…。」そういう風に考えることもできることを教えてくれた。

見方を変えることが改めて必要なんだと思った。
そして、「手術は決して無駄じゃなかった。必要だった」と気づき、わかった。
ありがとう。

ようやく、私のここ数日もモヤモヤが取れました。

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坪田 佳奈