私たちが何気なく使っている言葉には
その先の意図が隠れています。
普段は、それを意識して使っていないんですよネ。
投げかけた言葉で、
相手の思考をコントロールしてしまっていることに
気づいていますか?
例えば子供に
「今日、学校は楽しかった?」と聞くのと
「今日は学校でどんな楽しいことがあった?」と聞くのでは
返答が変わってきますネ。
答える側
前者は楽しかったっけ?から入ります。
後者は確実に楽しかったことをピンポイントで探します。
質問の仕方ひとつで、
脳の検索箇所が違ってきます。
毎日、繰り返し、楽しい事のみを
検索する癖がついていたら
Happyな私をたくさん知ることになります。
その逆もあり。
私が小さい頃、苦手な質問がありました。
小学生、中学生のころ、
出逢うほとんどの大人は、「学校楽しい?」
と聞くのです。
今となっては、挨拶代わりの言葉なんだと
理解できますが、
その当時は真面目に答えなきゃ、って思っていたので、
とっても苦痛でした。
学校が楽しいところなんて、
一度も思ったことの無い私です。
ココロの中では、
「何で大人はこの質問しかしないんだろう?」
「学校が楽しいわけないじゃん」って
ずっと思ってました(笑
でもなぜか、「うん」と言わなきゃいけない
状況を感じていたのでした。
だからといって、
「今日学校でどんな楽しいことがあった?」
なんて聞かれた日には、
これはもう、ウソつくしかないくらい苦しいです^^;
きっとネ
いやー それでも必死によかった探しをしていたかなー?
疑問です。
大体において、
学校は楽しいところなんですよね?
だとしたら、楽しかったことを再認識させてあげるのは
とってもいいコト♪
人間は生命の危機を避けるために
ダメなところ、欠けているところに
目が行くようになっているらしいのです。
だから意識して良かったことを
インプットする必要があるのかな
どちらにしても
相手の立場になる
慮ることが必要なんですネ
もちろん、自分をなくさずに。
子供の才能を引き出そうと思うのなら
その前に
自分を顧みる必要があるんです^^;
「相手にどうなってもらいたい」と
要求ばかりしてしまうけど、
「自分はどうなのか」ってことですネ
自分は自分の才能を生かして
楽しめているのか!ってこと。
お手本が目の前にあれば、
子供たちは、より実感できます。
口ばっかりのお父さん、お母さんではネ…^^;
自分で言ってて耳が痛いゾ
