西暦2018年5月3日。

地球、日本、石川県。

巷はGW。会社はお休み。


またしてもAbbadoのマーラー交響曲第3番を聞いている。



「またか..」と言われそうだが、今の僕にはコレ。


マーラーが作曲したのが100年以上前。

指揮者Abbadoをはじめ、
生涯を楽曲の演奏に捧げた演奏家たちがいて。

熟練の技により職人たちが丹念に作った楽器があり。
(中には一千万を超えるものもあるのだろう。)

美しいコンサートホール。

楽曲の練習/リハーサルとか
コンサート開催の企画や諸手配など、
様々な準備や経緯を経て。

2007年に収録されたこの演奏を、
Youtubeで聞く。

重厚だけど、とても繊細な音。

Abbadoは2014年にこの世を去ったけど、
映像に残された指揮の姿は、
端正で、かつ包容力があって、カッコいい。

演奏者たちも、観客たちも、
生き生きとして、幸せそうで。

10年以上前に撮られた映像。

だけど、その過ぎ去った時間には、
どのような意味があるのだろう?


・・・


モノガタリは、数限りなくあった。

その数多のモノガタリを、
僕たちは楽しんだ。

恐れ、期待、不安、喜び、絶望、...。

感情を揺れ動かしながら、
それらを満喫した。

それらひとつひとつのモノガタリを、
そしてそこに現れる人たちを、
僕は愛した。



人ならざるものからの愛を
思い出し、受け取り、
確信していくプロセスの中で。

モノガタリも、音楽も、
現れ出た人たちも。

それまでとは全く違う意味を携えて。


今の僕には、ひとつの言葉を
足すことも、取り去ることも出来ず。

ただ黙っているのが、
一番相応しいことなのだろうと思う。