希望という名のステーション
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  • 16Sep
    • (ご紹介)JACIMのQA記事

      なんとなくJACIMフォーラムの投稿記事を読んでいて、そこからのリンク先で紹介されていたJACIMのQA記事が分かりやすかったので、紹介しておきます。◆【質問】No.8 「聖霊の声を聞く」ということについてACIMに馴染みのない人は、聖霊=自らの内にある良心と読み替えてもらえばよいかと思いますが、自我の声と、聖霊の声を比べると、圧倒的に自我の声がでかくて、僕の個人的な感覚でたとえると、自我の声が  40デシベル(ささやき声) ~110デシベル(自動車のクラクション(直近))としたら、聖霊の声は10デシベル以下という感じかと。 ※ご参考:騒音の大きさの目安+「聖霊の声は声ではない」というのもその通りだなぁ、と思います。◆【質問】No.39 非二元論(一元論)の危険性:防衛として使われる一元論についてACIMでは、「この世界は幻想」みたいな表現がよく見受けられるのですが、この部分だけをボンと出されるととても誤解を受けやすい表現で、幻想だからどうでもいい、というふうに捉えられがちです。でも当然そういう話ではなく。ワプニックさんの回答はなかなか手堅く、模範解答的だなぁ、と思います。ご参考になりましたら、幸いです。

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  • 07Sep
    • 悲しいことなんて、本当は無い

      前にも一度書いたけど、7月までは3番ばかり聞いていたが、8月の初旬?からひと月あまり、こればかり聞いている。クラウディオ・アバド指揮、ルツェルン祝祭交響楽団によるマーラー 交響曲 第6番話は変わって。先日このDVDを借りてみた。「この世界の片隅に」あと最近、このマンガを読み返した。「スピリットサークル」(全6巻)スピリットサークル (1) (ヤングキングコミックス)Amazonこの「スピリットサークル」というマンガ、中学2年の二人の敵対的なソウルメイトが、お互いに7つの過去生を再体験しながら、カルマを解消していく話。それほど有名ではないようだが、手塚治虫の「火の鳥」のパーソナル版みたい感じ。コミック6巻と、ほどよく纏まったボリュームだけど、僕から言わせるとなかなか読ませてくれる傑作。#ちなみに、つくづく漫画家というのは、天才だと思う。#表現力豊かな絵を描きながら、#ストーリーも絶妙で。#僕には逆立ちしても作れないな..。3点、並べてみたけど、共通するキーワードは「悲しみ」。マーラーの6番の副題は「悲劇的」。「この世界の片隅に」で主人公は、家族や自分の右腕など多くの大切なものを失った。「スピリットサークル」のストーリーも、転生の中でお互いを傷つけあう二人の底辺に、憎しみ合うことへの悲しみが流れている。キーワードは「悲しみ」..なのだけれど、何かちょっと変なのだ。「悲しみ」と一言で表現しているけど「悲しみって、一体何だっけ?」、みたいな。確かに、悲しみの感情と表現できる感覚は分かるし、感情が揺さぶられ、コントロールできない涙、嗚咽が起こるのも分かる。でもそれは、「悲しい」という言葉で表現するのが適切なものなのだろうか?反論として、「それを「悲しい」と表現せずに、 なにを「悲しい」と表現するんでしたっけ?」と言われると、それはそうなんだけど..。でも、昔自分が思っていたような「悲しみ」の感覚とは違って、なんだか希薄?に感じられるのだ。「この世界の片隅に」を見た時も、涙は流れるものの、主人公のキャラとか、全体の雰囲気・世界観もあってか、あまり「悲しい」という感じがせず。むしろ主人公が愛され祝福された人のように見えて、涙が流れる始末..。あと、「スピリットサークル」のラストに近いあたりで、こういうシーンが描かれていて。「悲しいことなんて、本当は無いんだ」癒されない傷から目を背けるために暴走し、地球を破滅に追い込もうとした過去生の自分に対して、今世の主人公が語りかけた言葉。#ちなみに、「泣くなおれ」と言っているのが#今世の自分で、他の7人が過去生の自分。「悲しいことなんて、本当は無いんだ」中学2年に語れる言葉とは思えないが、いくつもの人生を生きると、そういう感覚になるものなのだろうか?本当に失われるものなど、何も無いから?「悲しいことなんか、何も起きてない」素朴な疑問。それは本当なのだろうか?急いで答えなくてもいい、と思っている。それが本当なのかどうかは、誰に言われなくとも、いずれ確信することだろう。本当の僕は、確かにそれを知っているから。

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  • 05Sep
    • Moon Riverに思う

      うちの会社では退勤時間になると音楽が流れるのだけど、最近そこで「Moon River」が流れていることに気づいた。Moon River。この曲を聞くと、僕はあのときのことを思い出す。昨年2017年の春、京都で開催された、ゲイリー・レナード、シンディ・レナード両氏によるACIMの講話会。ゲイリーとシンディが歌ったMoon Riverが深く印象に残っている。この世界が束の間の幻想と説くACIMの講話会。そういう場でふたりが歌ったこの歌。とても思い出深い講話会だった。金沢から4人+大分の兄弟の計5人で参加。会場は、梅小路公園西側「緑の館」の1F。桜の季節、大きな窓から美しい庭園が一望でき。彼らは色々とACIMの話をしてくれた。そのときは確か「フムフム」と聞いていたはずだけど、話の内容は殆ど覚えていなくて...。でも、それはそれで良くて。美しい庭園を眺めながら、魂の友人たちと束の間のひとときを過ごし。ゲイリーとシンディの歌に、はかなさと、美しさ、懐かしさを感じ。それで十分だった。はかなくも美しい幻想にハートは震え。人生というものが幻想であったとしても、見ている世界が幻想であったとしても、それはそれで良くて。兄弟たちと懐かしい家へと向かう帰り道の物語。この物語が祝福の物語と感じられることは、僕にはとてもありがたいことだった。

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  • 04Sep
    • 実在の世界から見たら..

      幻想の世界にいて、実在が云々と語ってもなんだか伝わらないところがあるような気がして。なので逆に、実在の世界から見たら、幻想の世界はこんな感じ、っていうのを、少し書いてみました。いかにも続きがあるような文章になってますが、続きの予定はありません。。(笑)・・・やぁ、いつもありがとう。あのさ、ちょっと面白かったことがあって、それを今から、君に話そうと思うんだけど。え、「君」って何かって?あぁ、それは..、今からする話である程度分かってくれると思うんだけど、僕ではない「誰か」のことだよ。ここには当然僕しかいないから、僕ではない「誰か」って、わけのわからない概念だけど、この話を聞いたら「君」もそれっぽい概念を構築できると思うよ。..で、今から話そうとしていることなんだけど、幻の話なんだ。「幻」というのは、真実ではない想像上のこと。作り物のことだよ。真実しかあり得ないから、幻のことに言及しても意味はないんだけど..、そういうことも想像はできる、っていうことだね。本当に奇妙な幻だったよ。まぁ、その幻の世界、...「世界」っていうのは、僕を矮小化したときに、僕ではないものとして切り離して知覚化されるほうの僕のことで..。あと「知覚化」というのは、矮小化した僕が、世界側の僕のごく一部の情報を極度に歪曲して、矮小化した僕の内部の認識領域に取り込むこと..、と表現できるかな?僕は僕以外ではあり得ないから、僕を矮小化するとか、僕を僕じゃないものとして知覚化するって、奇妙な話なんだけど、その幻の世界では、何十億と分裂し矮小化した僕が生きているように見えて、それも、それが当然なこと、当たり前なことだと認識されていたんだ..。で、その幻の話をしようと思ったんだけど、諸事情あるようなので、また今度ということで..。ちなみに、この幻の話は、中継プロセッサを経由して、その幻の世界に戻すことになっているんだ。戻すときに、中継プロセッサで翻訳されるんだけど、その中継プロセッサが疲れちゃったんで「また今度」ってことなんだ。僕の中でこの話はとっくに終わっているけど、中継プロセッサは時空の中でかなりの演算を必要とするから、少しづつしかあの世界に戻せないんだ..。気長に翻訳されるのを待つことにしようか。とはいっても、時空も僕には関係ないんだけどね。

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  • 26Aug
    • 罪悪ラベル

      「罪悪」について少し、僕なりに考察というか、「こんな風にイメージしています」的なことを書いてみます。なお、以下文中では、罪悪という言葉・表現を使って色々書いておりまして、それはACIMから影響を受けたことから来ているのですが、僕なりにそうイメージした、というもので、ACIMの内容と一致しているわけではありません。その点、ご了承ください。・・・罪悪という言葉は、結構インパクトの強い表現ですが、ここで罪悪と表現しているのは、人差し指で何かを指さして ☜ 「**が悪い」と言うことです。(言わずに、頭の中でそう思うことも含んでいます。)その対象は、人であったり、動物・モノであったり、出来事であったり、規則とか、概念とかであったり、色々ですが、何らかの理由・根拠をもとに、「**は悪い」「**は嫌い」というわけです。そもそも、罪悪というものは、ありませんでした。元々存在していていなかったものなので、これは僕(僕たち)が作り出した(発明した)概念です。僕はこの概念を、色んな場面で使うことができます。ペタペタと貼り付けるシール・ラベルをイメージすると分かりやすいかもしれません。「罪悪ラベル」と表現しましょう。ドラえもんのポケットから出てきそうなツールとしてイメージしてもらうと分かりやすいかな、と思いますが、この罪悪ラベルは、透明(物理的な目には見えない)で、いつでも、どこにでも、何にでも貼ることができます。他の人から見ると、僕が何に対して罪悪ラベルを貼ったのか、パッとは分かりませんが、僕自身が貼った罪悪ラベルは、透明であるにもかかわらず、瞬時にそれを様々な「不快感」として感じ取ることが出来ます。この罪悪ラベルは、とても便利で重宝なものでした。僕の安全・安心を脅かしそうなものに貼っておくと、僕はそれを検知したときに、それを排除したり、それから逃げることが出来、それにより僕の安全・安心を保つことが出来る、というわけです。さらに、お便利機能として、以前に罪悪ラベルを貼りつけたものと類似したもの(人・モノ・事象・概念)に対して自動展開・貼り付けする仕掛けを用意しました。自分の安全・安心を保ちたい僕は、その罪悪ラベルをたくさん作って、いろんなものに貼りました。たくさんのもの(人・モノ・事象・概念)に貼ったうえに、類似したものに対して自動展開されることもあり、色んな場面で罪悪ラベルを見ることになりました。このようにして、僕の見る世界は、罪悪ラベルに満ちた世界になりました...(^^;・・・以前は無意識に、いろんなものに罪悪ラベルを貼りまくったわけですが、この時点で振り返ってみると、「あら~、やっちゃったよ~」みたいな感じです...(・´з`・)幸いなことに、罪悪ラベルは剥がすことができますので、今はラベルを見つけたら、剥がすようにしています。ラベルは相変わらず不快な感覚を引き起こすので、やっぱり「イヤだ」とか「見たくない」と思ってしまうのですが、自分で貼りつけたラベルなので、自分で責任を以って始末するしかありません..。僕が誤って作成し貼りつけたラベルですが、僕はこのラベルを愛し、重宝に使っていたので、合掌して剥がします。なかなか剥がれないラベルもあるのですが、自分で貼ったラベルなので、最後まで付き合うつもりではおります..。(^^;新規ラベルの製造・貼り付けは、もちろんNGとしています。罪悪ラベルを剥がすことで見えてくる世界は、もちろん罪悪ラベルの無い世界です。それはきっと美しい世界だと想像しますし、僕のハートはその美しさの予兆を感じ取っているように思います。・・・罪悪について、僕がイメージしたことを簡単に書いてみました。表現が稚拙で誤解される部分があったりとか、また基本的な考え方が受け入れられず、腑に落ちない方、同意されない方などおられると思いますが、一般的な考え方ではないので、仕方ないかと思います。ただ、もしこういうものの見方が役に立つことがあれば、ということで、ご参考までにUPさせていただきました。

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  • 25Aug
    • 直接的な叡智の道(メモ)

      今年、53歳になったのですが、僕が何をやってきたのか、またそれを、何と表現すればよいのか、分からなかったわけです..。でもさきほど、かなりしっくりする表現が来ました。「直接的な叡智の道」膨大な迷路となった論理・ロジックに対して、直接的というか、超越的、跳躍的、量子的(Quantum)な叡智。答えはすでに存在していて、それをハートで知覚する。ほとんど独り言レベルで、「わけ分からん..」と思われることでしょうが、僕自身のメモということで。

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  • 23Aug
    • いままで頑張ってきたけど...

      いままで頑張ってきたけど、もうダメかもしれん。。。ただ今のお部屋の温度。この夏も扇風機で乗り切る作戦だったが、さすがにキツい。限界か...(^^;# どうも今日は、かほく市の最高気温 39.2度だったとか..ヽ(゜▽、゜)ノ

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  • 12Aug
    • 特に何ということもなく..

      暑さは多少やわらいだ、といっても、まだ暑く。でもここ数日、夜の室温が20度台になってくれているのはやはりありがたいです(^^)昨日より、会社は夏季休暇に入り、次の日曜日までいちおうはお休み。でも、海外工場が稼働しており、その生産に支障が発生しそうな場合は、休み期間中に呼び出しが発生するかも、とのこと。何事もなく済んでくれれば有難いのですが..(^^;・・・日々、淡々と過ごしていて、改めてブログにUPするようなことは無くて..。そういえば2日前、この春から東京の大学に通っている上の子が帰省してきました。ちゃんと学校には行っているようだし、それほど変わったこともないようだし。元気な姿を見せてくれるだけで十分だな、という感じ。・・・別段ここに書く話でもないですが、今月買ってみた本ということでご紹介。ファンタジーの終焉 ― 生命の充全さへのいざない(覚醒ブックス)1,512円Amazon「ファンタジー」という言葉が使われているが、これは、分離感、欠乏感のことを指すのだとか。対話形式で、文字の量も少ないので、結構あっさりと読める本だが、著者が言っていることは分かるといえば分かる。(僕がここ数年触れているACIMのほうは、 ある意味ちょっと特殊なルートで、 この著者の言っている話のほうが 人間感覚的には分かりやすいように思える。)・・・あと、これも別段ここに書く話でもないですが、8月に入ってからは、この曲をよく聴いていました。クラウディオ・アバド指揮、ルツェルン祝祭管弦楽団によるマーラー交響曲第6番。マーラの交響曲は共通して「長い」のですが、この第6番も1時間20分超の演奏。正式なものかどうかは覚えていないが「悲劇的」という副題がついていて、第四楽章の「ドスンっ」というハンマーの音が、妙にインパクトあって。一方で、2番目の楽章は、もの悲しくも朗々と奏でられる旋律が美しい。演奏もいいけど、映像も良く。オーケストラの様々な楽器が優雅で包容力のあるアバドの指揮の元で、見事に統制のとれた一つの楽器のように演奏されていて、見ていても楽しめます。(^^)・・・特に「何」ということもないのですが、この夏もあとしばらくで終わりですね~。秋に向けてこれからまた少しづつ、様相が変わっていきそうな感じです。

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  • 05Aug
    • 何ともじれったく...

      #少々直して、再度公開にしました。ご無沙汰しております(^^)とても暑い日が続いていて、体調を崩される方もおられるようで。。。ぜひとも身体のほう労わってお過ごしいただければと思います(^^)ブログのほう、少し書くのが空いてしまった間に、中国地方を中心に大きな水害もあり。テレビなどのニュースで、真備町が大変な被害を出したと。大学の同級生がいるところで。犠牲者のリストには彼の名前はなかったが、彼の家も被害に巻き込まれたのだろうと思われ。遠地の僕は、何をしてあげられるわけでもないのだけれど、無事に元気でいてくれれば..、と思います。(祈)・・・さて、話は変わって。僕が密かにフォローしているACIM(奇跡講座)学習者の方のブログがあって。今回はそのブログへのリンクは差し控えますが、ある意味とても「控えめな方」で。その方(Tさん)の書かれるブログにはときどき、聖霊の声が聴こえないけど、とか、自我を優先して聖霊が勧めることをやれていないかも、とか、正解が分からない、とか、そんなトーンのことが書かれているのです。ブログを読んでいると、お人柄がよく出ていて、誠実で、とても慎重かつ丁寧にものごとを見ておられるので、そういう表現とか捉え方をされるのだろうし、そう書きたくなる気持ちは、何となく想像は出来るし、それはそれで良いのだろう、とも思うのですけど...。で、そのTさんの今日のブログを読んで、僕は少々涙を流したわけです。今日のTさんのブログには、「確かにこれは導かれているなぁ~。 見せてもらっているなぁ~。」と思えるようなエピソードが書かれていたのですが、そのことに対するTさんの受け取り方が何とも慎重で..、じれったい。#じれったい=もどかしい、ですね。僕の目から見るとTさんは、めっちゃ愛されている人のように見えるのです。誰に愛されているか、というと..、ACIM的に言えば神とか聖霊、という表現だろうし、仏教者であれば、仏の手、という表現かもしれないし、スピリチュアル的には、全的なるものとか、一なるものとか、聖なるものとか、僕の好きな表現でいえば、導き手とか、もうひとりの自分、僕の反対側にいる自分、といってもいいし、「本当のところはどうなの?」と聞かれたら「僕にはわからない」という回答になるけど、そんなことはどうでも良く、いずれにせよ、途轍もないものから愛されていて。でも、受け取り方がとても慎重で。 私はまだまだだから、 これからももっとひたすら ACIMの教えを学んでいかないと...、みたいなトーン。なので、ブログを読んでいるうちに、じれったく感じてきて。文脈が飛んで分かりづらくなるかもしれないけど、一言で書いてしまうと、神から愛されているんだから、それでいいだろ?その愛をハートに感じて、悦びに満ちて泣けばいいだろ?...と、めっちゃ言いたくなったのです。言いたくなったのだけど...。でも、伝わらないときには伝わらない、というのも、そうなんです。僕の思考では、そういう愛と喜びの物語がイメージされて。「帰り道は、喜びの道」というのも、ある意味思い込みかもしれないけど、赦しは僕たちをそういう喜びに導くものだと思っていて。ただ一方で、知覚の変容とか、受容とか、理解の深化に時間がかかるのは、この世の常で。Tさんはきっと、それがすぐそこ見えるはずなのに..。まだしばらく時間が要るのか...。神に導かれているのに..。神に愛されているのに..。そのことが分かれば、もう十分なのに...。だから、何ともじれったく感じるのです。・・・なんだか人様に見せても「なんのこっちゃ」的な内容かもしれなくて。こういう物事の捉え方は、悪く言えばやはり陶酔的でもあって、幻想といわれればそうなんですけど。でもその物語は、見えざる導きの手により用意された幸せな物語であり、その物語を喜んで受け入れれば良いのではないか、と僕は思ったりするわけです。#なんだかんだと書いていますが、#結局自分に向けて書いているんだろうな..、#とも思います。

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  • 29Jun
    • 【ご紹介】JACIMフォーラム

      今朝、トベさんのブログを読むと、「JACIMフォーラム」なるものが始まっているとのこと。JACIMさん主催でのメンバー登録制による掲示板のようです。http://jacimforum.com/phpBB/興味のある方は、アクセスしてみてくださいませ(^-^)/

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  • 10Jun
  • 03Jun
    • L195. Love is the way I walk in gratitude.

      ACIMのワークブック今日と明日はこれレッスン195. 愛は私が感謝の内に歩む道である。 Love is the way I walk in gratitude.ワークブックは、第1部と第2部に分かれているのだが、第1部の終わりが見えてきた感じ。いつもいつも、あまりよく出来たとは言い難いのだけれど、どのレッスンも愛と力に満ちた、素晴らしい内容だった。#まだ終わってないけどとてもありがたい人生を歩ませてもらっているとつくづく思える。重ね重ね、感謝しています。いつもいつも、本当にありがとう。

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  • 26May
    • 美しい星

      もう、ひと月以上前の話になるがレンタルDVD屋さんで、こんなDVDを見つけた「美しい星」(原作:三島由紀夫)三島由紀夫といえば1970年ごろに割腹自殺した例のあの人この映画は、その原作をベースとして大幅に現代風にアレンジされているが水星人、金星人、火星人が地球に転生しひとつの家族として普通に日本人として生きていたのがある日突然宇宙人として「覚醒」する、というところは、原作からのもの今でこそ、宇宙人の生まれ変わりという話は#あくまでもトンデモ話としてかもしれないけど受け入れられてきているがこの原作が書かれた時代のことを想像すると三島さんという人が(当時としては)とんでもない時代感覚を持っていたのだな、というところに驚かされる・・・話は変わって、前の週末、5/20,21の話仲間うち?で、ワイワイと楽しく過ごしました(^^)仲間うち?、と「?」をつけましたが、何の仲間?、というか、仲間といえないかもしれなくてなんか知らんけど集まってきた人たちというか(笑)ACIMつながりと表現するのが早いのでしょうが「ACIMやりまーす!」みたいな感じでもなくといいながらも、この部屋に4人集まって空禾ちゃん主催のACIMウェブシェア会に参加しいずれにせよ、楽しく過ごすことができましたいつもいつも、ありがとうございます(^^)・・・僕がこの世界での生を始めてから53年経過していてあとどのくらい、この形での生が続くのかとかどのような体験をしていくのかとかそんなことは今の僕には分からないのですが様々な混乱と様々な罪悪と様々な苦痛と様々な絶望をこの世界に見てきたつもりでしたそれなのに、ハートからの感覚はそれとは違う何かを伝えてくるのです聖なる目には罪悪は見えずキリストと天の王国しか見えないとACIMは言っていて僕はどうもちがうものを見てきたのだな、と美しい星はそこにあったのだな、と思うのです

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  • 18May
    • Everything is under control, relax.

      一昨日、急に伯父さんが亡くなられ、昨日はお通夜。そして今日は、今からお葬式に行ってくる。母を連れて高岡の式場に行ってくるのだが、亡くなられた伯父さんは7人兄弟だった母にとって、最後まで残っていた兄弟だったそうだ。一人減り、二人減り、というのは、やはり寂しいものだろうな...、と思う。・・・さて、僕はひそかに読ませていただいているブログの昨晩の記事。再検査異常なし(手術確定)ここに書かれていたこの言葉が「いいな」と思う。  Everything is under control, relax.英語だからカッコいい、というところもあるが、ここで"under control"と言っているのは、ACIM的にはHoly Spirit(聖霊)のコントロールのことだろう。これは、僕の言い方だと、聖霊=神といってもいいのだが、すべての事柄が神の忖度によるものなので、安心して任せていれば良い、という捉え方になる。エゴは怖れの感覚を元に現状を否定し、暴れたがるのだけれど。幻想の中で何が起ころうと、それはもう決まったこと、終わったことであり。見る世界に罪悪を見ることなく、心の平安を保って生きていく。僕はそれを、受け入れたいと思う。

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  • 11May
    • 近況と、5/19,20の予定お知らせ

      最近は、ブログに書くこともそれほどなく。自分的に大過もなく、普通~に過ごしております。タイトルのとおり、少々近況と、あと5/19,20の予定ということで書きますが、まずは5/19,20の予定の方から。・・・5/19,20、金沢市某所で集います。メンバーは、某空禾さん、某ラピスさん+僕です。具体的に「**をやります」というのはないですが、このメンツなので、まぁそういう感じの集いです。#...知らない人には全く分かりませんよね...(^^;なお某女子2名は、某所で一泊の予定です。5/19の昼過ぎ(13:0014:30くらい)から5/20の夕方までいるかと思いますので、興味のある方は遊びに来てください。差し入れ、歓迎いたします(^^)#5/19の開始は、ポケモン収穫課の人たちが多忙のため、#13:00→14:30にしました。m(_ _)mなお5/20(日)の10:00~12:00あたりまで、空禾さん主催で「ACIM・ウェブシェア会」が予定されていますが、今回某空禾さんと僕は、この某所から参加予定です。ACIM・ウェブシェア会の詳細・申込みについては、[告知]5月の「ACIM・ウェブシェア会」のお知らせにてご確認くださいませ。(^^)・・・あとは近況ということで。【ACIM】ワークブックは、それなりに続けていて。今日のレッスンは、これ。レッスン184. 神の名は、私が受け継いだ賜物である。原文ではこう。 The Name of God is my inheritance.原文には、「賜物」というニュアンスの単語は入っていないように見えるけど...。レッスン181から、トーンが1つ上がった感じ。レッスンのタイトルだけ見ていても分かりませんが、新車のエンジンの慣らし期間を終えて、ようやく普通にアクセルを踏み込めるようになった、って感じでしょうか。L184に限って言えば、僕のお仕事=プログラマーがやってきたことをおさらいするような。空間を想定し、名前をつけることで分離し、それぞれに違う意味を与える。その名前をつけたもの毎に、アレとソレは違う、私とあなたは違う、という。確かに、そういうことをやってきたんだなぁ、と思う。【星回り】そろそろ天王星が牡牛座に移るのだが、会社の仕事内容とか、人の異動とかも、それに合わせてシフトしていくように見えている。まぁ、幻想といえば幻想ですが。【音楽】時間があれば、未だにAbbadoのMahler 3番を聞いている。いいものは、何度聞いてもいいわぁ~。【上の子】4月から東京に行ってしまったが、GWは帰ってこず。何をしているんだか、よく分からない。自分の若い頃もそうだった、ということだけど...。..なんだか纏まりもありませんが、まぁそういうことで(^o^)/

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  • 09May
    • 【注意喚起】変なURLをクリックしないように(特に、skypeユーザの方)

      さきほどの話なのですが、僕のskypeのチャットメッセージに、この5,6年くらい、お付き合いが切れている方からメッセージが入ってました。そこには、 https://www.goo.gl/NBmc....(以下、省略).....のようなURLリンクが書かれていて、うかつにも僕は、そのリンクを押してしまいました。そのURLの回送先は、詐欺サイトだったようです。...(^^;そのサイトにアクセスすることで、どのようなことになるかまで突き止めておりませんが、skypeのチャットで変なURLが送られてきたら、#skypeに限らず、色んなルートでそういう怪しげなところに#誘導しようということがありますので、そこにうかつにアクセスしないよう、ご注意くださいませ。。。あと、もし僕からskypeのチャットメッセージで、そういうURLが送られてきたら、僕のskypeが乗っ取られてしまった可能性大です。そのようなことがあったら、僕にその旨メッセージください。お騒がせして、申し訳ありません。。。m(_ _)m

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  • 03May
    • 相応しいこと

      西暦2018年5月3日。地球、日本、石川県。巷はGW。会社はお休み。またしてもAbbadoのマーラー交響曲第3番を聞いている。「またか..」と言われそうだが、今の僕にはコレ。マーラーが作曲したのが100年以上前。指揮者Abbadoをはじめ、生涯を楽曲の演奏に捧げた演奏家たちがいて。熟練の技により職人たちが丹念に作った楽器があり。(中には一千万を超えるものもあるのだろう。)美しいコンサートホール。楽曲の練習/リハーサルとかコンサート開催の企画や諸手配など、様々な準備や経緯を経て。2007年に収録されたこの演奏を、Youtubeで聞く。重厚だけど、とても繊細な音。Abbadoは2014年にこの世を去ったけど、映像に残された指揮の姿は、端正で、かつ包容力があって、カッコいい。演奏者たちも、観客たちも、生き生きとして、幸せそうで。10年以上前に撮られた映像。だけど、その過ぎ去った時間には、どのような意味があるのだろう?・・・モノガタリは、数限りなくあった。その数多のモノガタリを、僕たちは楽しんだ。恐れ、期待、不安、喜び、絶望、...。感情を揺れ動かしながら、それらを満喫した。それらひとつひとつのモノガタリを、そしてそこに現れる人たちを、僕は愛した。人ならざるものからの愛を思い出し、受け取り、確信していくプロセスの中で。モノガタリも、音楽も、現れ出た人たちも。それまでとは全く違う意味を携えて。今の僕には、ひとつの言葉を足すことも、取り去ることも出来ず。ただ黙っているのが、一番相応しいことなのだろうと思う。

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  • 23Apr
    • シスターたちとお茶しながら

      昨日(4/22)は、お茶の日でした。シスターたち(5人)が美味しいもの持参で来てくれて、楽しい時間を過ごすことが出来ました。まずは御礼ということで、ありがとうございました~(*^▽^*)・・・ACIM的な世界観がOKなシスタたちなので、それに絡んだ会話が多かったですが、まぁ笑わせてもらいました(*^▽^*)昨日のメインテーマは、瀬戸康史瀬戸康史瀬戸康史#あの場にいた人しか分からんですが..(^^;なぜ自分と瀬戸康史を比べて苦しく感じるのか、僕にはよく理解できなかったのですが、まぁ人の感情というものは、思いがけないところで揺れること、ありますね..。(^_^;)集まってお茶したのが4ヶ月ぶりなので、まぁみなさん、ここぞとばかりに喋っていかれました。#僕は5時間で3言しか喋りませんでしたが...ACIM的な世界観がOKなシスターたちですが、それぞれに理解度も捉え方も違うし、やっぱりACIM分かってないかも、みたいなところもあって。でも、全然それでいいんだろうなぁ~、と。ワイワイ楽しくお茶している様子をきっとHoly Spiritは目を細めて眺めていただろうなぁ、と思います(^^)次回は未定ですが、また楽しくお茶しましょう(^^)

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  • 22Apr
    • ご紹介:一歩退いてエゴを見つめる(ブログ:ACIMタッチアンドゴーより)

      僕がよく読ませてもらっているブログがいくつかあって、そのひとつに「ACIMタッチアンドゴー」というブログがあります。東京でWebデザイナーをされているトベさんのACIMワークブック実践記なのですが、日々のワークのレッスンと日常の出来事がなんとなくリンクする感じで書かれているのと、あと僕と同じくIT系の仕事をされていることもあり、毎回楽しく読ませていただいています。いつもありがとうございます m(_ _)m>トベさんそのACIMタッチアンドゴーで、こんな記事が書かれていたので、紹介します。 一歩退いてエゴを見つめるFACIMにUPされているワプニックさんの講話記事Rules for Decision(英文)を翻訳された記事ですが、一部抜粋記載します。 ・・・ (...前略...) あなたはエゴなのではありません。 あなたがエゴを選んだのです。 そしてあなたの心の中には、 私たちが"決断の主体"と呼んでいる部分があり、 それがエゴを選択するのです。 (...中略...) ということは、あなた自身が少しずつ エゴから距離をおいていけばよいのです。 エゴを見つめることが赦しにとって 必須であるのは、このためです。 実際、それこそが赦しです。 もしあなたが自分のエゴを見つめるなら、 そのエゴを見つめているあなたとは誰でしょうか? もちろん、エゴではあり得ません! (...中略...) そのあなたというのは、あなたが見つめている エゴとは別のものでなければならないからです。 (...後略...) ・・・#勝手に引用させていただきました。#お赦しくださいませ.. m(_ _)m >トベさん・・・あと、トベさんはWebデザイナーなのですが、自作のステキ~♡なユリのイラストをUPされてました。ユリ好きな方、どうぞご覧くださいませ。(^^) 赦しの百合 (Lily of Forgiveness)#これも勝手に紹介させていただきました。#お赦しくださいませ.. m(_ _)m >トベさん

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  • 21Apr
    • ACIMマニュアル編「祈りの歌」

      10日くらい前からだろうか?少し気になって、マニュアル編の「祈りの歌」を読んでみていた。前にも一度読んでいるはずなのだが、例によってすっかり忘れてしまっていて...。(^^;まぁもっとも、それは単なる記憶力の話ではなく、ACIMへの理解度・馴れ度合いが変わっていて、同じ文章を読んでも捉え方が違ってきているから、ということもある。ACIM的に「祈り」をどういうものとして捉えているのか気にかかり。世間一般の用法として、「祈り」という事柄をイメージしたときに、「**が##になりますように」のような願望実現的な事柄と連想されるが、そういうノリはACIMとは相容れないように思われ。「ACIM的にいう祈りとは、どういうことだろう?」という素朴な疑問から、「そういえばマニュアル編に「祈りの歌」というのがあったな」と思い出して読んでみたわけだが。案の定、うまいこと書かれていた。その祈りに達するには段階があり。兄弟姉妹たちの無罪性を見て。一なるものへの平安の道であり。無私なる一つの歌。..まぁ、僕が云々書くよりも、実際にご自分で読んでいただければいいんですけど...。・・・僕の物語に現れたこの紺色の本。この物語は、実によく出来ていて、この紺色の本も、準備され予定されていたものだろうが、「ほんと、すごい本を僕は準備してきたんだなぁ~」と思える。僕のボキャブラリーでそれを表現するときに、一番しっくりするのは「美しい」という言葉なのだけれど...、それを「美しい」と表現したくなる理由/背景は、他の人にはなかなか分かってもらえないように思える。それはそれで仕方がない。なかなか伝えられる事柄ではないし。僕はそれを「美しい」と感じて、そのことを喜んでいればいいのだろう、と思う。

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