テンセグリティを持ち歩くのに、これを作った時は、うっかり自分を天才かと思うところだった。持っていった自作の風呂敷がサイズ足らず(涙)で、翌日の諏訪巡りをどうしようかと思ったけれど、シャワー浴びてご飯たべて人心地着いてふとカバンのウチポケットを開いたら、大きめのビニール袋を大分以前に仕込んでいたことを発見した。ハサミの小さいのはいつも持ち歩いているので…。ビニール袋を切って長くして…ま、それだけなんだけども(ハードルが低い)。

 

翌日はものすごい風の日だったけれど、なんとか目的を達成しました。4社巡り。何か…持ち歩きたかったらしい。後で、雨が降らなくて本当に良かったと思ったけれども…。

 

 

 

翌日の朝。

バス待ちで、せっかくなので湖近くの公園で記念撮影。

 

 

 

諏訪大社。

あまり神社の建物に好き嫌い無かったのだけれど、なんか好きです、と思った。

 

 

ベンチに座って、前宮に行く道を調べていたら、おばあちゃま達に、それなあに?と色々話しかけられましたので、これはこの世の成り立ちを視覚化したものかなと考えております云々などと布教(違う)。

 

何でも都留市には、稲わらで色々な形に作ったものがあるそうです。

 

良い旅を!とおばあちゃま達に見送られて前宮に出立。

 

 

すぐに北斗神社なるものが。

ご祭神は、アメノミナカヌシ様で天寿を祈る神だとか。

階段は200段あるそう。

 

通り過ぎるのは負けた気がして(コラ!)登ってみた。

カミカラのチョウセンジョウはウケテタツベシ。

 

関係各者様の天寿を勝手にお祈りしました。

これで例え災難で寿命が尽きたとしてもそれが天寿と思って諦めて下されたし(ナニソレ)。

 

 

 

 

大分歩いたけれど、前宮に到着。

前宮は良かった!

 

特に裏手の古老の樹々様たちが!

写真では伝わり難くなっているけれども…。

 

 

 

せっかくなので、記念撮影。

 

 

前宮近くの喫茶であんみつを食べたけれども、そこでもお店をしているおばあさまにそれなあに?と聞かれましたので布教。帰りに、素晴らしいお話をありがとうございました、って言われてしまった。よく知りもしないままに感覚で説明する無責任な感じどうかと思う…ヨ。

 

そして改めて下諏訪へ。

ここでお目当のところで昼食を食べたけれど、事件はここで起きた!

 

なんと観光客の白人女性に絡まれたのである。

こんなの生まれて初めて!。

 

私も帽子を取ろうかなと思ったのだけれど、風が強い日で髪が乱れがち、同席の人もおらず、昼の部閉店間近に飛び込んだ為長居をするつもりもなく、帽子は取らずにいたのだが、それが気に入らなかったらしい。

 

後ろを振り返り、上から下までじろじろあからさまに見ているようだ。

なんかもしかして、見られた?と思ったら、同席の多分案内役の日本人のご夫婦に、

「彼女はここでキャンプでもするつもりなの?」と。

 

ああ多分帽子だなと思って私はスマホで「帽子、マナー」と検索をかけたら出て来た。

 

男性は室内では帽子を取るのがマナー。女性は帽子によってはファッションの一部として取らなくてもよい。ただし、カジュアルな帽子は取るのがマナーとあった。

 

そうですよねー、とは思ったが、ああいう言い方をされると言われた通りにはしたくなくなるのが人間というものではあるまいか(私だけ)。

 

彼女は店を出ると、「彼女は自分のスタイルを貫くのね!」とまだ外で言っていた。英語で。それぐらいの英語はわかったわ!(話せないけど)。

 

まあ洋服文化で何から何まで貴方様のおっしゃる通りなんでしょうけれども、白人の一部の方々のお節介は本当に厄介。どうぞお国にお帰り下さい、なんて思っちゃった。

 

白人文明の終わりの最後のあがきを見た感じ(大げさ)。

 

でもお店の人は気を使ってか、優しい言葉でお見送りをして下さり、気を取り直して、改めて秋宮へ。

 

お昼過ぎは人が多かったので、記念撮影はちょっとしかねた。

 

その後春宮へ向かったけれど、なんと今度は道を間違えたらしく、心細くなってきた。(この比較的短い距離でどうして道を間違えるのか…)

 

そこで、向こうから歩いてきた古老に道を尋ねたところ、やはり間違えていることが判明し、しかしその後、その古老が道を案内して下さり、春宮もご説明して下さり、帰りの電車時間に見合うように近場の名所を案内して下さり、最後は駅近くまでお見送り下さった。ご一緒して頂いたのはたしか1時間半ぐらいだったけれど、ちょっとした小さい頃の話など、面白いお話をお伺いすることができました。

 

春宮の近くにある、祓戸の神がおられる小さな祠や、万治の石仏などは一人では行きそびれていたと思うので。

 

 

 

春宮は、一目見た瞬間、私の心臓がしゃべった。説明できないのだけれど、胸から声が出る時がごく稀にある。子供みたいな声。

 

「うわ〜。居る〜。」

 

 

春宮には、確かに、存在が、おられた。

 

神社によって、居る居ないって、比べると如実にわかるので、ひところ神社にはもう居ないのではないかと思ってから、あまり神社巡りをしなくなっていたのだけれど、春宮には、確かにおられました(当社比)。

 

 

 

そしてその時、何かを理解した気がしました。

 

 

無形のものは秘せられたところで継承されていく。

例えていうなら、敵をあざむくにはまず味方から、の神バージョンがある。

 

だから深いところは知らさることはない。

人間の自由意志は尊重されているけれど…。

 

神も審神者しなければならないというのは、そういうことなんだなーと。

 

 

祓戸の神が祀られて居る小さな祠がある少し離れた広場では、その御前にて横笛を吹いておられる白装束の方が。美しい音色だった。ああ私も迷惑だろうけれども押しかけ奉納舞をしてみたいと思った。人がいるとこっぱずかしいので、丑三つ時に…(恐いわ!)。

 

お爺様によれば、諏訪のお祭りの際には、皆様ここに集まってお祓いをして頂くそうです。まあただ、諏訪のお祭りに関しては出費もなかなか大変だと地元ならではのポロリも。

 

子供の頃、川で遊んで身体が冷えたら、万治の石仏の大きな背の部分にねっころがって暖を取ったそうです。石で暖を取るなんて、なんというか豊かな経験だなぁと思いました。でもうっすら小さい頃、苦手なプールの後、ああ石ってあったかいなと思った記憶が…(コンクリだったかもしれないが)。

 

ちなみにそのお爺様は、東京の中央線沿線で学生時代を過ごし、ロウドウショウに勤め、それがコウセイロウドウショウになり、退職してウンジュウネン。

 

アノアクメイタカキコウセイロウド…(やめなさい)。とても親切にして頂いて有り難かったです。

 

 

 

 

 

 

 

 

そんなわけで色々楽しかった!

すわの街を、持ち歩き回りたかったらしい。

理由は…。

 

 

 

 

諏訪で一番古い建造物。

神様しか渡れない橋だから絶対に遊んではダメと子供の頃は厳しく言われていたとか。

 

 

 

 

ホテル展望デッキより諏訪湖一望。

 

 

 

 

無事あずさにて帰路。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

追記

 

これを一気に書いてしばらくして思っているけれど、あの白人女性(純粋って訳でもなさそうだったけれども)は神前で帽子、の意味もあったのかな…?神に対する捉え方考え方が違うとか。でも今の一般的キリスト教の考え方はさぁ…どうかと思うでござるよ。聖書に手を置いて戦争をするマナー違反の方が重大かなぁ。よくわからないけれど。