生老病死を4回くらい繰り返した気がする…ぷぷぷ。と笑ってみよう。課題は課題として以前としてあるけれど。

 

 

 

この街を卒業する前に、地元のケーキ屋さんを制覇してみようか。今日は小さな昭和感あふれるお店で買ってきた。

(お砂糖は気分を落ち込ませるとも言われているけど…)

 

 

 

ワク接種会場になってしまった職場で、予約業務の担当になってしまった。しかし、私は接種をするのはやめた。せめて被害が出ないように、大丈夫であって欲しいと思いつつ業務をしていたけれど、ここに来てリアルに副反応の被害や超過死亡率について知るにつけ、アウシュビッツへの名簿を作成してしまっていたかのようで心の整理がつかない。

 

アウシュビッツはあきらかな悪だけれど、これは、生命を乞う人からそれと知らずに犠牲になっていく。こんな悪がかつて人類史上あっただろうか。

 

 

 

それで昨日、昼間急に眠くなってぐっすり寝てしまい、ふうっと意識が戻ってきたかと思うと、PCから音声が聞こえてきた。

 

「日本語は、地球と共振する言語です」

 

そしてまた眠りに陥り、しばらくして本格的に起きて、なんなん!あの言葉は!?。

 

 

 

去年の暮れの発表会の時、本番直前であることがあり、動揺が走った時に、咄嗟に心の中で叫んだ。

 

「絶対に失敗はしない!!!。」

 

すると、身体の中にとてつもない大音量の声が響きわたった。

 

「天!!!地!!!。」

 

そのまま、いざ!と舞台に出た。

 

本番ではいつもこういう思ってもみない体験がある。狙ってできることではなく、いつも何かが、必要なことを起こし、教えてくれた。

 

 

 

動きの質ということについては自分は全然まだまだで、それで踊っていいのだろうかとも思うが、何だか色々思えてきたことがある。

 

作家が編み出した言葉の作品を踊りきること。一つの曲の物語を踊るきること。全身全霊で踊りきることは、音を、言葉を動くのとは違う。音楽も言葉も動きの背景ではない。音楽と言葉を表現するものでもない。

 

その時、全く違う次元が立ち上がる。

 

それは、言葉の中に、音楽の中に、自己が消えていく、もっというなら、身体さえ消えていくかのような体験だ。けれどその究極の理想には、身体を否定することではなく、むしろその逆でなければ辿りつけない気がしている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

答えはわからないけれど、地球という惑星とともに、言葉と、そして宇宙そのものである音楽を踊ることもひとつの解決策かもしれない。

 

 

色々あるけど、そのうちなんとかなる…。

ケーキ屋さんを制覇する頃には…。