昨日の記事「無くしてはならないもの」にいただいたコメントです。

コメント欄のことにしておくと、目立たないので昨年書いた「当たり前が大切」という記事に内容がダブりますのでリブログさせて頂きます。

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「災害等での不本意な死、細胞の暴走による突然の癌、それ以外でも人間はいつ寿命が尽きるか分からないはかない存在です。しかしそんな命だからこそ自分が生きた証、意思を示せるものは尊いのです。個人の嗜好にもよりますが時計や茶碗や万年筆等は故人が大切に使ってた、ということは分かっても決断や認めた、という意思が分かる道具は印章だけです。唯一無二や開運の言葉が先行し怪しいものとなってしまった道具ですが本来は素晴らしい道具だった、ということを知る年代がいなくなっていくというのは寂しいものだと思います。」

震洋さんから頂いたコメント

 

>震洋さんへの返信コメントに昨年の記事を追加しておきます。

「コメントありがとうございます。

震洋さんが言っていただいた「決断や認めた、という意思が分かる道具は印章だけ」だと私も思います。

また、この印章という素晴らしい道具が長く続いて行ってほしいとも考えていました。

しかしながら、印章需要の減少は印章業を持続させてくれない状況です。

嘗ての印相などが見られた時以上の末期症状が印章に表れています。

押せればよい、次にいつ必要かわからないものに価値を見出し、職人の手作りの良いモノはいらない。安くデザイン的に面白いものが良い、すぐにいるのに間に合うもの等々です。

また、本物志向のための素材も不足しだしました。

市場では、あるものを売りつくすという姿勢が蔓延しています。

悲しいことですが、もうもたないだろうと私は推察します。

遺さなければならないものを明確にしていくことが、私の印章への償いだと感じているこの頃です。

また、私自身もこれで終わりたくない。自分の技術の価値を多くの人に知ってもらいたい。ただただ、それだけです。」

 

それに追加して、昨年の記事をそのままコピペしておきます。

 

はんこが日常のなかで大切な役割を果たしてくれてきたという

当たり前なこと。

はんこがきちんと社会性を持っていた時のお話

しかし、はんこがどんどんとその社会性を失いつつある。

はんこの制度や慣習にのっかっていたけど

その剥離が始まっている。

少なく見積もっても、形骸化し始めた。

はんこには技術があるから唯一無二を守れるんだと

それに懸命に打ち込んできた。

 

しかし、そんなことをしている者も社会との接点を見失い

商売では違う商品を

競技会やグランプリなどとは縁のないような

クオリティーの低いものを技術を看板にして販売していた。

そんなことをしていたのだから

今、じたばたしても

もうどうにもならないところまで来ている。

その事実に目を向けないで

知らんふり

当たり前は守らないと持続しない

守る努力はウキウキすること

ドキドキすることが続いて行く

パフォーマンスは一過性で次に続かない

はんこから事務用品がとれて

遊びや趣味が残り

今、業界はそこに目を向けている

 

しかし、誰が実用印章を守ってくれるのだろう

少なくとも

それが崩壊しても

実用印章の美を残したい

実用印章の技術を発信したい

それはウキウキ、ドキドキすること

何もしないと

それはないどころか

自分自身も消滅する

今、本当に危ない!