かなり昔にブログでお話させて頂いたことが脳脳裏をよぎりました。

幼少期に見た白黒映画で、最も印象に残っているシーンがあります。

幼少期といっても、おそらく幼稚園のころなので、題名もストーリーもわかりませんが、ただそのシーンが強く残っています。

 

小川に2本の刀が突き立ててあります。抜刀刀 土方

向こうから葉っぱが流れてきました。葉っぱ

先に刀の刃に触れた葉は、そのまま流れて次の刀に・・・

そして、葉っぱは真っ二つに切れて、流れていきました。

 

刀鍛冶の跡目継ぎを決定しているらしく、その真っ二つに切れた刀鍛冶は跡目争いに負けました。

 

えっ!なんで、嘘やろ・・・刀は切れる方が良いんと違うん?と幼い私は思いました。

それが大きくなっても謎が解けずにいました。

そのシーンだけで、ストーリーがわからなかったのだと思いますが、謎に満ちた想いは、ハンコ職人として印章を商売するようになって、何となく解決の糸口が見え始めていました。

 

そして今思うことは、技芸のみに流されては、その事象の本質が見えなくなる場合があるということです。

おそらく、葉っぱが刀身にあたるだけで切れるという事は、カミソリのような痩身であろうと思われます。

印章でいうと、ゴム刀のようなモノだと推測されます。

柔らかいゴムを切り進めていく役割の刀と硬い象牙や水牛を仕上げていく刀とは、自ずと役割が異なります。

しかし、映画での刀はそれでは刃こぼれがおきて、実戦には何ら役立たないこととなります。

切れるという一点での究極は、場合によりモノの本質を違えてしまいます。

 

技芸の事、技術の事でのお話ですが、これをそのまま商売の事と置き換えても、話は同様です。

商売というか、儲ける事だけに特化してしまえば、その商品の本質を見失っていないでしょうか。

お金は何のために発生して人々の暮らしに寄り添ってきたのか、早い便利が行き過ぎると、どうなっていくのかが問われ始めているように感じます。

電子化、デジタル化は人の暮らしに何をもたらしてくれるのでしょうか?

ペーパーレスからピープルレスへと変化してきているようにも感じてなりません。叫び

新たな疑問がまた私の周辺をうろつき廻っている様にも感じますが、それも門外漢なのかもしれませんね。

先日、10年以上前の当店の印章彫刻証明書を持参していただき、会社をさらに発展され、新会社設立の為に来て頂けたお客様がおられました。

10年以上前のそれを大切にとって頂いていることに、とても感動しました。

人との繋がりや感動は、デジタル的にはどのように表現されるのでしょうか。

 

印章の本質を見つめ直して、さらに欲しいと思っていただける印章、大切に捺印して頂ける印章、持っているだけでステータスを感じて頂けるような印章、美しい印影だと感嘆を共鳴して頂ける印章を目指して、今日も頑張りたいと思います。腕。