引き続き『デザインノート』を基調に・・・
着物に家紋を描き入れる職人さん・紋章上繪師として活躍される波止場親子の3代目と4代目のお話。
家紋という文化の在り方というより、家紋そのものの描き方に大変興味があり、本を読み漁ったことがありました。
日本の文様といえば、それまでなのですが、そのデザインのほとんどが円で構成されているという不思議にとらわれたことがありました。
円といっても、印章のような輪郭の円ではなく、中の文様が円の繰り返しで繋がっているというのは、デザインをされる方であれば、不思議な文様とご理解頂けると思います。
ですので、家紋はとてもデザイン的であり、4代目の波止場承龍さんは、そこに着眼されました。
「大きな転機となったのはアートアクアリウムの家紋デザインやCOREDO室町の暖簾の紋意匠をデザインしたことでしょうか。これらを手掛けてから『デザインとしての家紋』の重要性を私自身強く意識するようになりました。」と話されています。

印章のデザインも、それに近い意匠性を持ち合わせたものであると私は考えます。ひらめき電球
家紋のような、それほど大きくないデザインで、自然文様を中心とした日本の伝統文様を利用してロゴデザインのような意匠化ができるものであります。
それは、単なる文字といえば誤解を招くかもしれませんが、それの装飾としての書体や書としてのロゴデザインではなく、印章文字として輪郭という制限ある中での文字のレイアウトが醸し出す美というデザイン性を持ち合わせている共通項を見出すことができます。
しかし印章は、家紋というような多くの人に見せるためのデザインではなく、自己の信を特定の人にのみ示すための、登録印としての秘密性を持ち合わせています。
篆刻作品や落款印としての商品ならば、お客様の同意を得ることができれば、完成後その作品を(印影を)フェイスブックにでもすぐにお見せできるのですが、実印がいかに上手く完成したとしても、それを公表してしまうと、もはや実印としての役割を失ってしまうこととなります。
そういうわけで実用印のデザインが、なかなか認知されずに、篆刻芸術のみが美との関連として、認められてきた印章となっています。
篆刻芸術の美は、時折ロゴとして目につく時もありますが、書の延長線上のロゴでしかありえません。
もし実印が意匠化されたら、家紋と同様の『デザインとしての印章』としての位置づけが大いに期待されますが、その力を発揮できる職人は、ひよっとして家紋上繪師よりも、うんと少ないというのが実情ではないかと危惧いたします。ドクロ

銀行印がなくなるとか、象牙がダメであるとか・・・
印章がなくなる下準備がされる中、実力ある印章彫刻職人は、デザインの道に行かれる方が出ても不思議ではないと思います。
業界内部から、印章彫刻という技術を軽視するどころか、それを侮蔑するような発言がどんどん出てきています。
先人よりの技術力が印刀により刻み込められた印章よりも、チタン、宝石印、スワロフスキー、カーボンなどの印刀では彫刻できない新たな素材を、パソコンソフトの規格文字を用いて、機械が彫刻する印章を「高級印章」として位置づけ、儲けようとしているチンケな欲だけなら、それでも良いのかも知れません。
しかし先人よりの印章技術をあざ笑うようなことがあれば、印章の在り方に益々信用性を失い、その「高級印章」という新たな素材も溝に捨てられることとなりかねません。
そういう意味で、この業界の技術力が他へ流失しても何ら不思議ではないのです。
それは、嘗ての印章彫刻の下職技術がどんどん他の経営体(主にはネットショップ)に流失したのと似ているのかも知れませんが・・・
それは、家紋をのせていた着物という実用性に変化が生じたのと同じく・・・
印章が、その実用性を失くす時・・・その技術のみが変化し、生き抜く道も見えるような気がするのは、私だけでしょうか・・・
しかし、着物文化により支えられ、木のコンパスを道具として用いた家紋技術も
印章文化により支えられた印刀という道具を用いた技術も、いきなりデザインが表出するのではなく、木のコンパスと印刀での先人よりの長い時間が時流にたえる、また時流を凌駕するデザインを生んできたのです。
その共通項が行きつくところが同じであっても何ら不思議なことではないような気がしてたまりません。

お知らせ:今週末の6月4日(土)は、東京にて会議がありますので、ご迷惑をおかけ致しますが、「三田村印章店」はお休みとさせて頂きます。