流し足りないところについて。 | Art de Vivre a Matsumoto

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東京を離れて暮らし始めた松本で。子育てのこと、仕事のこと、日々のこと、そして歌のことなど。




歌人・穂村弘がエッセイ『絶叫委員会』の中で、
どうにも不合理でもやもやしてしまう言葉の一つとして紹介しているのが
美容室での

 「おかゆいところはございませんか?」

の一言。

穂村さんの分析では、日本人の奥ゆかしいメンタリティを考えれば
そう問われて、一体誰が

 「どこそこが痒いのでもっと掻いてくれ」

と洗髪椅子に横たわって顔にタオルを置かれた状態でお願いするだろうかと。

しかも、頭の「どこそこ」を具体的に言葉で説明するのは極めて困難。

最近では

 「流し足りないところはございませんか?」

という変形バージョンまであるが、これにいたっては
こちらは目隠しをされているんだし、流してくれているあなたが一番よくわかるのでは?

というわけだ。

こうしたナンセンスな表現が、当たり前に、しかも全国的に
美容室の上質なサービスとしてまかり通っているのが
彼としてはもやもやする、というのである。



前置きが長くなりましたが、今日、久しぶりに美容室に行き、
実はわたし、言ってみたんです。

 「どこそこが流し足りない」

と。

今日はカラーをお願いしたので、シャンプー台に誘われたのは
カラー剤をこってり塗られた後だった。

かなり前から首の付け根あたりの皮膚が荒れていて、痒いので(皮膚科ではアトピーと言われた)
カラー剤がしみないように前もってクリームを塗ってもらった。

けれどもやっぱり少しひりひりして、だんだん痒くなってきた。

シャンプーもすすぎもかなり念入りにやってくれているのはわかるが、
なんとなく違和感があるので、もう少しその部分を洗い流してほしいなあ・・・

と思ったところで、上記の穂村さんの一文を思い出した。

ふふん、それなら私は言っちゃうわよーと
例の「流し足りないところはございませんか?」の言葉を待って身構えているうちに、
流してほしい個所を何と言えばいいのかわからなくなってしまった。

首筋?じゃなくて、生え際?じゃなくて、首の付け根?じゃなくて、襟元?うなじ?
ええー、、、と混乱しているうちに見事期待通りの質問は投げかけられ、

ぴったりの部位を表現する名詞を見つけられないでいるわたしは、

 「ここ!が流し足りないです」

とわざわざ腕を上げ、指でさし示すしかなかった。



ことがすべて終わってから、思い出した。

ああ、「えりあし」だったわ。


穂村さんの指摘の通り、例の質問に的確に堂々と答えるのは
なかなか難儀だということを身を持って知った次第。