オタクのすなる聖地巡礼といふものを我もしてみむとてするなり。
朝7時に門出す。
そのよしいささかものにかきつく。
と、土佐日記風に始めましょう。
GWだから絶対に都内の道路は空いていると目論んでの出発です。
聖地巡礼と言ってもオイラはアニメは見ないので、オイラをして時代劇ファン(馬鹿)にさせた忠臣蔵を巡ります。
オイラが時代劇ファンになったのはこの作品が切っ掛け。
空前絶後の豪華キャスト。
ガキだったオイラは眠い目を擦り擦り頑張って見ていました。
物語を追って行きましょう。
先ずは浅野家屋敷跡
聖路加病院の裏にあります。
むかしむかしお江戸のあるところにお馬鹿な殿様がおった~~~
元禄14年3月勅使院使御供応役の時じゃった~~~(市原悦子風に)
と・・・・「元禄赤穂事件」ではなく飽くまで「忠臣蔵」なのでここは吉良さんに悪役になって頂きます。
吉良ってのは悪い奴だ!
上司である吉良上野介の虐めに耐えかねて浅野内匠頭は江戸城本丸の松の廊下で刃傷に及びました。
(皇居東御苑内)
吉良さんに斬りつけたのです。
城中で刀を抜けば身は切腹お家はお取り潰しです。
内匠頭は碌に取り調べもされず将軍綱吉の命令で・・・・
江戸城の平川門(不浄門ともいう)から田村右京太夫邸へ護送されて即日切腹となります。
浅野内匠頭終焉の地(新橋4丁目交差点すぐ)
この近くに切腹最中というお菓子を売っているお店がありますが、行ったらお休みで買えませんでした。
切腹最中 | 御菓子司 新正堂 (shinshodoh.co.jp)
以前から堀部安兵衛というベイスターズのバウアーみたいな強力な家臣
(高田馬場の決闘の地で堀部安兵衛を顕彰する碑。18人斬ったと言われているが実は3人。)
を獲得していた浅野家の一部の旧臣は敵討ちと称して翌15年12月15日未明吉良邸に討ち入り、見事本懐を遂げました。
↓これは首を取られた吉良さん。
吉良さんの首は泉岳寺に運ばれ
井戸で洗われて
(首洗い井戸)
主君内匠頭の墓前に添えられました。
討ち入りに先立って、首謀者の大石内蔵助は未亡人となった遥泉院を南部坂の浅野土佐守邸(=遥泉院実家)に訪ねたのだが、吉良のスパイが入り込んでいる事に気づき、「仇討などしない」と嘘を言って遥泉院を激怒させた。しかし後になって遥泉院がそれに気づき後悔するという話が「南部坂雪の別れ」。
この辺は討ち入り直前の見せどころですね。
首謀者の大石内蔵助
以下47名の墓は泉岳寺にあって今でもお参りする人が絶えない。
と・・・荒筋ではこんな感じです。
江戸時代を代表する美談として現在でも語り継がれております。
可哀想なのは吉良さんです。
ですが誰が一番悪いのかと言えば将軍綱吉でしょう。
碌に取り調べもせず独断で浅野を切腹させたので、大石に付け込まれる隙を作ってしまいました。
浅野の乱心か喧嘩かすら解らなくなってしまったのですから。(喧嘩なら両成敗)
大石の真の狙いは将軍綱吉に謝らせる(=困らせる)だったのでしょう。
「忠義の士を罰してよいのか?しかし連中は今で云うテロリストではないか?」綱吉は相当悩んだことでしょう。
大石はしてやったりw
で、「以て瞑すべし。」(←日光輪王寺の宮公弁法親王のセリフ)
4家の大名にお預けとなっていた大石ら46名(連絡係として一党を外された寺坂吉右衛門は除く)は、翌年の2月4日(現3月20日)に切腹の沙汰が下ります。
ここは大石以下17名が切腹した細川綱利邸跡です。
吉良邸の近くでは本所と云う事もあって、いろいろな碑も見る事が出来ました。
勝海舟生誕の地。
写真は撮りませんでしたが南部坂の近くには勝海舟の居宅跡もありました。
鬼平犯科帳に登場する「軍鶏鍋屋五鉄」はこの辺にあったのではなかろうか?って立て札。
そして極めつけは・・・・
時代が違うとはいえ、長谷川平蔵(鬼平)と遠山金四郎は同じ場所に住んでいた。
へえ~~~、さすが「本所の銕」と「遠山の金さん」
「悪を知って外道に墜ちるか、悪を知って外道を憎むか」
劇場版『鬼平犯科帳 血闘』公式サイト|『鬼平犯科帳』SEASON1 |池波正太郎 生誕100年企画 (onihei-hankacho.com)
鬼平の映画を見に行こう・・・とw
次回、京都編や赤穂編も計画中です。
吉良編は・・・どうしようかな?
可哀想なのが吉良家なんだけどな。
(最高に可哀想なのが吉良の息子=養子の佐兵衛義周です)
でも今回は忠臣蔵で元禄赤穂事件じゃないから・・・・・
吉良は悪い奴だ!って事にしておきますね。
ガソリン代600円で一日遊んで来れる。
原付二種最強説は本当かも。