♪~ああああ~長崎は~ 今日も 晴れだった~~
長崎市を出て世界遺産になった原城へ行きました。
原城は島原の乱の舞台。
かの有名な宮本武蔵も従軍したが投石を食らって昏倒し後送されたというキリシタン勢奮戦ぶりが伺える城。
原城は領主有馬晴信の居城日之江城が手狭になったので改築された要害の城です。
有馬氏失脚後、松倉重政の圧政に耐えかねたキリシタン勢が城を占拠して反乱を起こしたのが島原の乱。
一揆勢は一時は37000に膨れ上がった。
原城二の丸から本丸を望む。
ここは一般人は徒歩でしか行かれません。
にしても今日は暑い。
夏に行くなら熱中症対策は必須だ。
空堀も残っています。
枡形の跡です。
攻め寄せた軍勢を落として十字砲火を浴びせます。
門の跡ですが鎮圧後幕府によって埋められたので埋め門と言われています。
本丸跡に入ります。
天草四郎時貞の像ですが・・・・オイラ的には
「エロイムエッサイム 我は求め訴えたり」
沢田研二のはまり役でした。こっちの印象が強すぎる。
同様に千葉真一の柳生十兵衛も。
ここに天守もあったんだとか。
この乱の終息後、幕府の取り締まりも厳しくなりキリシタンは密かに信仰を続けるようになったんだとか。
それをオイラ達は学校で「隠れキリシタン」と習いました。
ところが、いつの間にか潜伏キリシタンと言われるようになった。
「隠れ」と「潜伏」とどう違うのか?
語感では「隠れ」は平和的な感じがするが、「潜伏」となるとテロリストとか過激派とか犯罪者とかが潜んでいる様な感じがする。
高山正之氏の本によると、維新後キリスト教解禁でカトリック教会に帰依した人を「潜伏」と呼び、帰依せずに自分達の信仰を続けた人を「隠れ」と区別するらしい。
教会にしてみればお金が集まる方を優遇したいという姿勢が見て取れる。
結局宗教とは「カネ」「カネ」「カネ」なのだ。
何れにしても徳川270年の間信仰を維持した事は特筆すべき事である。
では何故それが可能だったかと言えば弾圧があったからだ。
弾圧の無い宗教は腐る。腐って集金マシーンとなる。
現代の多くの新興宗教が胡散臭いのは弾圧を経験していないから。
織田信長は自らを「第六天の魔王」と称して一向宗を弾圧した。
鉄がそうであるように、溶鉱炉の中で溶かされる事で純粋な鉄が採れる。
宗教も弾圧という溶鉱炉の中で純化されていくのだ。
魔王が天上界に居て宗教を弾圧するのは実は純化のためだ。
弾圧されたが故に隠れキリシタンは信仰を純化して江戸時代を潜り抜けられたのだ。
寧ろ徳川幕府に感謝すべきだ。
なぜ弾圧されたのかと言えば始まりは秀吉だ。
キリスト教は西日本のキリシタン大名や織田信長によって保護された。
彼らは鉄砲に使う火薬を入手するという目的もあったが、日本には八百万の神様がいるので一つくらい増えたってどうって事ないだろうと考えて布教を許可した。
しかしキリスト教は偏狭な教義なので(一神教はだいたい偏狭だ)、高山右近などは神社仏閣を打ち壊して回ったりした。
キリシタン大名は勝手に領地を寄進したりしていたのだが、秀吉を激怒させたのは人身売買だ。
少年遣欧使節も「市場で日本人女性が売買されているのを見た」という報告をしている。
秀吉は「カネを払うから連れ戻せ」とコエリヨという神父に通告したが、彼はそれに従わず却って「俺はスペインの無敵艦隊を動かせる」と凄んで見せた他、「最初に神父が行き、商人が行き、最後に軍隊が行く」と言わんでもいい事を言っちゃったりした。
そりゃあ秀吉が怒るのは無理もない。
国民を拉致されてもヘラヘラしている今のタマナシ政治家とは違うのだ。
因みに人身売買は火薬の材料、特に硝石の入手が動機になっている。
キリスト教を禁止したので却って寺請制度によって仏教を過度に保護することになり、今度は坊主共が腐っていくのだが・・・・
有馬キリシタン遺産記念館も見学しました。
内部は撮影禁止とかいろいろ煩くて・・・・・
郷土の英雄有馬晴信を持ち上げる気持ちは解りますがねえ・・・・・・
オイラ達が小中学校で教わった様な、秀吉や家康が民衆を締め付ける為に、平等を教義とするキリスト教を禁止した等というマルクス史観ともとれる馬鹿馬鹿しい歴史認識をそのまま敷衍しているのはどうかと思うな。
この後は島原に戻ります。