♪~長崎から船に乗って 端島に着いた~~
ここは軍艦島~~
軍艦島とは通称で、正式には「端島」
通称の由来はその形が旧海軍の未成戦艦「土佐」に似ていたからとか。
確かにこの角度からだと艤装前の戦艦に見えなくもない。
違う角度からだと・・・・・
潜水母艦大鯨に見えてしまうなあ。オイラ的には。
どっちにしろ軍艦だが。
上陸しました。
右側の建物は立坑の跡。
オバちゃんが説明してくれます。
上の四角いのは上水道の水槽跡。
本土から水を引いて一旦この水槽に貯めてから各所に給水していたとか。
それでも水は貴重でお風呂は共同だったそうです。
左のレンガ造りの建物は炭鉱の事務所跡。
住居跡。
最盛期の1960年には5000人以上の人が住み、人口密度は日本一とか。
炭鉱はその頃は花形産業で賃金も高く、1950年代後半に言われた三種の神器「テレビ」「冷蔵庫」「洗濯機」の普及率はほぼ100%だったらしいです。
左側に写っているのは堤防。
島の西側は波が高くて堤防を高くしなければならず、また住居の窓も小さくなっています。
窓があって廊下があって部屋という配置でした。
灯台が見えますが、当時は24時間操業だったので夜も灯が煌々と灯っており、灯台の必要は無かったそうです。
閉山になって灯が消えたので、灯台が建てられました。
25mプール跡。
端島には火葬場と墓地以外は何でも揃っていて、学校も病院もあったそうです。
当然プールもありました。但し海水です。
ベルトコンベアー跡。
石炭は此処から船で八幡製鉄所に送られて、日本の発展を支えたんだとか。
記憶違いが無ければ遠くに見えるのは学校。
管理職用の住宅。
ここだけはお風呂が完備されていたとか。
見学が終ると船で一周してくれます。
今では昔の日本のエネルギーを支えた記念碑ですね。
結構殉職者も多かったでしょうね。
今と違ってコンテニアスマイナーとか自走枠なんてなかったでしょうから。
坑道は海底下1100mまで掘削されているそうです。
さて、当ブログは原子力ブログです。
高レベル放射性廃棄物を地層処分しようにも適地が無いとよく言われますが、適地など探すに苦労は致しません。
閉山した海底炭鉱などよくあるのです。
地層処分は地下300mより深く坑道を掘ってそこに埋めるのですが、ここの海底炭鉱は300mどころか1100mです。
別に軍艦島に埋めろと言っているのではありません。
例えば日本で唯一現役の北海道釧路「太平洋炭鉱」
内部は以下の様になっています。
坑口から切羽まで8000m、海面下から700mあります。
ここの有望で無くなった鉱区から坑道を伸ばし、また搬入は人工島を作り立坑を掘って行えば良いのだと思います。
NUMOが発表した科学的特性マップによれば殆どが海岸に可能性を見出しておりますので、恐らくこの方法を考えているのではないでしょうか。
これなら海底炭鉱によらずともどこでも出来ます。
科学的特性マップ↓
kagakutekitokuseimap.pdf (numo.or.jp)
トイレの無いマンションなんて嘘ばっかりなんです。
でもオイラ的には海洋底処分を推します。
軍艦島ツアーの船からはこういうモノも見えます。
戦艦武蔵を作った船台
奥の錆びたガントリークレーンがそうです。
海上自衛隊の艦船も整備中でしょうか。
下は艤装中の新鋭、最上級護衛艦でしょうね。