202303-364:革ジャンの話 | 団塊世代の"愚考にため息"

団塊世代の"愚考にため息"

ふと思い出す過去の出来事と後悔。次々と、浮かんでは消えていく愚考を書きとめていけば、いつかはネタ切れになるはず。きっとその後は、良き日々の思い出だけが浮かんでくるにちがいない。


革ジャンにボンバージャケットと名前がつけられたのは1970年代だったそうです。当時は帰国子女やベトナム戦争徴兵逃れに日本を選んだ米国籍の留学生と同じ学生寮でキャンパスライフを楽しんだ団塊の世代の一人。
オートバイには革ジャンが定番でボアの裏地がついた暖かいジャケットが流行りました。BOMBER JACKETです。キャンパスではボマージャケットと呼んでいました。
同じ頃、女子のローラーゲームが流行り東京ボンバーズというのが人気チームでした。そのおかげで、BOMBERをローマ字読みしたボンバーがすっかり定着しました。

いまではボンバージャケットをボマージャケットだと正す知識人はほとんどいません。和製英語として定着しています。ファンタジックは英語ではファンタスティックというのと同じです。文字で飯を喰っているコピーライターでもファンタジックを使っています。 
何はともあれ、あっという間に桜咲く季節となり革ジャンが再びクローゼットの奥に移動しています。この3年はステイホームで革ジャンを着て外出する機会がめっきり減りました。保湿と防カビさえ怠らなければ、寝たきりやひきこもりになるまで、耐用年数は所有者の健康寿命を超えることは間違いありません。
ちなみに、革の外套にウインチェスターの猟銃を持った祖父の写真があります。祖父の外套は成人した孫が解体して一部を自転車のサドルカバーに転用するまで、ずっとクローゼットにあり、孫も着用可能で町内会の「火の用心の見回り」に着たこともありました。