見立て、見通し、占い、それに加えて予知。
もし運命というのがあって、人の一生の筋書きは書き換えが認められていないとしたら、予知は可能と誰かが言っていました。なるほど、先行き不透明でどうなるか決まっていないから予知はできないという理屈です。
1980年代の商いは、何もしなければ業績微増、何かすると前年比10%増が期待できました。その後の20年〜30年は負け続け、何もしなければ退場、何かすると含み損を抱え、増収増益はレアケースでした。昨今は、勝ち組と負け組に別れ、2番じゃダメですか何て寝ぼけたことを言っていると負け組に降格です。