物取りではない | 団塊世代の"愚考にため息"

団塊世代の"愚考にため息"

ふと思い出す過去の出来事と後悔。次々と、浮かんでは消えていく愚考を書きとめていけば、いつかはネタ切れになるはず。きっとその後は、良き日々の思い出だけが浮かんでくるにちがいない。

今朝もまたやりました。

キムは人のいないところに向かってミサイルを打っているので、まだ許容範囲かもしれません。

 

昔ゲリラといった反社勢力は今はテロリストと言われます。

昔は人のいないところで爆弾を破裂させて恐喝しましたが、今は繁華街など人が集まるところで被害の多寡で要求の内容を決めています。

 

チョウセンが被害が出ないところにミサイルを着水させているのは、人道的な配慮をしているとは考えにくいので、被害を出さないよう細心の注意を払いながら、大国にかまってもらえるよう悪さをしていると考えます。臆病な犬が離れたところから吠えているようなものです。

 

1970年代の我が国の全学連は、デモ隊を出発させる前に集会を開き周囲の官憲に聞こえるように決意表明をし、予定を明示して行動に移りました。警備の手薄な場所を狙ってゲリラ戦を仕掛けるような犯罪行為はしませんでした。機動隊の壁の最も厚いところにぶつかっていき玉砕していました。リーダーたちの美学は、「俺たちは物取りではない」というものだったと記憶しています。

 

日本と米国のリーダ―がチョウセンの挑発に沈黙したときが、開戦前夜となります。

勝者がだれになるかはっきりしているので、先制攻撃はカネがかかるのでしないでしょう。

もし、ミサイルが本土に着弾し被害が出た時、圧倒的な世界的な同意を受けて報復することになります。この合理的なシナリオは過半数の支持を受けるでしょうから、今は待ち伏せ状態だと考えます。結局は大儀名分、義があるかどうかが重要であります。