紙くずひろい | 団塊世代の"愚考にため息"

団塊世代の"愚考にため息"

ふと思い出す過去の出来事と後悔。次々と、浮かんでは消えていく愚考を書きとめていけば、いつかはネタ切れになるはず。きっとその後は、良き日々の思い出だけが浮かんでくるにちがいない。

早朝20KMのポタリングを久しぶりに実行。

夜明け前でも、すぐ汗がふきでてきます。前日焼けたアスファルトが冷えていないためかと思います。

 

10KM走ったところで、フレームにつけた水筒がないのに気がつきました。

落としたことに気がつかなかったと思いこみ、走ってきたコースを逆走しました。

 

住宅街の道路の端を見ながら10KM戻りました。

ごみがまったくないキレイな道路であることに気がつきました。

おもいだしました、出張で上海に行った時、早朝散歩をしました。

竹の籠を背負って、紙くずを拾っている人を何人かみました。

紙くずひろいというのは、我が国では落語の世界にしか残っていません。

 

レッドチャイナの富裕層は、紙くずをちらかし、それを拾って生計をたてる仕事をつくってると聞きました。

 

我が国の住宅街には、紙くずは落ちていません。

もしかしたら、独居老人や後期高齢者たちが多く住む住宅街では外出する人の数が極めて少なく、それに比例してゴミが少ないというのが実情かもしれません。

 

ところで、水筒の件にもどりますが、玄関にありました。

水を入れて用意したのですが、持ち出すのを忘れていました。

置き忘れたことは、もちろんすっかり忘れて探しました。