敗者の弁には偽りがない | 団塊世代の"愚考にため息"

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ふと思い出す過去の出来事と後悔。次々と、浮かんでは消えていく愚考を書きとめていけば、いつかはネタ切れになるはず。きっとその後は、良き日々の思い出だけが浮かんでくるにちがいない。

歴史は常に勝者の都合に合わせて書き記されてきたと言い伝えられています。

一方、敗者には事実を改ざんして大義を正当化する必要がないので、敗者の弁には偽りがないという本を読みました。(勝てば官軍、原口清澄著)

 

古来、敗者の記述は信頼性がないと、勝者は公的なツールを使って煽っています。

義務教育で勝者の歴史を学習してきたのですから、それを否定する文書は異端の書となります。いつの世界にも異端者はいます。中世ヨーロッパでは魔女として裁かれました。2000有余年前には、羊飼いの息子が磔の刑になりました。

 

商いの世界では、勝者が常に正しいといわれます。

敗者は消費者に支持されなかったので、儲けそこない、損をします。

接客サービスの世界では、お客様に喜ばれるサービスが正しいサービスとなります。

 

商いでの敗者が、自らの失敗を言い訳することがあります。

このときの敗者の弁に偽りがないとはいえません。

方法論の失敗をごまかす意図を感じるからです。