紫煙の思い出 | 団塊世代の"愚考にため息"

団塊世代の"愚考にため息"

ふと思い出す過去の出来事と後悔。次々と、浮かんでは消えていく愚考を書きとめていけば、いつかはネタ切れになるはず。きっとその後は、良き日々の思い出だけが浮かんでくるにちがいない。

子供の頃、大人がくわえタバコで仕事をしている場面をよく見ました。口の端にくわえたタバコの煙が目にしみるようで顔をしかめながら作業をしている、こういうしぐさが大人なのだと子供は思っていました。

タバコが専売公社で売られている頃は、町のタバコ屋は距離制限があってタバコ屋の間は一定の距離がないと営業許可がおりませんでした。
当時、タバコはよく売れました。大人=タバコと酒という図式があって、受動喫煙とか嫌煙という言葉は存在しませんでした。その頃は、肺癌が話題にならず「心不全」が病死の上位にランクされていました。

屋台のラーメン屋さんがくわえタバコというのは、お約束のシーンでした。今ではめっきり数が減ったと思いますが、いまだに厨房で喫煙している料理人がいます。タバコの煙や灰が料理に降りかかっています。気になります。

それでも、カクテルバーと紫煙は似合う組み合わせで、アルコールとニコチンのまじりあった独特の臭いが何か「ちょい悪」大人のアフターファイブを醸し出し、なんとなく懐かしく思います。

では、サントリーのカクテルバーに行けば、昔懐かしい雰囲気を味わえるかといえば、そうはまいりません。カウンターの両側にいる人たちは、あの時あの場にいた人たちとは別人ですから、追体験は無理でしょう。

そもそも自分が懐かしく思う光景そのものが、現実にあったことなのか疑わしいです、ぼけぼけしている間に記憶が塗り替えられて変質している可能性がありますから。

吉野輝一郎