バブルを経験した団塊の世代の精査 | 団塊世代の"愚考にため息"

団塊世代の"愚考にため息"

ふと思い出す過去の出来事と後悔。次々と、浮かんでは消えていく愚考を書きとめていけば、いつかはネタ切れになるはず。きっとその後は、良き日々の思い出だけが浮かんでくるにちがいない。

サルコジフランス大統領の再選ならず、市場は織り込み済みとのこと。さらに相場が下がれば、織り込み不足という後講釈が待っています。それでも下がれば、ギリシャ不安再燃が悪材料として再登場します。さらには米国雇用統計が市場の予想を下回ったとか、ヤフーのCEOの学歴詐称、米国大統領の再選も危ないとかいって、悪材料を次々にだしてくることでしょう。


昨今の経済状況と正反対の右肩上がりの勢いが1980年代にありました。このバブルを経験した団塊の世代は、当時経験したことをよい想い出として残しているでしょうか。

一部の人たちは確実に良い思いをしたはずです。そしてバブルがはじけたときに大きな負債をつくった人数は良い思いをした人数より多かったかもしれません。でも一番多かったのはバブルの蜜を味わうことがなかった人たちだと思います。

当時、甘い蜜を味わうためにはリスクを負うことが求められました。今まで通りにやっていたら、乗り遅れるという煽りがありました。銀行の支店長代理という肩書きをもった営業マンがサラリーマンに融資をもちかけ、企業と同じように個人も当時流行りの多角化経営の手口でマネーゲームに参加しました。

土地・家屋を借入金で購入し即座に転売して利益確定をするビジネスモデルが、個人投資家の成功パターンになっていました。実社会での「ババ抜き」でした、最終局面でババをつかんだのも個人投資家でありました。

一方で、バブリーな世相を嫌い、リスクを全くとらなかった地味な人たちもいました。この人たちは、甘い蜜には無縁でしたがその後の崩壊も関係ありませんでした。世の中が踊っているときも、沈んでいるときも、対岸の火事で、傍目には安定した暮らしをしていました。

「踊るあほうに見るあほう」、自分なりに途中まで踊りました。まだまだいけるというピークの前で撤退しました。おかげで利益確定とロスカットの絶対額を精査すると損失にはならなかったような気がします。