独居老人 | 団塊世代の"愚考にため息"

団塊世代の"愚考にため息"

ふと思い出す過去の出来事と後悔。次々と、浮かんでは消えていく愚考を書きとめていけば、いつかはネタ切れになるはず。きっとその後は、良き日々の思い出だけが浮かんでくるにちがいない。

季節ごとに出身地の農作物(実家の作物や農協の商品)を知人・友人・姻族に配る独居老人がいます。毎回かなりの農作物が届く相手方では、浮世の義理としてお礼の電話をかけ、なにがしかの品物を買ってお返しをしてお礼のあいさつをします。送り主のこの老人の家には、配った相手からのお礼の電話と、大量のお返しが届きます。これで、老人は何日か話相手ができ、暇つぶしになります。

時がたつにつれて、受け手の家の方は少子高齢化と核家族化で消費する人数と量が減り、大量の季節の野菜をもてあますようになります。どうやら、送り主は、物を贈ることによって友人・知人・姻族との今までどおりの濃い目のつながりの継続を願っているようです。受け手は、そのための費用分担をしいられます。

食べきれないほどの量でもてなし、もったいないから食べ残さないで完食するというのは、昔の作法です。昨今のエコ・環境に関心をもつ人たちは、消費量を最初に見直し、生ものの在庫を減らしもったいないから捨てないですむようにします。もちろん体に負担をかけるような過食を嫌います。

いずれ、受け手は消費できない量の物を辞退するようになります。旬の野菜でも少量なら歓迎ですが、食べきれない量は迷惑となるからです。そして、配布が減るのに比例して、この老人の意図したコミュニケーションも減っていきます。カネの切れ目が縁の切れ目と同じく、物でつながった関係は途切れた時に終わります。独居老人はまだこのことに気がついていません。