活動(運転)資金をM作戦ではなく、有価証券投資で調達していたら | 団塊世代の"愚考にため息"

団塊世代の"愚考にため息"

ふと思い出す過去の出来事と後悔。次々と、浮かんでは消えていく愚考を書きとめていけば、いつかはネタ切れになるはず。きっとその後は、良き日々の思い出だけが浮かんでくるにちがいない。

団塊の世代の有識者が学生時代を話題にする際、「大学紛争」という当時のマスコミ・当局が使用していた表現を口にする人がいます。さらにに本人も学生運動に参加していたと付け加えます。


当時のキャンパスで全学連や各大学の闘争委員会メンバーが使わっていた表現は、「紛争」ではなくて「闘争」でした。中東のテロリストは、おそらく「中東紛争」という単語は使わないでしょう。革命であり闘争なのです。元テロリストが「紛争」という言葉を使うとすれば、転んだことの意思表示なのかもしれません。


「大学闘争」が右肩上がりで盛り上がって時は、国会周辺へのデモをしかけるリーダーは、ある種の美学を持っていました。「機動隊の最も厚い壁を突破する」ということでした。

革共同革マル派などの全学連のデモ隊は、出発する前に有力闘争委の代表が決意表明をマイクで叫びました。その中で、本日の目標、どこで何をするかなどを公表。参加者の「異議なし」という同意をとりました。周りでは公安や機動隊が、聞いています。デモ隊は発表どおりの行動をとり、目標となった地点には機動隊の厚い壁ができ、そしてデモ隊は壁に向かって何回か突破を試み、その過程で先頭の何人かが検挙されるお約束の行動をとりました。

一種の通過儀礼でした。守りの手薄なところを、突き破るようなゲリラ活動は評価の対象とはなりません。デモの解散地点では、総括のアジ演説があります。そこでは、厚い壁を粉砕して一定の成果を上げたことを発表し、不当に検挙された仲間が何人いたとかが報告されます。検挙された同志は、2~3週間でキャンパスに戻ってきます。その間に後継者が育ちます。それを繰り返していくことにより、お勤めを経験した筋金いりの戦士が養成されました。

そして活動が後退期を迎えると、今度は、次を目指していかに負けるかという総括に入りました。

当時、気が付かなかったことは、負けをコントロールすることでした。100回戦って100勝はないのですから、1回の負けですべてを失わないようにリスクを分散するこというリスクマネージメントの考え方がありませんでした。戦力は次々に生まれてくるという団塊の世代の豊富な人海戦術でした。

バブルの時もそうでした。いつかはハジケルと知りながら、今ではないと思っていました。損切りを日和見主義と否定しました。今思えば、学生の後ろにいた黒寛らの論客たちには、打率3割で殿堂入りすることを潔しとしなかったのです。敗者の美学とノンポリコメント屋に言われてしまいますので。

あの時、彼らの同志にロスカット5%ルールを厳守するデイトレーダーがいて、活動(運転)資金をM作戦ではなく、有価証券投資で調達していたら、現在の金融業界の人脈は変わっていたに違いありません。