若い日の感動を今につなぎ、追体験するためです | 団塊世代の"愚考にため息"

団塊世代の"愚考にため息"

ふと思い出す過去の出来事と後悔。次々と、浮かんでは消えていく愚考を書きとめていけば、いつかはネタ切れになるはず。きっとその後は、良き日々の思い出だけが浮かんでくるにちがいない。

毎年恩師の誕生日に花を贈ってきました。

ある年、砂時計を選んだことがありました。
内部のカラービーズが重力に逆らいながら上昇する意外な30分の逆砂時計です。
やわらかなビーズの動きは無音で、だいたいの時間の経過を知らせてくれます。

デジタル時計や機械時計が時を刻むのに対し、砂時計は時のつながりを表現します。

大人の社会に疑いを持つことなく、がむしゃらに働いていた頃、毎年この12月になると連日深夜まで残業をしていました。締め切りのある大きな仕事が終わる日、ふと思いついて深夜の2時に事務所の電気を消しローソクの火をともしたバースデーケーキを上司のデスクに運びました。たまたま、この日が誕生日でした。後日、この人は涙を流して喜んでいたという話が伝わってきました。以来、会社が変わっても、そして20年後この人が定年退職した後も、何かしらささやかな贈り物を続けています。

デジタル時計は、過去も未来も表現しません。ただ、今この瞬間を刻んでいます。
砂時計は、時の経過を目に見える動きで知らせてくれます。

砂時計は、取引関係が全く存在しない人物への贈り物です。

見返りは、あの若い日の感動を今につなぎ、追体験するためです。