公立小学校の運動会には違和感があります | 団塊世代の"愚考にため息"

団塊世代の"愚考にため息"

ふと思い出す過去の出来事と後悔。次々と、浮かんでは消えていく愚考を書きとめていけば、いつかはネタ切れになるはず。きっとその後は、良き日々の思い出だけが浮かんでくるにちがいない。

この連休は秋の運動会シーズンでした。


準備運動
始めにお決まりのラジオ体操がありません。流行歌にあわせて、ストレッチ体操を全校でやっていました。どうやら、教職員は、マスゲームのような、全員を型にはめるような団体行動がお嫌いな様子です。

教職員のユニフォーム
今年から少しおしゃれなスポーツウェアに名入れをしたユニフォームが職員に支給されたようで、多くの教師が着用していました。ところが、担任の教師で、このユニフォームを着用していない人が複数いました。デザインが自分の趣味と合わないのでしょうか、それとも、お仕着せの同じ物はお嫌いなのでしょうか。憲法に保障された国民の「表現の自由」を主張されているのかもしれません。

競争
紅白戦で、種目ごとにあらかじめ点数が決まっています。午前中は、競り合っていたのですが、午後になると点差がひらき、負け組が挽回できないほどの点数になったところで、点数の表示をやめてしまいました。現在の義務教育というのは、児童の能力格差をひろげることではなく、こどもを平均化してなるべく差がつかないようにすることのようです。それに個人情報保護とかの言い訳もあり、特定のこどもが目立つようなシーンはつくらないようにしている感じです。校庭には、ヒーローもブービーメ
ーカーもいません。

教職員が経験したこともない未知の実社会

そこでは、弱点が目立たないように保護される者は弱者となり、負け組に仕分けです。横断歩道もみんなで渡れば怖くないといいますが、恐怖心は消えても、車に轢かれるリスクは消滅していないことを忘れています。赤組全員が弱いので、相手の白組さんは手加減してくれると勘違いしています。

スポーツ選手は楽しんで競技をするといいます。楽しむ余裕がなければ相手に勝てないからで、みんなで楽しく引き分けにしようなどとは、思っていないのです。

チャレンジ精神の希薄化

実社会の団体競技や個人競技(五輪、マラソン、サッカー、野球、ゴルフ、テニスなど)で勝利の美酒を味わう場面、国旗に敬意を表し、国歌を歌う勝者たちの感動的なシーンは、子供たちの教育現場には不適切な教材なのでしょう。もしかしたら、勝利の美酒に縁のない人たちや初めから挑戦しない人たちが集まる職場なのかもしれません。毎回、チャレンジ精神の希薄な、こういう人たちにはがっかりさせられます。