たくさんの後講釈屋さんが「何とか評論家」と名乗って商売しています。 | 団塊世代の"愚考にため息"

団塊世代の"愚考にため息"

ふと思い出す過去の出来事と後悔。次々と、浮かんでは消えていく愚考を書きとめていけば、いつかはネタ切れになるはず。きっとその後は、良き日々の思い出だけが浮かんでくるにちがいない。

毎日発行されていた金融関連のブログが昨年末に廃刊となりました。ネタがつきたというのが、理由でした。同じ頃に、米国のEメールマーケティング動向を紹介するメルマガで、「書くことがなくなったと思ったら」というコラムがありました。

このメルマガ発行者が教えるコンテンツ確保対策は次のとおりです。
 1)お金で解決する:ライターを雇ってコンテンツを確保。
 2)社内、友人、知人、関連担当者のリソースを使えるように調整。
 3)ネタ探しの日を決めてネタをストック。

法人のブログの場合は、直前に書くことが困難です。事前に上司の承認が必要だからです。一方、個人が発行するブログは、時間に縛られないのですがネタがなくなったときは、どうしようもなく休刊に追い込まれてしまいます。

解決は、インターネットの活用の仕方にあります。
テーマと問題意識があれば、インターネットに山積みになっている情報がネタになるそうです。だれでもアクセスできるインターネットを利用すれば、たくさんの情報を見つけることができます。その情報を解釈し加工することによって、情報そのものが活性化され、それがネタに転換します。

本ブログがネタ切れることを不安に思ったことは一度もありません。発行するのに素人の上司の承認を受けなければいけないというプロセスがないのが、主な理由です。

毎日夥しい量の情報をメディアが流し、たくさんの後講釈屋さんが「何とか評論家」と名乗って商売しています。彼らが暮らしていけるのは、流しそうめんと同じように、次々と目の前に流れてくる情報を掬ってこれにテーマをつけ、カネになるコンテンツとして提供する技術があるからだと思います。