常に視線を感じるかわいい部下を集めたほうが、より健康で楽しい人生がおくれる | 団塊世代の"愚考にため息"

団塊世代の"愚考にため息"

ふと思い出す過去の出来事と後悔。次々と、浮かんでは消えていく愚考を書きとめていけば、いつかはネタ切れになるはず。きっとその後は、良き日々の思い出だけが浮かんでくるにちがいない。

「話せば分かる」といったら相手が話しを聞いてくれ、円満にトラブルが解決するというシーンはドラマではめったにお目にかかることがありません。通常は、「問答無用」といわれて幕がおります。相手に理解してもらうためには、コミュニケーションが効果的に機能しなければいけません。それを可能にするスキルといったものが必要なのかもしれません。

レポート評価基準:
学校でも職場でも、いろいろな場面でレポート提出を求められます。提出したレポートには評価が下されます。評価の基準は、さまざまです。

たとえば、
1)指定された書式どおりにまとめ、わかりやすく簡潔にまとめられたレポート。
2)内容は1)より優れているが、よく読まないと優位性が理解できないレポート。

内容に問題がなければ、2)より1)のレポートの方が、評価が高いと思います。
昔、コミュニケーションのクラスで提出したレポートに教授がコメントしてくれました。「このレポートは、内容はC評価だが、きちんとした書式で明解にまとめられているので、B評価をした」といわれたことがあります。(5段階評価のBは、成績証明書で使われる優良可の3段階評価では優になります)

人物評価:
同じようなレベルの従業員の中から1人を選ぶときの選択基準。
1)第一印象が良かった。何となく気が合いそう。
2)いつもいい返事をする。フットワークがいい。
3)だれかいないかと見渡すときに必ず目が合う。(こちらを見ている)

この中で3)に注目します。
葬儀で横に並んで座り目を合わさなかった元横綱兄弟、選挙演説会で互いに目を合わさない候補者など、目を合わさないということはコミュニケーションを拒否しているわけです。互いに目を合わさないのでは、互いの思いがかみ合うことはありません。
これは「話せば分かる」場ではなく、互いの「違いを明確にする」場となります。

最近やっと分かったような気がします。
会社勤めをしていると必ず上司にゴマをする輩がどこにもどの年代にも目につきますが、この人たちはだれが自分にとって重要な人かを決めると、四六時中、その人物と目を合わせるようスタンバイしているのです。上司に呼ばれてから、ゴマをするのではなく、常に準備しています。信頼性と業務遂行能力に大差無い限り、上司はこういう人を重用します。

職場に常に意識する頼もしい上司がいなければ、潮目をはかって、新たな職場を探すか、または自分で職場を作り常に視線を感じるかわいい部下を集めたほうが、より健康で楽しい人生がおくれるかもしれません。「思い立ったが吉日」です。