【梅宮大社】京都の二十二社巡拝③ | あおによしならはそらにみつ~神仏巡拝~

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『神は人の敬によりて威を増し、人は神の徳によりて運を添ふ』
この格言を日々実践するべく、たくさんの神社仏閣に参拝させていただいております。
そんな私、大和奈良の井志田和叶が、巡拝した神社仏閣の神様、仏様への感謝と崇敬の念を綴っていくブログです。

いつもありがとうございます。

大和奈良の井志田和叶です。
 
 
8月14日(水)に行いました、京都の二十二社巡りのつづきです。
 
 
松尾大社のつぎに向かったのは…
 
 
梅宮大社(うめのみやたいしゃ)
 
 
です。

 

 
≪三五八≫
 

 

梅宮大社は、京都市右京区梅津にあります。
 
 
醍醐天皇の御代に定められた延喜式明神帳では「名神大社」というもっとも高い格式とされました。
 
祈年祭(としごいまつり)、月次祭(つきなみさい)、新嘗祭(にいなめさい)には、朝廷からの幣帛(へいはく)を新饌台(しんせんだい)の上に載せて奉るという「案上の官幣」と呼ばれる最高の儀礼をもってまつられることになりました。

さらに日本中で特選された「二十二社」の中社に加えられ、明治の初めには「官弊中社」に列せられました。
 
 
また、天平時代前後に活躍した橘氏の氏神として、あつくお祀りされてきた神社でもあります。
 
これは、県犬養三千代(あがたいぬかいみちよ)夫人が橘氏の祖であり、かつ、藤原氏の祖である藤原不比等(ふじわらのふひと)公の夫人となった関係から、藤原氏の摂政又は関白の家筋の者が、橘氏長者を代行して、藤原氏の氏神の春日神社(現在の春日大社)と同様の崇敬を捧げてこられたためです。

 

 

梅宮大社は、橘氏と藤原氏を後ろ盾として、おおいに栄えた「格のちがう神社」なのです。

 

 

大鳥居です。
 
 
社号標です。
 
 
酒造と安産・子授けの守護神です。
 
 
御由緒書きです。
 
いまからおよそ1300年前、橘氏の祖・諸兄(もろえ)公の母、県犬養三千代が、橘氏一門の氏神として初めてお祀りした神社です。
 
その鎮座地は山城国相楽郡井出庄(いでのしょう)、いまの綴喜郡井出町付近であったと伝えられています。

その後、1250年ほど前に、聖武天皇の妃・光明皇后と藤原武智麻呂(むちまろ)夫人の牟婁(むろ)女王が、奈良の都に御遷座になり、さらに泉川(木津川)の上流かせ山を経て、平安時代のはじめ、嵯峨天皇の皇后である檀林(だんりん)皇后によって現在の地に遷座されました。
 
当時、皇后は親しく行啓して、盛大な祭儀を行いましたが、このとき、我が国ではじめて神前で雅楽が奉納されたといわれています。
 
 
随身門(楼門)です。
 
随身門とは…
 
左右に兵杖を帯びた神像を、安置してある門のことです。
 
 
この神像の二神は…
 
豊磐間戸命(とよいわまどのみこと)様
 
奇磐間戸命(くしいわまどのみこと)様
 
です。

 

 
拝殿です。
 
 
手水舎には龍神様がいらっしゃいます。
 
 
たくさんの酒樽が奉納されていました。
 
 
「阿形」の狛犬さまです。
 
 
「吽形」の狛犬さまです。
 
 
御本殿です。

 

 

御祭神は…

 

 

大山祗神(おおやまずみのかみ)様

酒解神(さかとけのかみ)とたたえられます。

酒造の守護神として尊崇を受ける神様です。

また、農業山林鉱産の守護神でありますし、

航海の神としても古くから信仰されています。

 

瓊ヶ杵尊(ににぎのみこと)様

皇祖天照大神(あまてらすおおみかみ)様の

御孫(天孫)で、国土開拓の神様です。

 

彦火火出見尊様

神武天皇の御祖父君で、酒造(醸造)の神様

です。

 

木花咲耶姫命様

瓊ヶ杵尊の皇后となられました、才色兼備の

神様です。

安産、子授けの守護神でもあります。

 

嵯峨天皇

 

仁明(にんみょう)天皇

 

橘清友(たちばなのきよとも)公

 

 

です。

 

 

御本殿向かって右手が気になりました。

 

 

若宮社が鎮座していました。
 
 
御祭神は…
 
 
橘諸兄(たちばなのもろえ)公
 
 
です。
 
 
橘諸兄公は、生前中に正一位の極位を授けられた最初の人物で、橘氏の始祖でもあります。

 

葛城王(かつらぎおう)と称し、敏達(びたつ)天皇の子孫にあたりますが、聖武天皇が贈った「橘」の姓をそのまま受け継いで、臣下に下りました。
 
当時の最高官位であった左大臣として聖武天皇に仕え、天平時代の治政に大功がありました。
 

 

「またげ石」は子授けの霊験があります。

 

 

 

御垣内の御本殿の横に鎮座する神秘的な石で、またぐと子宝に恵まれるといわれています。


御祭神の一柱である檀林皇后がまたがれたところ、皇子(後の仁明天皇)を授かったと伝えられ、以来血脈相続の石として信仰されています。

ご夫婦一緒に「子授け」の御祈祷を受ると、この「またげ石」をまたぐことができます。

 

 

御本殿向かって左手の「祓所」です。
 
 
学問の神様をお祀りする「護王社」です。
 
 
御祭神は…
 
 
橘氏公(たちばなのうじぎみ)公
 
橘逸勢(たちばなのはやなり)公
 
 
です。
 
 
橘氏公公は…
 
檀林皇后の兄にあたり、嵯峨天皇の右大臣として仕えて、我が国最初の学校である「橘学館院」を創立し、学問の興隆に尽くされた人物です。
 

橘逸勢公は…
 
檀林皇后の従兄弟にあたり、弘法大師(空海)とともに遣唐使として唐に渡り、書道の研修にはげみ、帰国後、空海とともに嵯峨天皇の側近として仕え、嵯峨天皇と弘法大師とともに三筆としてたたえられました。
 
今日に至るまで書道の始祖先達として、その功業を仰ぎ讃えられている人物で、歴史上名高い小野篁(おのたかむら)公は、逸勢公の教え子です。
 

このように護王社の2柱の御祭神は、ともに我が国の学問の興隆の基礎を築かれた方々で、学問の守護神として崇敬されています。

 

 
境内社が合祀されていました。
 
 
 

境内社の稲荷神社です。

 
 
御神気でねじれた御神木さまです。
 
 
遙拝所かな?
 
 
高砂百合が咲いていました。
 
 
社務所付近に猫さまが…
 
 
気持ちよさそうに寝ていました。

 

 

随身門近くの西梅津神明社にも…
 
 
参拝しました。
 
 
≪三五八≫
 
 
さきに訪れた北野天満宮は、境内社がたくさんあるため、すべての御社の写真は撮れなかったのですが、どうしても気になって個別に写真を撮ったのが「橘逸勢社」でした。
 
前述の、梅宮大社の摂社である護王社にお祀りされていた神様ですね。
 
北野天満宮にいた時点で、すでに梅宮大社とも繋がっていたのかな?
 
 
北野天満宮の「橘逸勢社」です。
 
 
このあとは、またまた二十二社の「大原野神社」に向かいました。
 
ありがとうございました。
では、また。
 
 
つぎねふや やましろのことはちはやぶる
うぢにみなせにきふねうかぶかも