【松尾大社】京都の二十二社巡拝② | あおによしならはそらにみつ~神仏巡拝~

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『神は人の敬によりて威を増し、人は神の徳によりて運を添ふ』
この格言を日々実践するべく、たくさんの神社仏閣に参拝させていただいております。
そんな私、大和奈良の井志田和叶が、巡拝した神社仏閣の神様、仏様への感謝と崇敬の念を綴っていくブログです。

いつもありがとうございます。

大和奈良の井志田和叶です。
 
 
8月14日(水)に「北野天満宮オフ会」開催の御挨拶のために、京都を訪れました。
 
 
平野神社をあとにして、つぎの二十二社をめざします。
 
 
向かったのは…
 
 
松尾大社(まつのおたいしゃ)
 
 
です。


私の大好きな「大山咋神(おおやまぐいのかみ)様」がいらっしゃいます。


この大山咋神様は...

滋賀県にあります、同じ二十二社でもある「日吉大社」の大山咋神様と御同神とも云われています。
(日吉大社には、8月16日に参拝させていただきました)


≪三五八≫
 
 
松尾大社の大鳥居です。

 
 
 
駐車場側の味のある社号標です。



松尾大社の興りは...


文武天皇の大宝元年(701年)に秦忌寸都理(はたのいみきとり)が勅命を奉じて、山麓の現在地に神殿を営みました。


山上の磐座の神霊をこの社殿に移して、彼の女(むすめ)の知満留女(ちまるめ)を斎女として奉仕しました。


そして、その子孫の秦氏によって代々奉仕されてきました。



「阿形」の狛犬さまです。
 
 
「吽形」の狛犬さまです。
 
 
大社にふさわしいみごとな楼門です。




手水舎に「亀さま」がおられます。

松尾大社の御神使は亀さまです。


 

拝殿です。




「松尾造り」の御本殿です。


 


御祈祷の太鼓の音が...
聴こえてきました。



社務所・授与所です。
 
 
相生の松です。


神輿庫です。
 
松尾大社は酒造の神様でもあります。


松尾大社は…

 

京都市西京区嵐山宮町にある神社です。


延喜式内社(名神大社)で、二十二社(上七社)の一社に数えられ、旧社格は官幣大社であり、現在は神社本庁の別表神社という名社中の名社です。

 

 

私が、全国の神社のなかで「一之宮」とともにとくに重要視しているのが、前出の「二十二社」という社格なのですが…



こちらの松尾大社は、その二十二社のうちの一社で、そのなかでもさらに「上七社」という最上位にランクされた、ひとつ前の記事でご紹介しました平野神社とならぶ「格がちがう」神社なのです!

 

 

≪三五八≫


松尾大社の御祭神は…

 

 

大山咋神(おおやまぐいのかみ) 様

 

市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)様

 


の二柱です。


醍醐天皇の御代に編修された、延喜式明神帳には、松尾大社にいらっしゃる二神とも名神大社に列せられていました。



その後、二十二社が成立すると、最上位の「上七社」に列せられ、さらにその第四位に記されるに至りました。

 

 

一条・後一条・後朱雀・後三条・堀川・崇徳・近衛・後鳥羽・順徳の各天皇は行幸参拝され、清和・後白河両天皇は御神宝を御奉納、仁明天皇は病気平癒を、清和天皇は甘雨を、村上天皇は皇居並びに京師の安泰をそれぞれ御祈願されました。

 

 

≪三五八≫



参拝のために御本殿の前に立ったところ、私のよこでお参りしていたカップルが立ち去ったので、声を出して祝詞を奏上しはじめました。

 


すると...


平野神社のときと同じように、境内に風が舞いはじめ、御帳が風をはらんでずっとパタパタと音を立てはじめました。

 

 

さらに、今回も…

 

「私のブログ記事をお読みくださる、全国の『仲間たち』をお見守りください…

 

9月1日(日)に石上神宮に集う『仲間たち』と、10月13日(日)に北野天満宮に集う『仲間たち』をお見守りください…」

 

と申し述べたときに、ブワーッと御帳がめくれあがって、御本殿からつよい風を感じました。

 

 

歓迎のサインだと思いました。

 

 

京都の神様たちも「オフ会」を楽しみにしてくださっているのかな?

(この日訪れた北野天満宮や平野神社、大原野神社でも同様の「風の歓迎」を受けましたよ!)



歓迎のサインが似ていましたので、ひとつ前の記事と似たような記述になりましたね。



祓戸神社です。
客殿のまえにお祀りされています。
 

 

磐座登拝道の入口です。
 

 

 

松尾大社の御祭神である大山咋神様は…

 

御社殿が建立された飛鳥時代のころに、はじめてこの場所にお祀りされたものではなく、それよりも以前にこの地方一帯に住んでいた人々が、松尾山の山霊を頂上にちかい大杉谷の上部の磐座(いわくら)にお祀りして、生活の守護神として尊崇したのが始まりといわれています。

 

 
 

 

幸運の双鯉です。
出世、夫婦円満、恋愛成就の御利益です。
 
 
「歯固め石」の納所です。
下の子は大阪の坐摩神社でお借りしたなぁ…
 
 
伊勢神宮遥拝所です。
 
 
御本殿に向かって左手の境内社です。

 
 
「松尾社」の石灯籠です。

 

 

≪三五八≫
 
 
二十二社(にじゅうにしゃ)は…
 
神社の社格のひとつで、国家の重大事、天変地異のときなどに、ときの朝廷から特別の奉幣を受けた、22の神社を指します。
 
平安時代後期、後朱雀天皇治世の長暦3年(1039年)に、22社目の日吉社(滋賀県の日吉大社)が加わり、白河天皇治世の永保元年(1081年)に、制度としての二十二社が確立されました。
 
二十二社の成立後は、この二十二社はたいへん重要視され、朝廷から何度も祈祷祈願の使者が送られました。
 
平安時代末期に平清盛が権力を握ると、平氏が崇敬していた厳島神社を、この二十二社の列に加える動きをみせますが、最終的には加列されませんでした。

 

 
そして…
 
 
いずれも京の程近く、おもに畿内(近畿地方)の神社から選ばれました。

 

 
そうなんです…
 
 
この二十二社は、関西(畿内、近畿地方)に神社が集中しているという、ほかの地域にはみられない特色があるのです。
 
二十二社は神社界、とくに関西神社界の「誇り」なのです!
 
大和奈良、そして関西に住まう者として、この「関西プライド」の二十二社を推していかないわけにはいきません。
 
 
というわけで…
 
 
「視える」「聞こえる」「話せる」などの能力を有さない私、井志田和叶が…
 
オフ会を成功させるためにおすがりするのは…
 
 
神社界のドリームチームである、二十二社以外には考えられないのです。
 
 
ええ…ひとつまえの記事の「締めくくり」とまったく一緒ですが何か…?(開き直り)
 
 
そんなこんなで、京都市内の二十二社を巡ってまいりましたよ。
 
このあとは、梅宮大社(うめのみやたいしゃ)へ向かいます。
 
 
ありがとうございました。
では、また。
 
 
つぎねふや やましろのことはちはやぶる
うぢにみなせにきふねうかぶかも