僕は、気功を単なる「氣を送る技術」だとは考えていません。
もちろん、氣を送ることもあります。
調整することもあります。
でも、実際の施術で僕がやっていることの半分は、むしろ逆です。
送る前に、受け取る。
相手の身体に向き合い、手をかざし、自分の身体に返ってくる微細な感覚を読む。
温かさ。
圧迫感。
ピリピリする感じ。
モヤモヤした違和感。
あるいは、言葉ではうまく説明できないけれど、
「ここが気になる」
という感覚。
僕は長年、こうした身体からの情報を頼りに施術をしてきました。
これは僕にとって、気功のかなり重要な部分です。
僕は、手に返ってくる違和感を読む
僕のところに来る方は、何らかの不調を抱えて来られます。
ですから施術前には、まず簡単な問診をします。
何に困っているのか。
いつからなのか。
どんなときにつらいのか。
その話を聞いて、ある程度の仮説を立てます。
そして、そこから身体を見ていきます。
たとえば、ホットフラッシュや倦怠感などを訴えている方なら、僕は更年期の可能性も考えながら、施術上確認している下腹部や副腎周辺、頭部などに手をかざしていきます。
すると、場所によって手に返ってくる感覚が違います。
妙に温かい。
軽く押し返されるような感じがする。
ピリピリする。
モヤモヤする。
とにかく、ほかの場所とは違う。
僕はそれを、
身体から返ってきたひとつの情報
として扱います。
ここで大切なのは、僕が「手をかざせば病名が分かる」と言っているわけではないということです。
僕が読んでいるのは医学的な診断名ではありません。
身体の中にある“偏り”のようなものです。
一か所だけでは判断しない
僕は、違和感を一か所見つけただけで、
「ここが原因だ」
とは決めません。
必ずほかも見ます。
左右も比較します。
頭から身体全体を見て、
「ここだけ質が違う」
「右と左で反応が違う」
「ここは強いけれど、こちらは静かだ」
というように、全体のバランスを見ていきます。
そして氣を調整しながら、手に返ってくる感覚がどう変わるかを追っていきます。
多くの場合、
強かった違和感が少しずつ薄くなる。
左右の差が小さくなる。
局所的だった違和感がなくなり、身体全体が似た感覚になっていく。
ときには、さっきまであった違和感が急に消えることもあります。
まれに、反応する場所が別の場所へ移ることもあります。
僕は、その変化そのものを見ながら施術します。
だから僕の施術は、
「悪い場所に氣を送る」
だけではありません。
どちらかと言えば、
身体から返ってくる情報を受信しながら、全体の偏りを整えていく。
その感覚の方が近いのです。
違和感が消えるまで追う。でも、無理には追わない
基本的には、僕は手に感じている違和感がなくなるところまで調整します。
ただし、いつでも完全にゼロになるわけではありません。
ある程度まで薄くなったあと、変化が止まることもあります。
手に返ってくる反応が変わらない。
そこから先、いくら続けても同じ感じがする。
身体全体が静かになる。
相手の呼吸も落ち着いている。
そして僕自身にも、
「今日はここまで」
という感覚が出てきます。
そういうときは終わります。
無理に何かを起こそうとはしません。
その日の身体には、その日の動ける範囲がある。
僕はそう考えています。
施術が始まると、自分自身も変わる
僕の施術では、途中で眠ってしまう方がかなり多くいます。
呼吸がゆっくりになり、身体の力が抜け、そのまま眠ってしまう。
でも、リラックスするのは相手だけではありません。
僕自身も変わります。
これは何度経験しても面白いのですが、施術前に疲れていることがあります。
正直、
「今日は疲れたな」
「終わったら少し寝ようかな」
「ちょっと面倒だな」
と思っている日だってあります。
でも、施術が始まると変わる。
僕の中で、明らかにモードが切り替わります。
身体の力は抜けていく。
でも、意識はぼんやりするのではなく、むしろ澄んでいく。
余計なことを考えなくなる。
そして、手に返ってくる小さな感覚に自然と集中していきます。
不思議なことに、施術が終わるころには、施術前より僕自身の身体がすっきりしていて、頭もクリアになっていることがあります。
僕にとって「受信できる身体」というのは、
緊張して神経を研ぎ澄ませた状態ではありません。
力は抜けている。
でも、意識は澄んでいる。
その状態です。
僕と相手に、同じシータ波が出たことがある
以前、施術中の僕と施術を受けている方の脳波を測定したことがあります。
すると、双方にシータ帯域の脳波が現れました。
僕自身、とても興味深い結果だと思いました。
ただし、同じ周波数帯が現れたというだけで、
「二人の脳波が科学的に同期した」
とまでは言えません。
脳活動の同期を証明するには、もっと厳密な測定や解析が必要です。
それでも少なくとも僕自身は、
施術を受ける側だけでなく、施術している僕も、普段とは違う状態に入っている。
そのことを考えるきっかけになりました。
そして僕の実感としても、その状態のときの方が、手の感覚は明らかに繊細になります。
ホットフラッシュの女性を施術したとき
実際の例をひとつ挙げます。
ホットフラッシュや、いくつかの不定愁訴を抱えていた女性を施術したときのことです。
問診のあと、僕が普段確認している下腹部や副腎周辺などを見ていきました。
子宮や卵巣にあたる辺りに手をかざすと、僕の手には、はっきりとモヤモヤした違和感がありました。
頭部でも、僕が視床下部を意識して確認している位置に軽く手を置くと、ほかとは違う感覚がありました。
言葉にするなら、
「活発ではない」
という感じです。
僕は、その違和感を追いながら調整を続けました。
すると、最初に手にあった感覚がだんだん薄くなり、最終的にはほとんど感じなくなりました。
施術を受けていた本人は途中で、
「何かが入ってきた感じがした」
「何かが動いた」
と感じたそうです。
その後は眠ってしまい、途中からは覚えていないと言っていました。
そして施術後、その方が抱えていたホットフラッシュや不定愁訴はなくなり、その後も再発していないと聞いています。
僕は、この一例をもって、
「気功をすれば、すべてのホットフラッシュがなくなる」
と言うつもりはありません。
でも、
僕の手に感じていた違和感が消えていく過程と、その人の身体に起きた変化が重なった。
これは、僕自身が実際に経験したことです。
僕は、こういう経験を何度も積み重ねながら、手に返ってくる感覚を施術に使ってきました。
受信は、手の感覚だけとは限らない
そして、ここからはもう少し説明しにくい話になります。
僕が受け取るものは、いつも温度や圧迫感だけではありません。
ときには、
言葉として入ってくることがあります。
頻繁に起きることではありません。
でも、実際にあります。
以前、友人のお母様の告別式に参列したときのことです。
その場にいた妊婦さんが、お腹の張りで苦しそうにしていました。
友人から、
「ちょっと彼女、お腹が張っていて苦しいみたいだから見てくれない?」
と頼まれました。
施術室でじっくり施術するような状況ではありません。
その場で短時間、氣の調整をしました。
すると突然、僕の中に言葉が入ってきました。
「そんなに心配しなくても、僕は元気に生まれるから大丈夫だよ」
僕には、お腹の中の赤ちゃんがそう言っているように感じました。
調整が終わったあと、その言葉を本人に伝えました。
そのとき、もうひとつ気になったことがありました。
赤ちゃんは、
「僕は元気に生まれる」
と言っていた。
だから僕は、
「“僕”って言っていたから、男の子なんじゃないかな」
と本人に伝えました。
その女性は、赤ちゃんの性別を知りませんでした。
あえて事前に確認していなかったそうです。
その後、生まれてきた赤ちゃんは男の子でした。
僕は、その人が以前流産していたことを知らなかった
この話には、もうひとつあります。
僕が、
「そんなに心配しなくても、僕は元気に生まれるから大丈夫だよ」
という言葉を受け取ったとき、僕はその女性が以前に流産していたことを知りませんでした。
その事実を知ったのは後日です。
友人から電話があり、そのとき初めて聞きました。
さらに友人から、
「おかげさまで、やってもらった直後からお腹の張りがすっかり楽になった、と本人が言っていたよ」
とも聞きました。
僕はそこで初めて、
「なぜ、あのとき“そんなに心配しなくても大丈夫だよ”という言葉だったのか」
という意味がつながりました。
流産の経験を、僕は知らなかった。
赤ちゃんの性別も、本人は知らなかった。
僕には「僕」という言葉が入ってきて、男の子だろうと本人に伝えた。
実際に男の子が生まれた。
そして、お腹の張りも調整直後から楽になったと後から聞いた。
ここまでが、実際に起きた順番です。
これをどう説明するのか。
僕には、科学的に説明することはできません。
でも、
説明できないからといって、実際に起きたことまで小さくする必要はない
と僕は思っています。
僕自身にとって、これは今でも非常に印象に残っている体験です。
感じたものを、そのまま「真実」にはしない
ここまで読むと、
「では、感じたことは全部正しいのか」
と思う人もいるかもしれません。
僕は、そうは考えていません。
人間の身体感覚には、自分自身の状態も混ざります。
疲労。
期待。
不安。
過去の経験。
先入観。
「きっとこうだろう」という思い込み。
だから僕は、ひとつの感覚だけで判断しません。
左右を比べます。
ほかの場所も見ます。
調整したときに、その感覚が変化するかも見ます。
そして、何か言葉やイメージが浮かんだとしても、何でもすぐ本人に伝えるわけではありません。
自分の中で、
「これは単なる思い込みかもしれない」
という感覚があるときは、言いません。
逆に、理由は説明できないけれど、
「これは違う」
「これはかなりはっきりしている」
という感覚になることがあります。
そういうときには、施術後に伝えることがあります。
僕自身、もっと精度を上げたいと思っています。
でも「当てること」が目的ではありません。
大切なのは、
受け取った情報を、施術にどう生かすか。
そして、
自分の感覚に自信を持ちながらも、自分が間違う可能性を捨てないこと。
この両方だと思っています。
あとになって、先に受け取っていたものの意味が分かる
ここで、少しだけ量子力学の話をします。
量子力学には「遅延選択実験」と呼ばれる実験があります。
簡単に言えば、量子をどのように観測するかという選択を遅い段階で行っても、それ以前の振る舞いをどう説明するかが変わったように見える、非常に直感に反する実験です。
ただし、
「未来が過去を書き換えた」
と単純に言えるものではありません。
そしてもちろん、
量子力学が気功を証明した
という話でもありません。
僕が施術で経験していることと、量子現象が同じ仕組みだと言うつもりもありません。
それでも僕がこの話に惹かれるのは、
あとに起きたことによって、先に起きていたことの意味が変わって見える
という部分です。
赤ちゃんの言葉を受け取ったとき、僕は流産のことを知りませんでした。
男の子なのかどうかも分かりませんでした。
その後になって、
流産の経験を知る。
実際に男の子が生まれる。
そこで初めて、
「なぜ、あのときあの言葉だったのか」
という意味が、僕の中で浮かび上がってきた。
未来が過去を書き換えたわけではありません。
でも、
あとから得た情報によって、過去に感じたものの意味が初めて分かる。
そういうことは、確かにあります。
気功とは、「送る力」だけではない
僕はこれまで長く気功施術を続けてきました。
その中で、ますます強く感じていることがあります。
気功は、
強い氣を出せばいい技術ではありません。
まず受け取る。
身体を見る。
手に返ってくる違いを感じる。
左右を比べる。
全体を見る。
変化を追う。
必要なら待つ。
そして、相手の身体が今どこまで動けるのかを見る。
僕にとって気功とは、
身体というセンサーを使って、まだ言葉になっていない情報を受信し、それを施術に生かしていく技術です。
温度や圧迫感として受け取ることもある。
「気になる」という感覚として入ってくることもある。
そして、ときには、言葉として届いたように感じることさえある。
そのすべてを、科学で説明できるとは思っていません。
でも僕は、
説明できることだけが、僕たちの身体で起きているすべてではない
とも思っています。
大切なのは、何でも不思議な力のせいにすることではありません。
逆に、今の科学で説明できないからという理由だけで、身体が受け取っているものを最初から切り捨てることでもありません。
感じる。
観察する。
確かめる。
そして、思い込みと区別しながら精度を上げていく。
僕は、それを気功師としてずっと続けています。
では、ヒーリングにおいて本当に大切なのは、
「送る力」なのでしょうか。
それとも、
「受け取れる身体」を育てることなのでしょうか。
次回は、
「ヒーリングは送る技術なのか、受け取る技術なのか」
というテーマで、受信する身体をどう育てていくのかまで踏み込んでみたいと思います。
※この記事では、僕自身の施術経験と、施術を受けた方から聞いた体験を紹介しています。これらは医学的な診断や特定の治療効果を保証するものではありません。症状や疾患については、必要に応じて医療機関での診断・治療を受けてください。



