ヒーリングというと、
「相手に氣を送る」
というイメージを持っている人は多いと思います。
強い氣を出せる人。
たくさん氣を送れる人。
手から何か特別なエネルギーを出せる人。
そういう人が「優れたヒーラー」だと思われることもあります。
でも僕は、30年以上、気功の施術を続けてきて、
むしろ逆ではないかと思うようになりました。
相手を感じられないまま、何を送るのでしょう。
その人の身体が、今どういう状態なのか。
どこに強い反応があるのか。
こちらが少し働きかけたことで、その反応がどう変わったのか。
薄くなったのか。
強くなったのか。
別の場所へ移ったのか。
それとも、もう何もしない方がいいのか。
それを受け取れなければ、
いくら強いものを出せたとしても、
今、その人に何が必要なのかは分かりません。
僕が施術中に一番していることは、
何かを一方的に送り続けることではありません。
むしろ、
相手の身体から返ってくるものを受け取ることです。
僕にとってヒーリングは、
「送る技術」である前に、
「受け取る技術」なのです。

ヒーリングは、送って終わりではない
前回の記事では、
僕が施術中に身体の各部へ手をかざしたり、軽く触れたりすると、
妙な温かさ、圧迫感、ピリピリ感、モヤモヤした感じなどが手に返ってくることを書きました。
僕は、それを医学的な診断として扱っているわけではありません。
あくまで、
施術を進めていくために身体から受け取る情報
として見ています。
そして大切なのは、
感じたらすぐに「答え」にしてしまわないことです。
ある場所に強い違和感を感じたとします。
そこで少し働きかける。
すると、その感覚が変わることがあります。
薄くなる。
急に消える。
別の場所が気になり始める。
だから、また受け取る。
そして、その変化を見て次にどうするかを決める。
僕の施術は、
受け取る。
少し働きかける。
また受け取る。
その繰り返しです。
一方的にこちらから何かを送り続けている感覚とは、少し違います。
むしろ、
身体と身体の対話
と言った方が、僕の実感には近いかもしれません。
人と会話する時も、
相手の話を聞かず、自分だけがずっと喋っていたら、
それは対話にはなりません。
ヒーリングも同じだと思うのです。
相手の身体から何が返ってきているのかを受け取らず、
「ここが悪いはずだ」
「これを送ればいいはずだ」
と施術者側の考えだけで進めてしまえば、
いつの間にか、
相手の身体ではなく、自分の考えを見ている
ことになってしまいます。
「受け取る力」は、特別な人だけのものなのか
ここまで読むと、
「でも、そんな感覚は一部の特別な人にしか分からないのでは?」
と思う人もいるかもしれません。
確かに、人によって感覚の鋭さには違いがあります。
最初からよく分かる人もいれば、
「何も感じません」
という人もいます。
でも僕は、これまで多くの人に教えてきて、
身体感覚は、使えば変わっていく
と感じています。
僕のヒーラー養成講座では、初回にまず、
僕が
「氣を感じる手の回路を開く」
と呼んでいることをします。
ここで感じてもらうのは、
まずは掌や皮膚に現れる「氣の感覚」です。
氣の感覚は、もちろん皮膚感覚だけではありません。
でも最初は、いちばん分かりやすい入口として、
手で感じる
というところから始めます。

二人一組になり、
相手の身体に掌を近づけながら、
どこに違いがあるかを探していきます。
目は閉じてもいいし、閉じなくてもいい。
大切なのは目を閉じることではなく、
自分の身体感覚に意識を向けることです。
そして僕は、
「悪いところを当ててください」
とは教えません。
むしろ、
乱れの少ない場所と、何か違って感じる場所を比べてください
と伝えます。
温かい。
冷たい。
重い。
軽い。
ピリピリする。
押されるような感じがする。
何となく手を離したくなる。
逆に、ずっとそこに手を置いていたくなる。
人によって感じ方も表現も違います。
大事なのは、
その感覚にすぐ正解の名前をつけることではありません。
「ここは、さっきの場所と違う」
まずは、それが分かればいい。
僕が教えたいのは、
病気を当てる能力ではなく、
違いを感じ取る身体です。
「分からない」から「分かる」へ変わる瞬間
講座をしていると、
最初は本当に何も分からない人がいます。
手をかざしても、
「分かりません」
「何も感じません」
と言う。
ところが、しばらくやっていると、
ある瞬間から急に変わることがあります。
感覚そのものが突然生まれたというより、
僕には、
それまで感じていたものを、その人自身が受け取れるようになった
ように見えます。
例えば、
「ここ、ちょっと温かい気がするんですけど……でも気のせいですよね」
と言う。
この、
「でも気のせいですよね」
が、とても多いのです。
身体はすでに何かを感じている。
でもその直後に、頭がそれを打ち消してしまう。
「そんなはずはない」
「自分には分からない」
「たまたまだ」
「間違っていたらどうしよう」
そうやって、せっかく入ってきた感覚を、
自分で消してしまう。
ところが、
その感覚をいったんそのまま受け止めて、
別の場所と比べたり、もう一度確認したり、相手の反応を見たりしていくと、
少しずつ、
「あ、やっぱり違う」
という実感が出てきます。
そして一度、
「自分はちゃんと感じていたんだ」
という経験をすると、
急に確信を持ち始める人がいます。
ここで言いたいのは、
「何でも直感を信じればいい」
ということではありません。
むしろ逆です。
感じたものを、すぐ真実にしない。
でも、
感じたものを、感じていないことにもしない。
いったん受け取る。
比較する。
確かめる。
変化を見る。
僕が大切にしているのは、その姿勢です。
「思」のイメージと「想」のイメージ
ここで、僕が講座の導入でもよく話していることがあります。
僕はイメージを、大きく二つに分けて考えています。
ひとつは、
「思(し)のイメージ」
もうひとつは、
「想(そう)のイメージ」
です。
これは僕自身が、身体を使う中で区別してきた言葉です。
「思」のイメージ
「思」は、
頭で考えて作るイメージです。
例えば、
「リンゴをイメージしてください」
と言われたとします。
すると、
赤いリンゴを思い浮かべる。
丸い形を想像する。
味や匂いを思い出す。
これは、自分からリンゴを考えにいっています。
もちろん、こうしたイメージが悪いわけではありません。
人間には必要な働きです。
ただ、身体を受信機として使う時に、
この「考えにいく」働きが強くなりすぎると、
自分が感じたものなのか、
自分で作ったものなのか、
分かりにくくなってしまいます。
僕も施術中に、
「あ、今のは考えているな」
と分かる時があります。
そういう時は、
いったんその答えを置きます。
無理に意味をつけません。
「想」のイメージ
一方で「想」は、
身体の実感から自然に立ち上がってくるイメージ
です。
例えば、何日も寝不足が続いて、
身体がくたくたになっているとします。
ようやく布団に入り、
全身の力が抜けた瞬間、
身体がベッドの中へ、
ずーっと沈んでいくように感じることがあります。
その時、
「よし、身体が沈むイメージを作ろう」
とは考えていません。
身体が緩み、
重力や身体そのものの重さを強く感じる。
その実感から、
「沈んでいく」
というイメージが勝手に出てくる。
僕が言う「想」は、こちらです。
先にイメージがあるのではありません。
先に身体の実感がある。
そして、その実感から、
言葉や映像や感覚が自然に立ち上がってくる。
だから僕は、
身体調整の中で大切にしているのは、
「思」よりも「想」だと考えています。
受信とは、「答えを作ること」ではない
受信しようとすると、
人はつい、
「何か感じなければ」
「何か分からなければ」
「正解を出さなければ」
と思ってしまいます。
でも、その瞬間に、
頭が答えを作り始めます。
それでは、
相手から受け取っているのか、
自分の中で作ったものなのか、
分かりにくくなる。
だから僕は、
受信する時ほど、
何かを当てようとしないこと
が大切だと思っています。
分からなければ、分からないままでいい。
何も感じなければ、何も感じない。
でも、
小さくても何か違いがあったなら、
その違いを消さずに見る。
すぐに意味を決めない。
受け取る。
比べる。
確かめる。
また受け取る。
この繰り返しの中で、
身体の感覚は少しずつ細かくなっていきます。
僕にとって、
「受信する力を育てる」というのは、
不思議な能力を身につけることではありません。
むしろ、
自分の頭が作る答えを少し静かにして、身体がすでに受け取っているものに気づけるようになること。
その方が近いのです。
音楽をやっていた頃にも、同じことが起きていた

僕は気功師になる前、
長く音楽をやっていました。
バンドで演奏していると、
ときどき不思議な状態になることがありました。
自分が出しているリズム。
他のメンバーが出しているリズム。
そして、空間全体から伝わってくるリズム。
それらが自分の身体の中で、
ひとつになっていく。
自分がリズムを出しているのか、
周りから受け取っているのか、
だんだん分からなくなる。
言葉にするなら、
「私はあなた。あなたは私。空間は私。私は空間」
そんな感覚です。
ある時、その状態で演奏していたら、
突然、
「あ、この人、次にこういうフレーズを弾くな」
と分かりました。
もちろんアドリブです。
事前に打ち合わせをしていたわけではありません。
でもその瞬間には、
次に出てくる音が手に取るように分かった。
そして僕も同じフレーズを弾き、
その場でユニゾンになりました。
僕はこれを、
「未来が見えた」
と言いたいわけではありません。
ただ、演奏者同士が深く噛み合っている時、
普段よりずっと細かな情報を、
身体が受け取っているように感じるのです。
表情を見るより早く。
言葉で合図するより早く。
「次はこうしよう」と頭で考えるより早く。
身体の方が先に、
相手の変化を受け取っている。
今振り返ると、
僕が音楽の中でずっと追いかけていたものと、
気功でやっていることは、
それほど離れていなかったのかもしれません。
上手い人と演奏すると、自分まで変わる
音楽には、もう一つ面白いことがあります。
上手い人とセッションすると、
自分まで上手くなることがあります。
逆に、
リズムが噛み合わない人と演奏すると、
自分までぎこちなくなる。
歌も同じです。
歌の上手い人の伴奏をしていると、
こちらまで弾きやすくなる。
相手の呼吸。
間。
身体の使い方。
音が出る直前の気配。
そういうものを、
こちらの身体も受け取っているのだと思います。
演奏は、
自分の技術だけで完結しているわけではありません。
自分一人で「上手く弾こう」としている時より、
相手の音を深く聴き、空間全体を感じている時の方が、
自分でも驚くような演奏が出ることがあります。
ヒーリングも、僕にはよく似ています。
受信するためには、自分が静かでなければならない
相手を受け取るためには、
施術者自身がある程度静かでなければなりません。
ここで言う「静か」というのは、
何も考えない人になる、という意味ではありません。
自分の考えや期待を、
いったん横に置けるということです。
「ここが悪いはずだ」
「今日はここを変えなければ」
「何か感じなければ」
「結果を出さなければ」
そういう気持ちが強くなりすぎると、
相手の身体から返ってきているものより、
自分の頭の中の声の方が大きくなってしまいます。
これは僕自身にも起こります。
だから、
「あ、今のは僕が考えているな」
と気づいた時は、
その答えをいったん置く。
そして、もう一度身体に戻る。
手の感覚。
呼吸。
相手の呼吸。
身体の緊張。
さっきまであった違和感が、今どうなっているか。
僕にとって施術者の静けさとは、
何もない状態になることではありません。
自分の考えと、身体から入ってきた感覚を区別できる余白を持つこと。
そのための静けさです。
「何もしない」時ほど、強く反応することがある
長く施術をしていると、
少し皮肉なことがあります。
「今日はしっかりやろう」
と思っている時より、
僕自身が本当に疲れていて、
ただ相手に手を置いているだけの時に、
施術が終わってから、
「今日は凄かったですね」
と言われることがあるのです。
僕としては、何か特別なことをした感覚はありません。
強く氣を出そうともしていない。
ここを変えよう、あそこを動かそう、という意識もほとんどない。
ただ手を置いている。
それなのに、
相手の身体には大きな変化が起きていることがある。
こういう経験を何度もしていると、
ヒーリングというものを、
「施術者が一方的に何かを起こすこと」
としてだけ考えるのは、
少し違うのではないかと思うようになります。
僕には、
こちらが余計なことをしないことで、相手の身体が自分で動き始める余地が生まれる
ように感じるのです。
だから僕は、
何かを強く起こすことより、
何が起きようとしているのかを邪魔しないこと
を大切にしています。
最小介入・増幅

僕が施術で大切にしている考え方の一つに、
「最小介入・増幅」
があります。
必要以上に働きかけない。
こちらが全部を動かそうとしない。
相手の身体の中ですでに起きようとしている変化を感じ、
必要なところに、必要なだけ触れる。
そして、あとは身体に任せる。
僕は、人の身体には、
もともと自分で戻ろうとする力がある
と考えています。
眠れば回復しようとする。
傷ができれば治そうとする。
緊張がほどければ、呼吸も少しずつ本来の状態へ戻っていく。
身体は、
外から誰かにすべてを整えてもらわなければ、
何もできない存在ではありません。
むしろ、
自分の中にある働きが、もう一度動き出せる状態をつくること。
僕が施術でしているのは、
そのためのきっかけをつくることに近いと思っています。
僕がやりたいのは、
その人の身体の働きに取って代わることではありません。
その人自身の身体が、本来持っている力を発揮しやすい状態に戻っていくのを手伝うこと。
だから僕は、
「名医は自分の中」
とも言っています。
施術者が主役ではありません。
本当の主役は、
その人自身の身体です。
だからこそ、
ヒーラーには「送る力」以上に、
いつ働きかけるのか。
どこまで働きかけるのか。
そして、いつ何もしないのか。
それを受け取る力が必要なのだと思います。
ヒーリングの上手さとは何なのか
ここまで書いてきて、
最初の問いに戻ります。
ヒーリングの上手さとは、
強い氣を出せることなのでしょうか。
もちろん、
「送る」ことが必要な場面もあります。
でも僕は、
それだけでは足りないと思っています。
相手の小さな変化を受け取れること。
変化する前と後を比べられること。
自分の思い込みをいったん保留できること。
必要な時だけ働きかけ、
必要のない時には待てること。
そして何より、
自分の力を見せることより、相手の身体を主役にできること。
僕は、
そういうことの方が、
ヒーラーとしてずっと大切だと思っています。
ヒーリングは、
「どれだけ強く送れるか」
を競うものではない。
どれだけ深く受け取れるか。
そして、
受け取ったものに対して、どれだけ余計なことをせずに応えられるか。
僕が30年以上やってきて、
今いちばん大切だと感じているのは、
そこです。
「受信する身体」を育てる
では、
その受信する身体を、
どうやって育てていくのか。
僕はまず、
感じようと頑張りすぎないこと
だと思っています。
「感じなければ」
「正解しなければ」
と思った瞬間、
身体より先に頭が動き始める。
だから、
まず力を抜く。
呼吸を感じる。
今、自分の身体に何が起きているのかを見る。
そして、
いきなり意味を当てようとしない。
まず、
「違う」
を感じる。
ここは何も感じない。
こちらへ手を移すと、少し重い。
右では感じない。
左では何か引っかかる。
さっきまであった感覚が、少し弱くなった。
その程度から始めればいい。
大きなメッセージより先に、
小さな違いを受け取る。
そして比較する。
感じたものをすぐ信じ込むのでもなく、
すぐ否定するのでもなく、
いったん保留して確かめる。
僕は、
この積み重ねが、
受信する身体を育てていくのだと思っています。
手だけで受け取っているわけではない
講座の最初では、
分かりやすい入口として、
掌や皮膚の感覚から始めます。
でも、
僕自身が施術で受け取っているものは、
手の感覚だけではありません。
突然、自分の呼吸が浅くなる。
胸が詰まる感じがする。
身体のどこかが妙に気になる。
ある言葉が浮かぶ。
映像のようなものが出てくる。
あるいは、
説明できないけれど、
「今日はここまでだ」
と分かることもあります。
受信する場所は、
手だけではない。
身体全体が受信機になっていく。
僕自身は、そう感じています。
ただ、
感じたものがすべて正しい、
という意味ではありません。
だからこそ、
身体を静かにする。
比較する。
確認する。
相手の変化を見る。
そして、
自分が「思」で作っていないかを見る。
受信する力には、
感覚の鋭さだけでなく、
慎重さも必要なのです。
僕がヒーラー養成講座で教えていること
僕がヒーラー養成講座で教えているのは、
単に、
「氣を強く出す方法」
ではありません。
もちろん、
氣を扱うための方法や身体の使い方も教えます。
でも、
それより前に大切なのが、
自分の身体で受け取れるようになることです。
力を抜く。
自分の感覚を見る。
相手との違いを感じる。
乱れの少ないところと、
何か気になるところを比べる。
感じたことを、
すぐ答えにしない。
「思」で作ったイメージなのか、
身体の実感から自然に立ち上がった「想」なのかを見る。
そして、
働きかけたあとに、
相手がどう変わったのかをもう一度受け取る。
言ってみれば、
氣を扱う訓練であると同時に、身体の解像度を上げていく訓練
でもあります。
最初は、
掌の温かさの違いしか分からなかった人が、
少しずつ、
「ここはさっきと違う」
「今、反応が変わった」
と分かるようになる。
そしてある時、
自分がすでに感じていたことに気づく。
そこから、
受信の世界が一気に広がる人もいます。
相手を感じられないまま、何を送るのか
最後に、
もう一度、
最初の問いに戻ります。
相手を感じられないまま、何を送るのでしょう。
ヒーリングという言葉から、
僕たちはつい、
「何を出すか」
を考えます。
でも本当は、
その前にある。
何を受け取れるか。
相手の小さな変化。
呼吸。
身体の反応。
自分の掌に返ってくる感覚。
そして、
言葉になるより前に、
自分の身体に起きる何か。
それを受け取れるからこそ、
必要なところに、
必要なだけ応えることができる。
僕は、
ヒーリングとは、
一方的に「送る」技術ではなく、
受け取り、応え、また受け取る技術
なのだと思っています。
そして、
その受信機になるのは、
特別な機械ではありません。
自分自身の身体です。
だから僕は、
ヒーラーを育てる時にも、
まず身体から始めます。
自分の身体が、
すでに何を感じているのか。
そこに気づくところから。
ヒーリングは、
何か特別な力を身につけることから始まるのではなく、
自分の身体がもともと持っている「受け取る力」に気づくところから始まる。
僕は、そう考えています。
※この記事で紹介している「氣の感覚」や施術中の身体感覚は、僕自身の30年以上の施術・指導経験にもとづくものです。医学的な診断とは区別して扱っています。
ヒーラー養成講座でも、
単に氣を出す方法だけではなく、
こうした「身体で受け取る力」を実際の身体感覚を通して育てていきます。
ヒーリングを技術として深く学んでみたい方は、
ヒーラー養成講座の案内もご覧ください。
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書籍
『身体は、もう答えを知っている
― 考えすぎる私たちが〈感覚〉を取り戻すとき ―』
出版しました。
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