「身体で受信する力」シリーズ
第4回
これまでこのシリーズでは、願いを身体で受け取ること。
武道や音楽にある「先の先」。
そして、人間関係の中で、相手の言葉より先に身体が感じ取っているもの。
そんな話を書いてきました。
今回は、少し違います。
身体の仕組みやRASについて説明する話ではありません。
僕自身が、生きるか死ぬかの境で体験したことです。
これは、死後の世界があることを証明する話ではありません。
医学的に説明できる部分もあるのだと思います。
それでも僕にとっては、今の身体観や死生観、そして残された時間をどう生きるかを考える原点になった出来事です。
63歳のとき、突然息ができなくなった
2022年1月14日の早朝4時頃。
僕は、息苦しさで目を覚ましました。
最初は、少し呼吸がしづらい程度だったと思います。
ところが、そこから30分もしないうちに、ほとんど呼吸ができない状態になりました。
慌てて救急車を呼び、横浜市内の大学病院へ搬送されました。
診断は心不全でした。
呼吸を補助する装置をつけてもらうと、呼吸は少しずつ楽になっていきました。
そのときの僕は、このまま治療を受ければ大丈夫なのかもしれないと思っていました。
しかし、本当の危機は、その後に起こりました。
検査の結果、心臓の前側の動きが弱っていることがわかり、動脈からカテーテルを入れる処置が行われることになりました。
ところが、その治療中に大量出血が起こりました。
止血の処置、人工心肺装置の装着、そして大量輸血。
すべてが終わるまで、約9時間かかったそうです。
後になって、短い時間ではあるものの、心停止、あるいは心肺停止と呼ばれる状態になっていたと説明を受けた記憶があります。
そのときの出来事によって、心臓の一部には壊死が残ったとも聞きました。
当時の詳しい経過や、それぞれの出来事が医学的にどのようにつながっていたのかを、僕自身が正確に説明することはできません。
ただ、命が途切れかねない状態だったことは間違いありませんでした。
意識がないはずなのに、苦しかった
手術中、僕は全身麻酔を受けていました。
意識はまったくなかったはずです。
本来なら、その間に起きたことを覚えているはずはありません。
それでも僕の記憶には、呼吸ができず、ひどく苦しかった感覚が残っています。
実際にそれが、手術中のどの時点だったのか。
麻酔から意識が戻りかけていたのか。
それとも、別の時点の感覚が、一つの記憶として残っているのか。
今となっては、僕にもわかりません。
ただ、息をしようとしてもできない。
身体の中から力が失われていく。
そんな苦しさを、僕は今も覚えています。
そして、その苦しさの中で、3年前に亡くなった母が現れました。
母は、笑っていなかった
夢だったのかもしれません。
麻酔中に脳が見せたものだったのかもしれません。
意識を失う直前や、意識が戻り始めた一瞬の記憶だった可能性もあります。
それをいつ、どのような状態で体験したのかは、僕自身にもわかりません。
ただ、そのときの僕には、母が確かに目の前にいるように感じられました。
けれど、母は優しく微笑んでいたわけではありません。
心配そうな顔でもありませんでした。
僕が普段見たことのないほど厳しく、凛とした表情で、こちらをまっすぐに睨んでいました。
母が何かを話した記憶はありません。
声を聞いたわけでもありません。
それなのに、母が何を伝えようとしているのかは、はっきりとわかりました。
「まだ、アンタはこっちに来ちゃダメだ」
「まだ、やることがたくさん残っているはずだ」
そう言われているように感じたのです。
頭で考えて意味を読み取ったのではありません。
言葉になる前の何かが、身体に直接届いたような感覚でした。
そして、母に追い返された――僕がそう感じた、そのすぐ後でした。
医師の、
「あ、吹き返した。もう大丈夫だ」
という声が聞こえました。
一字一句まで正確に同じだったかどうかは、今となってはわかりません。
ただ、僕の記憶の中には、そう聞こえた言葉が今も残っています。
手術中の僕は全身麻酔を受けていたので、本来なら意識はなかったはずです。
医師の声を、実際にどの時点で聞いたのか。
麻酔から意識が戻りかけた瞬間だったのか。
それとも、別の時点の記憶が一つにつながって残っているのか。
僕にも正確なことはわかりません。
ただ、僕の記憶の中では、息ができなかった苦しさ。
母から「まだ来るな」と追い返された感覚。
そして、そのすぐ後に聞こえた医師の声。
この三つは、途切れることのない一つの出来事として残っています。
もちろん、僕の命を救ってくれたのは、医師や看護師をはじめとする医療チームの懸命な処置です。
母が現れたことによって身体が回復したと、医学的な因果関係を主張するつもりはありません。
それでも僕には、母があの場所まで僕を迎えに来たのではなく、
「まだ来るな」
と、こちら側へ追い返しに来てくれたように感じられたのです。
言葉ではなく、身体に届いたもの
不思議なのは、母の言葉を耳で聞いた記憶がないことです。
それでも、伝えられた意味だけは、疑いようもなく残っています。
「まだ生きなさい」
「まだ終わっていない」
その意味が、言葉を通さず、身体の奥に直接入ってきたように感じました。
このシリーズで僕は、
人間は、頭で理解するより先に、身体で何かを受け取っているのではないか。
という話をしてきました。
人の表情や声のわずかな変化。
音楽が始まる直前の空気。
武道で、相手が動く前に生じる気配。
それらと、僕が死の境で体験したことを、まったく同じものだと言うことはできません。
ただ、僕の中では、どこかでつながっています。
僕たちの身体は、普段の意識には上がってこない、膨大な情報を受け取っています。
そして、普段働いている意識が途切れたとき、いつもとは違う形で何かを感じることがあるのかもしれません。
それが脳の働きなのか。
記憶がつくり出したものなのか。
あるいは、今の科学ではまだ説明できない何かなのか。
僕にはわかりません。
わからないことを、無理に説明しきる必要もないと思っています。
霊的な出来事だったと断定する必要もありません。
反対に、すべて幻だったと片づける必要もないと思います。
ただ、僕があのとき何かを受け取り、
「まだ生きなければならない」
と感じたこと。
そして、その感覚が今も身体の奥に残っていること。
それは、僕にとって紛れもない事実です。
30代の頃に言われたこと
実は、この出来事には、僕の中でどうしても忘れられない余談があります。
まだパソコンが世の中に普及し始めた頃のことです。
僕は30代だったと思います。
当時としては珍しい、パソコンを使った占いがありました。
評判だったので、僕も一度見てもらうことにしました。
すると、占いをしていた人から突然、
「自分がいつ死ぬか、知りたいですか?」
と聞かれました。
嫌なことを聞く人だなと思いながらも、僕は見てもらいました。
その人は、こう言いました。
「お父さんが亡くなったのと同じくらいの年齢に、心臓で亡くなります」
僕の父は、61歳で亡くなっています。
その日から僕は、心のどこかでずっと、
「絶対に、その時期には死んでたまるか」
と思っていました。
そして僕が心不全で倒れ、生死の境をさまよったのは、63歳のときでした。
占いが当たったのかどうかは、僕にはわかりません。
未来が最初から決められているとも思っていません。
ただ、あの出来事を振り返ると、こう感じるのです。
僕は63歳で死んだのではない。
あの日、一度死んで、生まれ直したのではないか。
もう一度、この身体で生きる
手術後、僕は入院中も、自分の身体に向けてセルフヒーリングを続けていました。
弱っている心臓や身体全体に意識を向けながら、
「もう一度、この身体で生きる」
という気持ちで、自分自身にヒーリングをしていました。
もちろん、僕が回復できたのは、医師や看護師をはじめとする医療チームの治療と支えがあったからです。
セルフヒーリングが回復にどこまで影響したのかは、僕にもわかりません。
セルフヒーリングをしたから早く回復できたと、断定することもできません。
それでも僕にとっては、治療を受けるだけではなく、自分の身体に意識を向け、身体と一緒に回復していこうとする大切な時間でした。
そして僕は、手術から15日後に退院することができました。
担当の医師からも、
「すごい回復力ですね。普通、こんなに早く退院できるのは異例です」
と言われました。
母に「まだ来るな」と追い返され、こちら側へ戻ってきた命。
その身体が、一日ごとに、もう一度生きる力を取り戻していく。
僕には、そんなふうに感じられました。
生かされた後を、どう生きるのか
大きな病気を経験した人が、
「生かされていると感じた」
と語ることがあります。
以前の僕なら、その言葉を頭で理解していたと思います。
しかし、死の境を経験してからは、その意味が少し変わりました。
朝、目を覚ますこと。
呼吸ができること。
誰かと話せること。
好きな音楽を聴けること。
人に触れ、施術ができること。
そうしたことは、決して当たり前ではありません。
ただし、僕はあの日を境に、立派な人間になったわけではありません。
相変わらず間違えます。
大切な人の気持ちに気づけないことがあります。
自分の都合を優先し、相手を傷つけてしまうこともあります。
後になって初めて、自分の未熟さに気づくこともあります。
生死の境を経験したからといって、人は自動的に立派になるわけではありません。
命の大切さを知ったはずなのに、それを毎日の中で忘れてしまうこともあります。
「一度生まれ直した」と言いながら、その後を本当に大切に生きてきたのか。
そう問われれば、僕には胸を張れないところがあります。
けれど、だからこそ今も考え続けています。
なぜ僕は、あのとき戻されたのか。
残された時間を、何のために使うのか。
誰かを癒やす仕事を通じて、僕は何を渡していくのか。
あの日、母の厳しい表情から受け取ったものは、
「助かったのだから、あとは好きに生きなさい」
という許可ではなかったように思います。
むしろ、
「まだ、アンタの役目は終わっていない」
という、厳しい問いだったのではないでしょうか。
身体は、答えを言葉にする前に知っている
僕たちは、身体で受け取ったものを、あとから言葉にしています。
安心したと考える前に、呼吸がゆるむ。
危険だと判断する前に、身体が固まる。
その人を信頼できる理由を説明する前に、その人のそばでは力が抜ける。
そして、ときには、生と死の境で、言葉では説明できない何かを受け取ることもあるのかもしれません。
それを霊的な体験と呼ぶ人もいるでしょう。
脳が見せた幻だと考える人もいるでしょう。
僕は、どちらでもいいと思っています。
大切なのは、その体験が自分に何を問いかけ、そこからどう生きるかです。
僕にとって、あの日の母の姿は、
「まだ生きなさい」
という言葉よりも強く、今も身体の奥に残っています。
僕は今、ただ残りの人生を生きているのではありません。
一度終わりかけた命を、もう一度生き直している。
そんなふうに感じています。
関連動画
今回の内容は、YouTubeでも詳しくお話ししています
死の境で、身体は何を受け取ったのか63歳で生まれ直した話|身体で受信する力シリーズ 第4回
次回は、
「気功とは、見えない情報を身体で受信する技術」
というテーマで、僕が施術中に何を感じ、何を手がかりにしているのかを書いていきます。
※この記事は、筆者自身が治療前後に経験した記憶と、その後の個人的な解釈を記したものです。心停止・心肺停止に関する記述には、当時受けた説明についての筆者の記憶が含まれます。死後の世界や霊的現象の存在、セルフヒーリングによる治療効果を証明するものではなく、医療上の判断や治療について解説するものでもありません。
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書籍
『身体は、もう答えを知っている
― 考えすぎる私たちが〈感覚〉を取り戻すとき ―』
出版しました。
▼こちらからご覧いただけます
https://www.amazon.co.jp/dp/B0GND4QG62
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