田中一村の終焉の家と西郷どんの住んでた家 | 鴇色は永遠に!

鴇色は永遠に!

きものの師匠清水ときの教え、自分の好きなきもの、そしてきもの好きな友達の事や田舎の古民家の日常をつらつらと綴っています。

14時15分に奄美大島を出発する飛行機に乗るから、今日はどこ行こう?


奄美の画家、田中一村が亡くなった貸家が移築されて残されている。一村さん畑仕事中に脳卒中で倒れ半身不随となるがリハビリ頑張って何とか一人暮らしをしていた。翌年の秋に夕食の支度中に倒れて亡くなったんだって。心不全。発見されたのは死後2週間たってからだってからちょっとね…お墓は生まれ故郷栃木県にあるらしいよ。

終焉の家見に行ったら脳卒中のリハビリしているようなおっちゃんがフラフラと案内してくれた。おっちゃん(63歳)のご両親が一村の面倒みてたんだって。おっちゃんも10歳位から一村に関わってきたって言ってた。でね、家に来い来いって言うんだよね!玄関から見える所に一村の蘇轍の絵が飾ってあったんだ。一人暮らしの凄いゴチャゴチャの家の中に上がれって言うんだけど、絵を見せてくれてありがとうって500円を置いて逃げる様に車に乗ってさよならした。



その後、西郷隆盛が潜居を命じられて奄美大島に住んでいた家を見に龍郷に行ったよ!龍郷湾を臨む小さな家は3回目の引越しで西郷が建てた家。西郷は奄美大島で龍愛加那と暮らし二児をもうけたんだって。潜居は3年、愛加那さん二人の子供を鹿児島の西郷本家に送り出し、お兄さんの子供(甥っ子)を養子にとって龍家を存続させたそう。その愛加那さんの甥のお孫さんがその家を管理しているんだそうだ。


明治の頃と後一回、台風🌀でこの建物は倒壊したようだが、昭和37年に大改修したのは白アリに松材を使った柱が食い荒らされた為だそう。お話は当代の龍さんから伺った。今の建物は杉材で昭和の改修の時建て替えられた物。外廊下の柱は昔のままだって🤔


時間がまだあるからあやまる岬にドライブ。遠くに喜界島が見えてた。ここから25km位しか離れて居ないそうだよ。



さて、レンタカー返して空港に行かないと。楽しかった旅ももうすぐ終わり、後は家まで無事に帰り着く事が何より大切。

奄美大島ドライブは凄く楽しかった。トンネルが比較的新しいから交通の利便性は高まったのだろうと思う。山の景色も本州とは植生が違うし、何より田圃が無い。畑は見かけたけれど、昔は何を主食にしていたんだろうと思ってしまった。

織物産業もきものを着る人の減少で斜陽だし、観光を主体にした産業形態に変わって行くんだろうか?総絣の織れる織り手も少なくなったそうだ。残念だよね😢


18時半には家に着いて、夕飯の支度をして猫を撫で撫で。いつもの暮らしに戻ったよ。